新潮社に「考える人」という私の好きな季刊誌がある。この秋の一時帰国でのある出会いから、自分と「考える人」、そして本そのものとの出会いについて綴ってみたくなった。
小学3年生の夏、私は親に連れられてたまたま観に行ったある映画に感化され、人生初ともいえる大きな目標を立てた。それは、「中学1年生になったら、ブルートレイン『はやぶさ号』の個室寝台に乗って1人で旅をする」というものだった。「はやぶさ」というのは、東京から西鹿児島までを結び、当時日本最長距離を走った寝台特急のこと。2013年現在、ブルートレインはいよいよ全廃の危機に立たされているが、当時東京駅を発着する寝台列車には少年たちを見知らぬ世界へと誘う独特の華があったように思う。中でも「はやぶさ」や「富士」といった列車には1泊1万4千円の個室寝台が連結されており、これが当時国鉄でもっとも「ぜいたくな」寝台車と言われていた。中学1年になって一人旅をしようと決めたのは、大人料金となる中学生から、一人で旅行するのも許されるだろうというイメージがあったからに過ぎない。私は早速時刻表を買ってきて、空想旅行をするようになった。地図を眺めるのが好きになったのもこの頃からだ。
その年(1984年)の秋、両親のどちらかが「こんな本が出たよ」と新聞に載った新潮社の新刊案内を私に教えてくれた。そこにこんな題名の本が紹介されていた。『旅の終りは個室寝台車』(宮脇俊三著)。タイトルだけに惹かれて、早速この本を買ってもらった。それは私が生まれて初めて買った活字だけの本であり、いわば大人が読む本だった。宮脇俊三という紀行作家が日本のあちこちを一風変わったルートで旅したり、いまや消えて久しい昭和の名物列車に乗ったりする紀行文。最初は毎晩寝る前に父親に読んで聞かせてもらっていたが、宮脇さんの文章は、使われている語彙こそ豊富だが、比較的平易な文体で書かれている。その面白さに気付くと、私は一人でも読むようになった。ここでの旅の特徴は、新潮社の若い編集者(藍孝夫氏という)が毎回同行することで、鉄道に全然興味がない編集者と宮脇さんとの時にちぐはぐなやり取りがユーモアを生む。お目当ての「個室寝台」は最後の章にちょこっと出てくるだけだったが、私はこの本で、活字だけを用いながら車窓からの山河やそこに住む人々の暮らしをも想像させてしまう読書の面白さに開眼した。山陰線に乗れば長門と石見とで瓦の色が違う。日本列島は中央構造線とフォッサ・マグナによって分けられているのか……。宮脇さんの旅を通して、日本各地の地理や風土を楽しみながら学んだ。
この本には続編がある。やはり「小説新潮」の連載から生まれた『途中下車の味』という旅行記だ。この本を書店で見付けたのは、私が中学に上がった春だった。同行者は藍孝夫氏から松家仁之氏という同じ新潮社の若手編集者へと引き継がれる。松家さんも特に鉄道には興味がないらしく、車中で居眠りをするシーンが出てくる一方、地理の洞察をさりげなく示して宮脇さんを驚かせたりもする。この1988年の夏、私は「念願」が叶い、「はやぶさ」に乗って九州へ一人旅をした。この時の旅の話はまたいつかしたいとも思うが、不思議なことに、実際にブルートレインに乗った時間よりも、宮脇さんの旅行記を読みながら、未知の土地や列車に想いを馳せていた時間の方が印象深い記憶として残っているのである。
それから大分時が流れて、2004年ぐらいのことだったと思う。たまたまネット上で松家仁之さんの書かれた文章を見つけた。新潮社の「考える人」という雑誌のメールマガジンで、その前年に76歳で亡くなった宮脇俊三さんの1周忌に関する内容だった。宮脇さんは旅行作家として独立する前、中央公論社の「婦人公論」や「中央公論」の編集長を務め、数々のベストセラーを出す名編集者として知られた。そこでは彼の功績と仕事ぶりについて触れられ、「かつて宮脇さんの担当で一緒に全国をまわったとき、うかつにも何度か居眠りをしてしまった。あの長い時間の中で、うかがえることはいろいろあったはずなのに」と結ばれていた。最後に「編集長 松家仁之」とあった。
