昨年6月下旬のある日、ベルリンで長年お世話になっているメヒティルトさんから、こんな連絡がありました。「私が働いていたゲマインデ(教会)に使われていない古いアップライトのピアノが置いてあるの。前に中古のピアノが欲しいと言っていたわよね。興味があったら今度一緒に見に行ってみる?」
まさに寝耳に水でした。その数年前だったか、私が「中古で十分だから、機会があればピアノが欲しいと思っているんです」ということを何かの折に話したのを、メヒティルトさんは覚えてくださっていたのでした。もちろん断る理由などなく、早速その2日後、シャルロッテンブルク地区の住宅街にあるプロテスタント教会に一緒に行き、そのピアノを見せてもらうことになりました。
西ベルリンの時代から30年以上、モダンな造りのこの教会で事務の仕事をしていたメヒティルトさん。長年自分のオフィスだった部屋で思い出話を少し伺ってから、こぢんまりとした礼拝堂の奥にある物置部屋に向かいます。椅子を運び出しながら奥に進むと、木製のアップライトピアノがそこにありました。
メヒティルトさんが言うには、30〜35年ぐらい前にこの教会が購入したチェコ製のピアノとのこと。最近になって新しくグランドピアノがやってきたので、この古いピアノはひょっとしたら譲ってもらえるのではないかと思ったそう。ピアノを弾ける妻が少し音を鳴らしてみると、素直できれいな音がしました。すぐに気に入って私たちの希望を伝えると、後日メヒティルトさんが教会の牧師さんと相談して、ゲマインデにいくらか募金をする形で正式に譲っていただけることに。
それにしても、なんという巡り合わせかと思います。その頃私は、数ヶ月携わっていた『明子のピアノ』(岩波ブックレット)という本の仕事がちょうどひと段落したところだったからです。まるで何か(明子さん?)に導かれたかのようなピアノとの出会いでした。
その1週間後、私の方でピアノの配送会社を手配して、再度教会に赴きました。
メヒティルトさんの知らせからわずか1週間ちょっと。我が家に本当にピアノがやってきました。私以上に喜んだのが小さいときからピアノに親しんできた妻でした。
私はといえば、高校生の頃からピアノ音楽を好んで聴くようになり、やがて自分でも弾いてみたいという思いが募って、浪人生の頃に電子ピアノを買っていじくっていたこともありました。しかし、やがて受験勉強などでそれどころではなくなり、大学に入ったらオーケストラでフルートを吹きたい気持ちが第一にあったので、ピアノとはそれっきり。もっぱら聴く方が専門で、自分で弾くことにはもう一生縁はないだろうと思っていました。
45歳になって突然舞い降りてきたこのチャンス。しかし、どこから手をつけたらいいものか……。昨年の暮れ、メヒティルトさんから1冊の古い教則本を渡されました。「私の娘が昔、数ヶ月だけピアノを習っていたときに使っていた教則本が出てきたの。ひょっとしたらあなたにどうかと思って」(ちなみにメヒティルトさんの長男は音楽家で、南ドイツのコーブルクの歌劇場の合唱団で活躍されています)。「Der Junge Pianist」と書かれた初心者向けの本をめくってみると、私にはちょうどいいレベル。まずこれから始めてみようと思いました。
昨年12月頭から始めてまだ2ヶ月ちょっと。ピアノを練習していると自分で言うのも憚られるレベルですが、毎日夕方の30分ピアノに向かう時間は楽しいです。フルートをやっていたので楽譜はそこそこ読めるものの、ヘ音記号になると途端に読むのに時間がかかります。何より、右手と左手で別々の動きをするのが未知の体験。こんなに難しいとは……。しかし、それでも毎日続けていると、ほんの少しずつですが、できることが増えていきます。この歳になってこういう感覚を味わえることがとても新鮮で、幸せなことだと感じます。
あまりに遅いスタートなので、贅沢なことは言いません。バッハやモーツァルト、あるいはシューベルトの大好きな曲の一節を弾けたらどんなにいいだろうかというぐらい。でも、たかだか十数小節の簡単な練習曲も、バッハの平均律やモーツァルトのソナタのエッセンスにつながっているのだと思うと興奮を覚えますし、少しでもちゃんと弾けるようになりたいと思います。これを機に息子もピアノを習い始め、定期的に先生に見ていただくようになりました。コンサートがまったく行われていない今、ピアノをめぐるご縁に感謝する日々です。
はじめまして、ベルリンに留学中の学生です。
(今月はじめ、ベルリン内の交流会でお会いしたと思います。)
大人になってからのピアノ再開いいですね。
自分も大人になってからピアノを楽しんで弾くようになりました。
マイペースで楽しんでいます。
ピアノという話題に関連して、先日、ベルリン市内でOpen Pianoというイベントがありました。難民支援活動の一環でありますが、外に設置されたピアノを誰でも弾けるというものです。
他の都市(パリ等)には、空港や主要な駅に、だれでも弾けるピアノが設置してあるケースがあるので、今後ベルリンでも同様にピアノや音楽にふれる機会が増えればいいな、と思ってます。
楽しいピアノライフが続きますよう。
空さん
コメントいただき、ありがとうございました。お返事が今になってしまい、申し訳ありません!ピアノは時間が取れる限り今も毎日のように触れています。Open Pianoは興味深いイベントですね。ピアノを毎日弾けることができるのも平和であるからこそというのを、ウクライナやイスラエルで起きてしまったことを前に改めて感じます。私もマイペースでピアノを楽しみたいです。