沖縄美ら海紀行(5) – 旧友との再会 –

残波岬灯台からの眺めはすばらしかった。
西側は固まった溶岩流の上に鮮やかな緑色の植物が生い茂り、
東側は断崖絶壁が数キロに渡って続いている。眼下を眺めると、足を踏み外したら一巻の終わりという場所で、釣りをしている人がちらほらいるのには驚いた。「自然を甘く見るな」という看板が岩場の前に立っていて、私はそこから先へは怖くて進めなかった・・・。
その夜は、読谷村に住むS君の家を訪ねた。彼は大学オケ時代の親友で、先日の結婚式で8年ぶりに再会したばかりだった。大学時代はオーボエを吹いていたが、結婚式の余興では、沖縄に移住してから習ったという三味線と島唄を披露してくれた。今は臨床心理士として働いている。奥さんは沖縄の方で、14世紀末に大陸から渡って来た「閩(びん)人三十六姓」を祖先に持つそうだ。沖縄のおいしい手料理をご馳走になりながら、私もここぞとばかり初めての沖縄の感想や疑問点などをぶつけてみた。読谷村は大戦末期、米軍が最初に上陸した地で、当時過酷な目に遭った人は今もなかなかその体験を語りたがらないこと、また米軍基地をめぐる沖縄市民のアンビバレントな感情なども興味深かった。2人の娘もかわいらしく、時間はあっという間に過ぎていった。次回はドイツで会うことを約束し、車でホテルまで送ってもらう。
翌日、車で那覇に戻る途中、S君に教えてもらった「道の駅かでな」の屋上から嘉手納基地を眺めた。その後、横を通った普天間飛行場の広さにも驚く。
実家に戻った翌日、沖縄のことがもっといろいろ知りたくなって、「沖縄イメージを旅する」(多田治著。中公新書ラクレ)と「沖縄現代史」(新崎盛暉著。岩波新書)の2冊を購入。こちらにも持って来たので、読み進めようと思う。沖縄は自分にとって大事な場所になりそうな予感がする。
沖縄の青い海にひとまず別れを告げ、11月の陰鬱な空が続くベルリンの話に戻ります^^;)。



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