28 Responses

  1. ジュリオ
    ジュリオ at · Reply

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    冷戦末期の横須賀の様子も興味深いですね。お母さんがソ連に行ったことがあるっていうのいもすごいですねー。70年代だとまだそれなりにモノがあった時代でしょうけど、やっぱ日本と比べると印象が悪かったんでしょうね。自分はberlinHbfさんとは10歳くらい年下ですが、ベルリンの壁崩壊が何故かイコール、ベートーベンの歓喜の歌という連想で記憶に残っています。崩壊時に開かれた記念コンサートを伝えるニュースがよっぽど印象的だったのでしょうかね・・・。ベルリンの歌とか称して第九の替え歌を口ずさんでました。あの時は、「なんか大人の世界で何か大きなことが起きてるのかなーって」という感想しかもっていなかったですが。しばらくして小学校にあがるとトラバントのミニカーとかベルリンの壁のかけらも親にせがんでましたねー。しかしオリエント急行を日本まで呼ぶなんてバブリーな時代だったんですね。

  2. Cafe
    Cafe at · Reply

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    はじめまして。私も小さい頃から世界史が大好きで、それをきっかけに先月ドイツ他を旅しました。特にベルリンの街並に大変興味を持ち、数日間の予定を延期して2週間も滞在したほどです。最初に降り立った場所が旧東ベルリン側。大きな道路と大きな建物群に「これが社会主義なのか!」驚きました。それから沢山の場所を歩き、東と西に分かれていた時代に想いを馳せたりしていました。他にも、街自体のデザイン性や人のこぎれいさなど・・・とにかく感動することが多くて、また行ってみたい場所です。これからもちょくちょく訪問させてくださいね!

  3. madonotabi
    madonotabi at · Reply

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    今回の記事を大変興味深く拝見しました。私も歳がばれますが、私は大学の経済学の授業で欧州が1つの通貨に統一されるかもしれない。そうなったらどんな利点があるか?なんてことを真剣にゼミで討論していました。お母様の意見と同じく、ソ連に行けるのは特殊な能力(バレエなど)があるか特権階級か、ベルリンの壁がなくなるなんて考えもつかなかったのです。それに対しEC統合を中学で習ってしまう世代があることに今更ながら衝撃を受けてしまいましたが。。誠実な先生との出会いからでベルリンに住むにまでなった方がいると思うと、幼いときから世界のあらゆる面を教えてあげて欲しいと思います。
    私は、やっとベルリンの地を踏むことが出来ましたが、そのインパクトはあまりに大きく、これがあの頃だったらとちょっぴり悔しく思ったりもしますが、何かを感じるのに遅いも早いも関係ないと自分に言い聞かせ、見なくちゃいけないと思ったものを見ることを止めないつもりです。

  4. ISR
    ISR at · Reply

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    コメント有難うございました。僕のブログではTB制限が有効になっています。TB送信先記事のURLがご自身の記事内に無い場合、それはスパムとして反映されないようです。エキサイトブログにも同じ機能があると思います。以前僕がTBを送ろうとしてもうまく行かなかったのは、それが原因だったと思います。

    さて、オリエント急行が来たときは僕も中学生でした。一般公開の抽選に当選し、学校を休んで2時間かけて見に行きました。当時は連日のようにベルリンや東欧の政権交代(崩壊)のニュースを目にしていましたが、特に関心があったわけでは無かったです。しかし、浮かれた日本の外では、何かただ事ではない動きがあるということだけは、中学生の頭の隅に引っかかっていたようです。(貴ブログをリンクに加えさせて頂きました。)

  5. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >ジュリオさん
    壁崩壊時、ジュリオさんは幼稚園児でしたか。その頃から既にトラバントのミニカーをせがんでいたとは早熟なお子さんだったんですね(笑)。
    >崩壊時に開かれた記念コンサートを伝えるニュース
    よく覚えていらっしゃいますね。あの年の年末にバーンスタインがベルリンで第9を指揮しましたね。89年と翌90年ほど、第9の音楽が意味深く鳴り響いた時もそう他にないと思います。私もあの年に第9にはまりました。
    >オリエント急行を日本まで呼ぶなんてバブリーな時代だったんですね。
    確か、オリエント急行に乗って日本を一周する旅が120万円で、そのツアーがあっという間に売り切れた、なんていうニュースもありました。