宮脇さんの本で名前をずっと覚えていた松家さんが新しい雑誌の編集長になっていたことに、変な話だけれど、私にはいささかの感慨があった。それから「考える人」のメールマガジンを読むようになった。日々の雑感から読んだ本や見た映画の話、時事のテーマに至るまで話題は多彩で、松家さんの流れるようなリズムの、しかも芯の強い文章にすっかりとりこになった。やがて、氏が音楽にも造詣の深い方であることがわかってきた。2007年夏のクラシック音楽の特集号はどうしても読みたくて、日本からの客人に持ってきてもらった。作家の堀江敏幸さんが聞き手役となった音楽評論家の吉田秀和さんへのロングインタビューは、それまで出会ったことのなかった新鮮な空気にあふれ、雑誌というものがまだ持ち得ている可能性さえ感じた。
松家さんは2010年に作家として独立し、処女小説の『火山のふもとで』が最近読売文学賞を受賞したのは周知の通りである(残念ながら私はまだ未読だが)。作家としての松家さんの文章をこれからたくさん読めるのが待ち遠しい。
松家さんの後任として「考える人」の編集長になったのは、河野通和さんという方だった。この方のメールマガジンの文章も素晴らしく、どんなテーマを題材にしても優しく語りかけてくるようで、本への愛と深い教養がにじみ出ている。もともと河野さんは中央公論社の編集者で、「中央公論」と「婦人公論」の編集長を歴任していたことを後に知った(特に「婦人公論」では大胆な刷新をして、一時期の低迷から生き返らせたという)。つまり、宮脇俊三さんと同じ道を歩まれてきた方だったのだ。面白いのは、宮脇さんが中央公論社を退社した1978年に河野さんが入社され、1、2ヶ月ほど時期が重なっていたことで、お2人の間にはいくばくかの交流もあったようだ。
たまたま自分が好きになった雑誌の編集長が2人共、私の読書体験の原点ともいうべき人と直接のつながりがあったことに、私はささやかな興奮を覚えた。これは何かの縁なのか。もちろん自分の思い込みに過ぎないことはわかっていても、河野さんからのメールマガジンが届く度に、一度お会いしてみたいという思いを抱くようになった。とはいえ、新潮社にコネクションがあるわけでもなく、今回の一時帰国中もそんなことを思いながら時間ばかりが流れていた。が、ベルリンへ戻るまで1週間を切ったある日、私は思い切って新潮社に電話をかけてみた。いきなり知らないところに電話して、口頭で自己アピールをするというのは自分のもっとも苦手とすることである。だが、次に日本に帰って来るのは間違いなく来年だ。そんなことも言っていられなかった。受付の方が「考える人」の編集部につないでくれると、しばらくしてハキハキした口調の女性編集者の声が電話の向こうに聞こえた。私は簡単な自己紹介と、編集長にお会いしたい旨を伝えた。「そういうことでしたら、一度メールをいただけますか。編集長の都合を聞いた上で、折り返しご連絡しますので」。そのわずか20分後ぐらいにお返事が届いた。なんと翌日会っていただけるという。ひょっとしたら私が普段海外に住んでいることで便宜をはかってくださったのかもしれないが、それにしても「まさか」だった。
その翌日、神楽坂にある新潮社のロビーで河野編集長と、前日電話で応対してくださった編集部のKさんにお目にかかることができた。河野さんは物腰穏やかで、包容力を感じさせる人物という印象。中央公論の新人時代、宮脇俊三さんと接したときのことも話してくださった。自分がベルリンでどういうテーマについて書いてきたかもお話ししたが、少々舞い上がってしまい、しどろもどろになってしまった……。びっくりしたのは、ベルリンに共通の知人がいたこと。20分ぐらいだったけれど、今回の日本滞在の中でも特に印象深い時間となった。
ベルリンに戻ってから河野さんにお礼のメールをお送りしたら、すぐに返信をいただいた。そこに、ある新聞のリンクが貼られていた。「考える人」最新号の巻末にある村上春樹氏の寄稿「厚木からの長い道のり」を紹介した日経新聞の記事だった。ご存知の方も多いだろう、村上春樹が指揮者の小澤征爾を連れてジャズピアニストの大西順子の「ラストコンサート」に行った。大西さんの最後の挨拶の最中、突然小澤さんが立ち上がって「おれは(引退に)反対だ」と言い放ち、そこから今年9月の両者の奇跡的な共演に至る道のりを詳しく追った内容だ。日経新聞の記事では最後の方にこう書かれている。
