ちょっと欲張り過ぎのような気もしますが、またひとつ新しいコーナーを始めてみたいと思います。題して「ベルリンの人々」。その名の通り、毎回ベルリンに縁のある人物を紹介するというもので、有名無名、現在過去を問わず紹介していけたらと思っていますが、さてどうなるか。
第1回目はフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1809-1847)。かの作曲家のメンデルスゾーンである。どうして最初にこの人物を選んだかというと、私が彼の音楽が好きだということ以外に、メンデルスゾーンのお墓というのが私が今住んでいる場所から歩いて10分ほどの距離にあるからだ。亡くなったのは150年以上も昔のことだけど、何となく「ご近所さん」とでも言いたくなるような親しみがある。そのような歴史の重層性とでも言うべきものが、ベルリンにいると確かに感じられる。
メンデルスゾーンのお墓があるのは、U6のメーリングダム(Mehringdamm)の駅を地上に出てすぐのメーリングダム共同墓地。訪れたのは昨年の年の瀬に迫った頃だった。実はメンデルスゾーンを訪ねてこの墓地には何度か足を運んだことがあったのだが、結局見つけることができなかった。なぜだろうと思いつつ訪ねた3度目の今回、ようやくその理由がわかった。というのは、これまで墓地の全敷地と思っていたのが、実は全体の一部に過ぎなかったのだ。それほどこの墓地は広い。
今まで墓地の端っこだと思っていた壁を越えて、別の区域に入ると、今度はあっさりと見つかった。念願のメンデルスゾーン一家のお墓だ(これはその一部)。真ん中がフェリックス。その右隣は姉のファニー。左隣ははっきり確認できなかったのだが、幼くしてなくなったフェリックスの子供ではないかと思う。ちなみに、メンデルスゾーン家でもう一人有名な、フェリックスの祖父にあたる哲学者モーゼス・メンデルスゾーン(1729-1786)のお墓はベルリンのミッテ(Gr. Hamburger Str.)にある。
ライプチヒで亡くなったフェリックスのお墓がベルリンにあるのは、隣に眠っている姉のファニーと関係がある。当時としては珍しい女流作曲家だったファニーは、1847年5月突然ベルリンで帰らぬ人となる。誰よりも姉を慕っていたフェリックスは精神的に深い衝撃を受け、その悲しみから抜け出すことなく、半年後の11月4日、後を追うように亡くなってしまうのだった。そのフェリックスを思いやってか、現在、2人のお墓はこのように仲良く並んでいる。
さて、フェリックス・メンデルスゾーンのベルリン時代の重要な出来事といえば、歴史から忘れ去られていたJ.S.バッハの「マタイ受難曲」を再演したことだろう。1829年3月11日、弱冠20歳のメンデルスゾーンはベルリンのジングアカデミーのホール(現在のマキシム・ゴーリキ劇場)で、自ら通奏低音を担当しながら「マタイ受難曲」を指揮したが、これは19世紀の人々がバッハの音楽を再評価する大きなきっかけとなった。彼はこの曲の編曲まで行っていて、このメンデルスゾーン版の「マタイ」は、ベルリン・ドイツオペラの半オペラ形式の舞台で聴くことができる。私はベルリンに来てから、メンデルスゾーンのオラトリオ「パウルス」を実際に演奏する機会に恵まれたが、これは今でも好きな曲だ。メンデルスゾーンはもっと評価されていい作曲家だと思う。
メンデルスゾーン一家の他、この共同墓地には作家のE.T.A.ホフマン、シャミソーなど、著名な人物のお墓がいくつかある。凍てついた空気の中でのお墓巡りは、決して悪いものではなかった。
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こんにちは。U2の駅でメンデルスゾーン・バルトルディってありましたが、やはり関係があるのでしょうか?