  6. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >Cafeさん
    はじめまして、ようこそいらっしゃいました!
    >数日間の予定を延期して2週間も
    いい旅になってようでよかったですね。歴史に興味があると、ベルリンは本当に興味深いことの連続ですよね。
    >大きな道路と大きな建物群
    ひょっとしてカール・マルクス・アレーでしょうか。
    私もあの通りを初めて歩いた時は、衝撃的でさえありました。よかったらこちらもご覧ください。
    http://berlinhbf.exblog.jp/m2005-09-01/#915918

    またいつでも気軽に書き込んでくださいね!

  7. hummel_hummel
    hummel_hummel at · Reply

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    この記事は力作ですね!同じく、ベルリンの壁崩壊や、チャウシェスク処刑シーンを見た瞬間は、その時の自分の状況とあわせてしっかり脳裏に焼きついてます。(歳がばれるので詳細言うのはやめますが・笑)。
    地理や世界史を勉強していた頃のこともすごく過去に思えますね。。そして当時は地図帳や教科書でしか知らなかったドイツに、現在生活していることが不思議に思えます。

    5年ほど前、ドイツへ引っ越すため、区役所で転居手続きをしたとき、窓口のエラそーなおっさんがPCに届出事項を入力しながら、「ドイツだけじゃなくて、連邦共和国か民主共和国かどっちかちゃんと書いてもらわないと困るね!」と。。日本の役所はおそるべしです!

  8. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >madonotabiさん
    >欧州が1つの通貨に統一されるかもしれない。
    あの頃は通貨統合もまだ半分夢の話でしたよね。
    今ユーロを普通に使っていますが、まさに歴史の積み重ねと対話の努力の結果だと思います。それを忘れないようにしないと・・

    >これがあの頃だったらとちょっぴり悔しく思ったりもしますが
    それは私もベルリンを歩いていてしょっちゅう思うことです。
    検問所を越えて、西から東に入ってみたかったし、壁を目の前にした時の威圧感も感じてみたかった・・昔のベルリンの方が刺激的だったという方のお話を聞くと特に思いますね。今となってはどんなに金を積んでも無理ですが。どんどん小奇麗になっていくベルリン、これからどうなっていくのでしょう。

  9. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >ISRさん
    どうやらISRさんとは同世代のようですね!
    >一般公開の抽選に当選し、学校を休んで2時間かけて見に行きました。
    今となってはうらやましい話です。オリエント急行は2ヶ月ぐらい(?)日本に「滞在」していたので、私も1度ぐらいは現物を見たいと思っていましたが、結局いつの間にか本国に帰ってしまいました。日本の農村をバックにあの豪華列車が走る写真を見て、すごいギャップを感じましたが。

    同世代としてこれからもよろしくどうぞ!(リンクありがとうございました)

  10. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >フンメルさん
    >当時は地図帳や教科書でしか知らなかったドイツに、現在生活している>ことが不思議に思えます。
    そういえばそうですよね。なんでこんなところにいるんだろうと、ふと不思議に思うことが私もなくもありません。全てはあのトマホークのせいかも(笑)。

    最後の役所での話はすごいですね。何でも正式名称で書かないと気が済まない人だったのか、それともドイツ統一を知らなかったのか。まさか後者ではないと思いますが・・

  11. lignponto
    lignponto at · Reply

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    ポツダム広場の壁は、懐かしいですね。
    私は、1988年の9月~1990年の1月まで海外にいました。
    壁が崩壊したのを知ったのは、帰国してからでした。