ふだん小説というフィクションの世界に住む村上が「事件」の当事者としてかかわり、克明に書きとめたノンフィクションはまれだろう。筆致には、コンサートさながらのライブ感覚があふれる。雑誌の編集作業を少しでも知るなら、9月6日の出来事を長々、10月発売の季刊誌に入れるのは「ほぼ不可能」と考える。「考える人」の河野通和編集長も、3カ月後の次号に載せるつもりだった。だが「村上さんは熱く語り、どうしても直近の号に収めてほしいと、最速で原稿を届けてきた」。河野編集長は大作家の特別寄稿には異例の巻末とじ込みで対応し、埼玉県内の印刷所で陣頭指揮をとった。
これを読めば河野編集長にとっても大変思い入れの強い記事となったことは想像できるが、それでも河野さんご自身は、このエッセイの存在が周知されていないもどかしさを感じているという。私自身大変面白く拝読したが、不可解に感じる点もあった。それは、ジャズピアニストとして確固たる地位を築き、まさに脂ののった最中にある大西さんが、「なぜ音楽をやめなければならず、そのためにピアノを売り払い、生活していくためのアルバイト(音楽とは全く関係のない仕事だという)をしなければならないのか」ということ。村上さんはその背景として、日本の音楽ビジネスの状況に強い疑問を投げかけているが、詳しい事情までは書かれていない。周知の通り、松本での小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラとの共演は大きな話題を集めた。だが、打ち上げ花火のように華々しいコンサートが終わった今、大西さんが音楽活動を再開するための環境が改善され、復帰の目処はついたのか、とても気になる。河野さんからのメールには、「特集や他の記事ももちろんですが、一人でも多くの方にこれを読んでもらいたい。中村さんの方からもご紹介いただけたら」ということが書かれていた。世界的作家の記事を私なんぞが紹介するのも不思議な話だけれど、雑誌「考える人」と最新号の「厚木からの長い道のり」をご紹介する前に、まず私自身の「『考える人』へとつながる長い道のり」について書いてみたくなった。そのことを河野さんに伝えたら、10月にお会いしたことも含めて、拙ブログに書くことを快く了承いただいた次第。
大学生になる前、一度だけ宮脇俊三さんに手紙を書いたことがある(几帳面な字で書かれたお返事をいただいた)。実際にお会いする機会はついぞなかったが、今回の出会いは10年前に亡くなった宮脇さんが引き合わせてくれたようにも思う(こんなことを書くと、笑われてしまうかもしれないけれど……)。とはいえ、書物には長い時間をかけて人と人とを結びつける不思議な潜在力がある。「考える人」という雑誌は、毎回冒険心にあふれながらも、長い人生の中でじわじわと栄養がつきそうな読み物がぎっしり詰まっている。秋の読書のお供にいかがだろうか。
季刊誌「考える人」2013年秋号
定価1,400円
特集
人を動かすスピーチ
村上春樹 厚木からの長い道のり
小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』
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今夜、この素敵な文章を大阪の実家で読んだのもきっと何かの縁でしょう。背後の書棚に「旅の終りは個室寝台車」を探しました。25年以上の時を経て、その本はひっそりと変わらずそこに佇んでいました。新潮文庫、昭和62年6月初版。
クルマと中島みゆきを好む若手編集者と、全国を辿る道中記。824レ、飯田線、只見線…叙情を映す日本の車窓を、相方と自らの視点で時に小気味良く切り取った本書には余分な要素がなく、宮脇さんの著作の中でも傑出した出来と思っています。