初めて地下鉄に乗ったとき『アインシュタイン、ビッテ』を聞いて、なんでアインシュタインが出てくるのと???でした。『アインシュタイゲン』乗って下さいでしたね。
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はじめまして。昨年11月に初めてベルリンを1人旅してベルリンが大好きになり、帰ってきてこちらのブログを見つけました。懐かしい場所が沢山載っていて感激しています。
メンデルスゾーンのお墓はHallesches Tor駅だと思い探して見つけることができませんでした。クロイツベルク探検でメーリングダム駅にも行ったのですが気がつきませんでした。残念!
リンクさせていただきたいと思うのですが、よろしいでしょうか?
またぜひベルリンを訪れたいので今後の情報を楽しみにしています。
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はじめまして。ハンブルクに住んでます。
メンデルスゾーンのお墓参りをするのが、ここ数年来の夢なので、紹介記事とても参考になりました。ありがとうございます!
『パウルス』を演奏されたなんて、とってもうらやましいです。私はまったくの素人なのですが、『エリア』を合唱の一員として歌って、メンデルスゾーンの素晴らしさに目覚めました。メンデルスゾーン版の『マタイ』是非聴いてみたいです!
ところで、フェリックスは若くして亡くなってますよね?過労死だったんでしょうか?
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とても良い記事ですね。興味深く読ませて貰いました。
次回も楽しみにしてます。
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盛況だねぇ。本日は、Konzerthausで大地の歌でした。次期首席指揮者のZagrosekがふりました。
件の墓地には何度も行きましたが、Tausigの墓もあります。(Wagnerの筆)。
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>415さん
U2の駅でメンデルスゾーン・バルトルディ・パークという長い名前の駅名がありますが、これはメンデルスゾーンの名前を冠した公園の名前ですね。
「アインシュタイゲン、ビッテ(ご乗車ください)」は、初めてベルリンに来られた方と一緒にいると、必ずと言っていいほど「これは何を言っているんだ?」と聞かれます。この放送が入るようになったのはここ10年ぐらいのことで、以前はこういう案内もなかったのだそうです。
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>madonotabiさん
はじめまして!リンクはもちろん歓迎です。ベルリンが好きな方は、意外にいらっしゃるものなのだとうれしくなりました。ブログはこれから拝見します。メンデルスゾーンのお墓のある墓地は、まさにHallesches TorとMehringdammの間にあるのです。今回は残念でしたが、またぜひゆっくりいらしてください。
>rbhhさん
「メンデルスゾーンの墓参りが夢」とは!ぜひベルリンに巡礼にいらしてください。実は「エリア」はちゃんと聴いたことがないのですが、こちらもすばらしいようですね。生で演奏される機会も「エリア」の方が高いようです。
メンデルスゾーンの死因は、間接的には過労だった可能性も十分考えられますね。ライプチヒに戻ってからの晩年は、かなりの激務だったようです。
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>lignpontoさん
いつもお付き合いいただき、ありがとうございます!次は何を書こうか今検討中です。
>konnoさん
konnoさんは、それこそお墓巡りのスペシャリストですよね。当然ここにも既に来られているんだろうと思っていました。ところで、Tausigというのはどういう方ですか?実は初めて耳にしました。
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マサトさん、こんにちは。
マサトさんのメンデルスゾーンのお墓の話からちょっと
外れますが、(上の方も書いておられる)メンデルスゾーン・バルトルディ・パーク
という駅名。最初はまさかこのメンデルスゾーンのことだとは
思いませんでした。
Uバーンの駅でしたよね?
この放送のアナウンスの「メンデルスゾーン・バルトルディ・パーク」
って発音。私、大好きでした。
ちょっと弾んだ感じで。
ベルリンの放送で前にも書きましたが
「ウンター・デン・リンデン」とこの「メンデルスゾーン・バルトルディ・パーク」
の発音だけは、何度聞いても何故か心が浮き立ちました。
さて、「アインシュタイゲン、ビッテ」!!