  12. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >lignpontoさん
    激動の時代に海外にいらっしゃったのですね。
    ちなみに壁の写真ですが、ポツダム広場とライプチヒ広場で撮ったものが主で、テレビ塔が写っているのはNordbahnhof付近で撮ったものです。

  13. Cafe
    Cafe at · Reply

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    大きな通り、まさしくカール・マルクス・アレーでした!あれには本当感動しました。でも単に「すごいな」という感情よりも、歴史の深さが身にしみるような時にさみしくも思える思いを抱きました。上手に説明できないのですが。。。ベルリン全体にいえる思いでした。不思議な思いです。

  14. nozomu
    nozomu at · Reply

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    いろんな出来事や環境が重なってベルリンに引き寄せられたというか、日本的表現で言えば、「縁」があったのですね。非常に興味深く読ませていただきました。

    壁の崩壊に関しては、私は当時はさほど関心がなく(大学生だったのですが・・・お恥ずかしい限りです)、ベルリンにもあまり興味がありませんでした。ただ、当時観た「ベルリン天使の詩」という映画はよく覚えています。

    その後、たまたま仕事の関係で2001年から2002年にかけて滞在し、ジーゲスゾイレを見て、「あ、天使が上から見てた塔だ!」と思い出したくらいです(まことにお恥ずかしい)。

    カール・マルクス・アレーも行きました。社会主義国独特の大通りのスケール感に驚く反面、保守が行き届かずに歩道ブロックがガタガタしているのを見て、複雑な気持ちだったのを覚えています。

  15. la_vera_storia
    la_vera_storia at · Reply

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    中央駅さん、私が別の場所で投稿した内容、かなりお気に障ったのではないかと思います。「今のベルリンはつまらない。ウンザリだ。」とかいう内容です。申し訳なく思っています。しかし私の本心は本心として一度は吐露しておきたかったことでした。では分断時代のベルリンはおもしろかったのか? おもしろいとか、おもしろくないとかはさておき、スリルは過去のほうがありました。そういう一端、あの別の場所に先ほど投稿しておきました。まだ全体の最初の2回分だけです。あと続きを何日かに分けて3~4回投稿する予定です。まさに貴地ベルリンで17年前の歴史の大転換期の真っ只中にいた私にとっては、自分なりに思い切った行動に出たつもりでした。あの時代の私の行動、ある一人のDDR市民の心情、街行く一般の人々の姿...それらをどうしてもできる限り皆様にお伝えしたいという私の願いです。お読みいただければ非常にありがたいと存じます。

  16. 焼きそうせいじ
    焼きそうせいじ at · Reply

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    89年、都内の女子高の教壇に立っていました。「山田先生」のような誠実な先生ではなかったにちがいありませんが、世界史の授業をネアンデルタール人ではなく「ベルリンの壁」で始めました。壁博物館で買ったスライドを見せたときに「センセー今日は真剣だね」と生徒に言われちゃいました(笑)。いつもはよっぽどひどかったのでしょう。

    大半の日本人にとっても、あの日が「11月9日」であることが、興味深いです。パールハーバーには12月8日と7日があるのですが。私にとってあの日は「11月10日」です。朝のラジオのニュースを聞いても本気にしなかった(出国自由化といっても裏があるに違いないと)こと、件の高校で授業を終えて、飯田橋駅のキオスクに並ぶ夕刊に「東独市民次々に西独入り」という見出しをみたときの驚天動地…。

    中央駅さんの力作のおかげで、いろんなことを思い出しました。

  17. c/o Watolla
    c/o Watolla at · Reply

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    まさとさんのご近所の者です。私はまさとさんより5才くらい下ですが、壁崩壊が記憶にありません。東に関してはよく言えば偏見なし、悪く言えば全く無知な状態でベルリンに来て、居ついてしまいました。ところができたパートナーがガビガビ東独人。私の場合は東の人から聞いた話や、東を訪れてみて感じたことがまずあって、そこから「世界史」の一部でしかないDDRを遡って知るというプロセスを辿りました。予備知識がある人とは理解の方向が逆なんですね。
    東についてのリアルな情報が手に入る環境に身をおくことになり、いつの間にか何かというと東の肩を持つ傾向にある私。東といえばネオナチしか思い浮かばない人も、社会主義に酔ってしまう人も、ぜひ現在進行形の東を見て欲しいですね。それには旧東ベルリンよりもっと郊外に出たほうがいいでしょう。東がどんな現実を抱えているのか、統一とは何だったのか、どんな人達が何を考えて生きているのか、ぜひ感じて欲しいです。

