新空港の開業問題、テーゲル空港の存続、エアベルリンの破産……。ベルリンの空をめぐる話題は何かと落ち着かず、先行き不透明なものばかりである。今回はそんなゴタゴタから離れて、世界の空の旅の原点とも言える場所を散歩してみたい。
ポツダム広場からSバーンで南に20分弱揺られてリヒターフェルデ・オスト駅に着く。この一帯のシュテーグリッツ地区は、当連載においてベルリンでまだ唯一取り上げたことのないエリアだった。バスに乗り換えて住宅街の中を行き、リリエンタールパークというバス停で下車。紅色に色づく木々の向こうに、フリーゲベルク(飛行の山)という名のお椀型の丘が見えてきた。ここは通称リリエンタール公園と呼ばれる記念の場所だ。
オットー・リリエンタール(1848〜1896)はテーゲル空港の別称にもなっている、航空パイオニアの一人として名高い。彼は弟のグスタフ(1849〜1933)と共に鳥の飛び方を研究し、1891年にハンググライダーを使って世界で初めて空気より重い機体での飛行を成し遂げた。当時この地区に住んでいたオットーは、1894年、レンガ工場の敷地だったこの場所に高さ15メートルの人口の丘を造り、さらに実験を重ねる。そのわずか2年後、彼はゴレンベルク(現ブランデンブルク州)の丘での飛行実験中に墜落し、わずか48歳で帰らぬ人となったが、後に有人動力飛行を成し遂げたライト兄弟にも大きな影響を与えたといわれる。
このフリーゲベルクは当時まさにオットーが飛行実験した丘を、20世紀に入ってから公園に整備したという場所。階段を上って行くと、てっぺんに銅製の地球儀が置かれ、オットーの名前が刻まれている。彼はここから1000回近くもの実験を行い、最大80メートルもの距離を飛んだのだ。
私がリリエンタールを身近に感じるようになったのは、昨年グスタフの孫にあたるGさんという女性に知り合ったのがきっかけである。現在90代も半ばに近いGさんだが、10歳の頃まで健在だった祖父の記憶をはっきり持っている。
「グスタフはオットーと一心同体のような関係だった。後に建築家になり、この界隈の邸宅の設計も数多く手がけたのよ。とてもおおらかなおじいちゃんで、家族へのクリスマスプレゼントも手作りするような創造的な人だった」
グスタフはコスモポリタンでもあり、1880年から5年間オーストラリアに移住して建築士として働いた。ドイツからの長い船旅の最中、海鳥の飛行をじっくり観察したという。Gさんの自宅には、祖父がアホウドリの飛行を綿密に描写したスケッチが飾られている。
Gさんと話しながら不思議な感慨にとらわれたことがある。目の前で話している女性のわずか2世代前、飛行技術の最先端は鳥の観察だったのである。飛行機が海外旅行から戦争に至るまで人類の活動を根本的に変えたことを思うと、その間の歩みの速度に唖然としてしまう。
そんな歴史の流れを感じながら、ベルリン新空港の開業をもう少しのんびり待つのも一興、だろうか……。
(ドイツニュースダイジェスト 2017年12月1日)
Information
リリエンタール公園
Lilienthalpark
オットー・リリエンタールが飛行実験をした丘は、1900年頃から公園へと整備され、1928年には建築家のフリッツ・フライミュラーにより新しく設計された。没後36年の1932年8月10日に行われた除幕式には晩年のグスタフ・リリエンタールも出席したという。SバーンLichterfelde Ostから284番バスに乗り、Lilienthalparkで下車。徒歩数分。
住所:Schütte-Lanz-Str. 41, 12209 Berlin
リリエンタール・ツェントゥルム
Lilienthal Centrum
リリエンタールが飛行実験中に事故死したのが、現ブランデンブルク州ゴレンベルク。その近くのシュテルンStöllnにあるこのセンターでは、オットー・リリエンタールが成し遂げた飛行技術についての常設展がある。また、彼の生誕地であるメクレンブルク=フォアポンメルン州のアンクラムにもリリエンタール博物館があり、充実した展示で知られる。
オープン:3月は土日11:00〜16:00、4月〜10月は火〜日10:00〜17:00、11月〜2月は休館
住所:Otto-Lilienthal-Str. 50, 14728 Gollenberg
電話番号: 033875 90690
URL:www.otto-lilienthal.de