月に1回ぐらいはベルリンでの子育てのことを綴っていけたらと思っていたが、いつの間にか前回の投稿から2ヶ月が経ってしまった。3月半ばからのこの間を少々振り返ってみたい。最初の2ヶ月との大きな違いは、まだまだ小さな赤ちゃんながら、生活のリズムが少しずつできてきたことだろうか。どうしても夜寝付いてくれなくて、深夜に抱っこ紐を身につけて近所を歩き回ることはこのところまずなくなった。顔の表情が豊かになって、にっこり微笑んでくれることも増えてきた。そして私たちにとってありがたかったのは、まだまだ気持ちがいっぱいいっぱいになることも多い時期に、季節が春を迎えたことだった。私は家で仕事をすることも多いので、そういう日は大体午前か午後に一度、ベビーカーで散歩に出る。今住むアパートは階下のスペースが狭いので、ベビーカーを下に止めておくことができず、毎回組み立てて下に運ぶのが少々難だが、一旦外に出てしまえば、ベルリンの土地は大体平坦なのでベビーカー移動は非常に快適。
好きな散歩コースの1つは、徒歩10分ぐらいの距離にあるヴィルマースドルフのフォルクスパークという公園まで往復すること。行き方はいくつかあるが、私たちはよくプリンツレゲンテン通りを歩く。写真のヴァークホイゼラー通りと交差する辺りに、ヴァルター・ベンヤミンが1930年から亡命する1933年まで住んでいたアパート跡がある。残念ながら建物は戦争で破壊されたが、跡地に記念プレートが掲げられており、ベンヤミンはここに滞在している間に『ベルリンの幼年時代』の一部分を書いた。私がベルリンで最初に住んだアパートがベンヤミンの生誕地のすぐ近くだったこともあって、この人物には個人的な縁を感じてしまう。
ここを過ぎると、フォルクスパークはもうすぐ。東西に細長いこの公園は、一周すると結構な距離になる。この斜面は、冬に雪が積もると子供たちのそり遊びの舞台になる。
それ以外で思いつくのは、毎月1回小児科に定期健診に行く。大変お世話になった助産婦さんとのお別れ(卒業)があった、などだろうか。助産婦さんからは「そろそろKita(幼稚園)を探し始めるといいわ」と何度も言われていたのだが、まだそこまではなかなか余裕がないというのが正直なところ。そして、4ヶ月目で早くも息子のパスポートをベルリンの日本大使館で作ってもらった。こんなに早くパスポートを作ったのは、首がほぼ据わったこの時期に合わせて初の一時帰国をするためで、この雑文は横須賀のスタバで海を見ながら書いている。
ベルリンからは日本への最短であるヘルシンキ経由で帰ることにしたのだが、やはり約9時間という長時間のフライトが心配だった。気圧が変わる離陸と着陸時は、息子に授乳、またはおしゃぶりをくわえさせてしのぐ(普段おしゃぶりは嫌いなのだが、今回は持ってきて本当によかった)。途中もちろん何度か泣くことはあったし、赤ちゃん用ベッドではあまり寝てくれなかったけれど、成田に着いたときに、フィンランド人のフライトアテンダントさんは「まだ小さいのに、この子はよく頑張ったわね」と褒めて(?)くれた。実際、初フライトにしてはよく頑張ったのではないかと思う。飛行機ではちょうどバルト三国周遊の日本人ツアー客と乗り合わせたのだが、孫を持つ世代の何人もの方から声をかけられ、温かい目で見てくださったのがありがたかった。もっとも、私は飛行機の中でわずかながらも寝られたが、妻は結局一睡もできなかったそう。成田空港まで母が車で迎えに来てくれ、横須賀の実家に着いたときはさすがにほっとした。今日はこれから2人の弟が息子に初めて会いにやって来るなど、約3週間の今回の一時帰国は、これまでとは違う特別なものになりそうです。