  18. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >Cafeさん
    >歴史の深さが身にしみるような時にさみしくも思える思い
    そのお気持ちは何となくわかるような気がします。私もこの町を歩いていて、ふと歴史の重層性に思いをいたすことがありますね。言葉にはし難いのですが、歩く度にいろいろ発見がある町なのは確かです。

  19. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >nozomuさん
    >いろんな出来事や環境が重なって
    確かにこれは「縁」と言えるようなものかもしれません。例えば、89年7月のフランス革命の200年祭をテレビで見て覚えていますが、「200年も昔のことじゃないか」ぐらいにしか当時の私は感じることができませんでした。壁がまだ存在していたベルリンの方が、パリよりもはるかにヴィヴィットだったのは確かなようです。

    >「ベルリン天使の詩」
    私が今一番観直したい映画かもしれません。ベルリンに住んでからはまだ観ていないので・・

  20. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >la_vera_storiaさん
    こちらからも中欧の掲示板にコメントを入れるつもりだったのですが、先を越されてしまいました。先日の投稿のことは、どうかお気になさらないでください。私にとっては自分の書いていることを見直すための、いいきっかけをいただきました(皮肉で言っているのではありません)。ホテル・ウンター・デン・リンデンは、以前取り上げた共和国宮殿の延長線上で書いてしまったのですが、意味合いを取り違えてしまったようです。私のような若造が、あの時代について語ろうとするには勇気が必要な時もありますが、これからもいろいろとご教示よろしくお願いします。

    「マジャール人の手品」、拝見しました。とにかく続きが楽しみでなりません。私のブログでも次回簡単にご紹介させていただけたらと思っています。多くの方に読んでいただきたいですし。

  21. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >焼きそうせいじさん
    89年当時は東京にいらっしゃったのですね。いろいろと楽しいエピソードをありがとうございます。
    >私にとってあの日は「11月10日」です。
    なるほど。わずか数年前までベルリンに住んでいた方からしたら、最初はまさかと思うでしょうね。私が「ニュースステーション」であのニュースを知ったのも、ひょっとしたら10日の方かもしれません。9日の夜には、まだあの歓喜の映像は入ってこなかったのではないかと思います。その間、他のテレビや新聞で壁崩壊のニュースを知ってもおかしくないのですが、私がまず思い出すのは久米さんの「ニュースステーション」です。あの映像は、まるで生中継のようなリアルさがありました。

  22. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >c/o Watollaさん
    初コメントですね。ご近所からどうもありがとうございます(笑)。
    >パートナーがガビガビ東独人
    そういえば自分の身近なところにこの方がいました(笑)。今度彼にインタビューさせてください。89年のこの出来事のこととか、改めてゆっくりお話を聞いてみたいです。

    >旧東ベルリンよりもっと郊外に出たほうがいいでしょう。
    ベルリンからフランクフルト・オーダーに列車で向かう途中にいくつか降りてみたい駅があったんですが、まだ実現できていません。私にとっては意外な盲点かも。パートナーさんの出身地にもぜひ一度行ってみたいです。

  23. tanihiro4
    tanihiro4 at · Reply

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    いつも見せていただいて感銘をうけております。ベルリンには行ったことがありませんが10月10日のニュウスステーションで壁が壊される場面を見て何かが変わると感じたことは憶えています。でもどうなんでしょうか?何かが悪い方に変わったと言った方が正確かな?とこの頃思います。我々の世代が悪かったのか?と思いますが今では日本も失業者が増えて格差が一段とついて一億総中級と言っていた事が嘘のように今は一億総下層階級ですね。安いツアーでドイツを回りコブレンツに泊まったとき散歩しているドイツ人を見てヒットラーがゲルマン人は特別だと思ったことが実感できましたことを思い出しています。