文学であれ芸術であれ、多くの人の心に残る優れた作品は、時を経ても色あせることなく、不思議に人を結びつけてゆきます。またひとつ広がった中村さんの世界が、さらに多くの人に縁をもたらすことを信じています。
かつてこの実家では眠りに落ちるころ、次々に西へと向かう夜行列車が鉄橋に刻む音を耳にすることができました。宮脇さんも、夜行列車も、そして宮脇さんと同世代の父も、いつしか時の向こうに去ってゆきましたが、私の胸には今も、あの轍の音が響いています。夜行列車、もって瞑すべし。
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大洲さん
コメントをありがとうございました。
「旅の終りは個室寝台車」により、大洲さんも宮脇さんとご縁があったことを知りうれしくなりました。大洲さんの文章を拝見していると、筆とカメラという手段の違いはあれど、地方まで丹念に歩いて鉄道に乗り、風景の叙情や人々の営みを捉える姿勢にどこか共通するものがあるように思います。ひょっとしたらこれも宮脇さんの書物からの影響なのかもしれませんね。
>夜行列車、もって瞑すべし。
どこかで読んだフレーズだなと思ったら、824列車の章の最後に出てくるあれですね(笑)。この本で僕もいろいろな言葉を学びました。
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素敵なエッセイとして読ませていただきました。
宮脇俊三さんから松家仁之さん、そして河野通和さんへと繋がって行く経緯に興奮を覚えました。
そして、『ラプソディー・イン・ブルー』。
つい先日、友人宅でNHKで放送されたサイトウキネンフェスティバルの録画を見たばかりです。
大西順子さんの『ラプソディー・イン・ブルー』は、その素晴らしさに鳥肌が立ちました!テレビの前で友人と二人、スタンディングオベーションでした。
その後、いろいろ検索して、村上春樹さんのコメントも読みました。でも、真人さんがおっしゃるように、大西さんが引退しなければならない事情や、その後については不明なままなのがとても残念ですし、大変気になるところです。
大洲さんのコメントも、大洲さんの写真の原点に少し触れられたようで嬉しく読みました。
コンサートの様子はたぶんDVDになると思うので、楽しみに待ちたいと思います。
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tsubuさん
コメントありがとうございます。
個人的な内容の長文にも関わらず、最後まで読んでいただきうれしく思います。
大西順子さんの『ラプソディー・イン・ブルー』は、最近NHKで放映されたのですね。村上春樹さんの文章で先に体感したコンサートの模様を、実際の音で私もいつか味わいたいと思っています。そして、大西さんを支援する動きがどこかから出てくるといいのですが。
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Masato様
無沙汰しております。記事で言及されています、宮脇氏の著作からの引用部分に「長門と岩見とで、瓦の色が違う」とあります。
これは、誤表記です。山陰道の旧・国名では「石見」が正確な表記です。つまり、
×:岩見
◎:石見
脚を引っ張って申し訳ないですね。気になりましたので、連絡差し上げました。お元気で。
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Yozakuraさん
「石見」の表記ミスのご指摘、どうもありがとうございました。お恥ずかしい間違いです。大変助かりました。
[…] 発売から大分時間が経ってしまいましたが、最近寄稿する機会のあった季刊誌「考える人」の夏号をここでご紹介したいと思います。昨年秋、この雑誌にまつわる個人的な回想録(こちら)を書いたことがあり、いつかこういう雑誌に寄稿できたらと漠然と願っていましたが、まさかこんなに早く実現するとは思いませんでした。春に執筆依頼をいただいたときは飛び上がりたくなるほど嬉しかったです。 […]