あぁ、懐かしい~~(笑)。言っていましたよね。
久しぶりに思い出して、今、心はベルリンです(笑)。
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こちら生地でも、ファニーとフェリックスの記念碑があったりしますが、結構渋い場所なので、誰も気付かずに通り過ぎていますね。。
同じ墓地の、ホフマン、シャミッソーも引き続き楽しみにしています。
P.S. 先日はどうもです。とても楽しかったです。
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>しゅりさん
こんにちは!「メンデルスゾーン・バルトルディ・パーク」の響きに惹かれるという話、何となくわかります。長い名前だけど、いい響きですよね。
「アインシュタイゲン、ビッテ」の他に「ツーリュックブライベン、ビッテ」もひょっとして覚えていますか?こちらは「前に出ないでください」という意味なんですが、2つセットにしていつの間にか耳に残ってしまいます。
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>フンメルさん
メンデルスゾーンの生まれは実はハンブルクですものね。ホフマンとシャミソーについては、実は彼らの本を1冊も読んだことがないので、今は何も書けないのですが、興味は持っています。特にシャミソーはなかなか面白い生涯を送った人のようなので、代表作は読んでみたいですね。
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こんばんは!勝手ながらこちらからもトラックバックさせていただきました。ご近所にお住まいなんて、とても羨ましいです。私もようやく行くことができて、満足感に浸ってます!
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>rbhhさん
TBありがとうございました。無事にお墓参りができてよかったですね。「エリア」、今度ぜひ聴いてみます。メンデルスゾーンは他にもいい曲をたくさん書いていますよね。オクテットや弦楽交響曲12番なんかも私は好きです。有名なピアノトリオはまだ聴いたことがありませんが。
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ベルリンにおける作曲家メンデルスゾーンにゆかりの場所といえばLeipziger Straße 3 ということになりますか(名前でリンク)。もちろん当時のこの建物など現存していませんが、ここは壁崩壊後にようやくアクセスが可能となった場所ですね。現在ならそれを示すプレートはあるかもしれません。
gsb.download.bva.bund.de/BR/schaufenster/de/leipzigerstrasse.html
不思議なことにですね、ベルリンのメンデルスゾーン家関連の場所を訪れてみても個人的にはそれほどの感慨が湧かないのです。その理由はよくわかりませんが、やはりメンデルスゾーン家の発展と、この街の発展との間にどこかにアンマッチしたものがあるからなのかもしれません。金融、商業はベルリンにふさわしくない分野のものなのかもしれません。
http://www.berliner-klassik.de/publikationen/werkvertraege/hahn_leipziger/hahn_leipzigerstr.pdf
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あと、メンデルスゾーン家にとってゆかりの場所(Mendelssohn Bank)はJägerstraße 51 ということになるでしょうか。
http://www.stadtentwicklung.berlin.de/planen/stadtmodelle/de/datenbank/ausgabe.php?ProjektID=355&modus=liste&pl=_11
http://www.morgenpost.de/printarchiv/berlin/article223159/Familientreffen_der_Mendelssohns.html
もっとも、メンデルスゾーン家とベルリン(あるいはドイツ)との関係を調べていきますとこれは興味深々とした大変な話であり、これはこれで独立したテーマですね。
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la_vera_storiaさん
ベルリンのメンデルスゾーンについての興味深いご意見(というか印象ですね)をありがとうございます。
昨日がメンデルスゾーンの200歳の誕生日だったわけですが、RBB放送局でもレポートされていました。
http://www.rbb-online.de/_/zibb/beitrag_jsp/key=8536881.html
それによると、Leipziger Straße 3に記念プレートはあるようです。ただ、当時の面影は全く残っていないので、 どうしてもという場所ではないのかもしれません。それに比べると、先日初めてJägerstraße 51のMendelssohnremiseは小さいながらも充実した資料館になっていて大変面白かったです。今度ご紹介したいと思います。