  24. Nana
    Nana at · Reply

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    お久しぶりにお邪魔します。
    同じくベルリンという町にものすごく惹かれている私にとって、
    この記事とっても読んでて興味深かったです。
    ベルリンの壁崩壊の当時の詳しい事情はあんまり覚えてないですが、
    とにかく、ベルリンをはじめて訪れて、ツォー駅周辺の現代的な雰囲気のど真ん中にあのヴィルヘルム教会が聳え立っているのを見た時、本当になんともいえない気分になりました。ものすごく心が痛みました。
    人間てなんて虚しいことしたんだろう、て思いました。

    ところで、写真はいつ撮られたものですか?

    上から5番目の写真はポツダム広場駅ですか?
    あんなにたくさん壁跡が残っていたのは知りませんでした。

  25. ausdrucksvoll
    ausdrucksvoll at · Reply

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    初めまして。いつも楽しく読ませていただいています。
    今日の記事に採り上げられています、パリから東京まで電車を走らせたビデオは、私が小学校二年生の時我が家にビデオという文化が初めて到来し最初に録った番組でしたので鮮明に覚えています。確か数分ごとに昭和天皇の御容態がテロップで流されてました。その番組で私は壁の存在と、今専門にやっているホルンという楽器を同時に知りました。
    その後「壁」やベルリンのことは学校の授業やオケの録音等での間接的な接し方しかできなかったんですが、先月ようやくベルリンに行き直接それらに触れることが出来ました。色々思ったことはありますが、特に着陸寸前の飛行機から見たベルリンの街が忘れられません。ベルリンはもう少し歴史や音楽を勉強を積んでからもう一度訪れたいと思っています。

  26. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >tanihiro4さん
    はじめまして!ご訪問ありがとうございます。
    >何かが悪い方に変わったと言った方が正確かな?
    89年のバブルの頃に比べると、日本の社会はどんどん格差が広がりつつあるようですね。アメリカ型の市場主義とは一歩距離を置いているドイツでも、課題は山済みで、改革の必要性ばかりが叫ばれている昨今です。これからに注目ですね。

    >コブレンツに泊まったとき散歩しているドイツ人を見て
    よっぽど何かいやな思いでもされたのでしょうか。

    これからもよろしくお願いします。

  27. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >Nanaさん
    コメントありがとうございます!こちらこそご無沙汰していました。
    >ツォー駅周辺の現代的な雰囲気のど真ん中にあのヴィルヘルム教会>が聳え立っているのを見た時
    あの教会もベルリンのひとつのシンボルですよね。ベルリンをしばらく離れていて、西側から列車でツォー駅に入る時は、あの教会を見逃さないようにしています。ああベルリンだなあ、と思う瞬間ですね。

    壁の写真ですが、6枚目と7枚目以外(昨年秋)は、今年に入ってから折に触れて撮りました。5枚目のポツダム広場の壁跡は、比較的最近設置されたものです。本当にあの場所にあったものなのかどうかはわかりませんけど。

  28. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >ausdrucksvollさん
    はじめまして!ようこそいらっしゃいました。
    >私が小学校二年生の時我が家にビデオという文化が初めて到来し最
    >初に録った番組でしたので
    そ、そうなんですか・・それはすごい偶然ですね。この話、書いてよかったです。
    >確か数分ごとに昭和天皇の御容態がテロップで流されてました。
    まさにそうでしたね。久々に当時のことを思い出しました。あの時の映像、いつかまた見てみたいものです。

    ティーレマンの「アルペン」は私は3日目を聞きました。詳細な感想にびっくりしました。またぜひ寄らせていただきますね。

    これからもどうぞよろしく!

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