『ドイツのアーティスト支援について』(小林睦氏による解説)
4月以降、神戸大学大学院教授の藤野一夫先生によるドイツの文化政策についての論考を掲載させていただきましたが、そのお弟子さんで、神戸大学のダブルディグリー制度を利用して現在ハンブルク大学でドイツの音楽学校制度の研究をしてい…
ラーヴェンスブリュック強制収容所解放から75年
今年は戦後75年の年。このような節目の年には、特に4月に入ると「今日はどこどこの強制収容所が解放されてから00周年です」というニュースが連日のように新聞やテレビで報じられ、ヨーロッパの終戦記念日にあたる5月8日から9日に…
発掘の散歩術(99) – ポツダム、皇帝の黄昏 –
11月9日は、20世紀のドイツ史における運命の日としてよく知られる。皇帝ヴィルヘルム2世が退位し、ドイツの君主制の時代が終焉を迎えた日(1918年)。「水晶の夜」と呼ばれる反ユダヤ主義の深刻な暴動が起きた日(1938年)…
発掘の散歩術(94) -蘇るポツダム、バルベリーニ美術館を楽しむ-
ベルリンからレギオナルバーンに乗ると、わずか25分でポツダム中央駅に着く。プロイセンの歴史を振り返ると、ベルリンとポツダムは双子のような関係で歩んできたにも関わらず、街の規模も雰囲気も両者はまったくといって良いほど異なる…
秋のヴュルツブルク紀行(2)
2016年も残りあとわずか。いまさらながらではありますが、10月に南ドイツのヴュルツブルクに旅行したときの続きの話を書いておきたいと思います。ご興味のある方は、以下のページからお読みください。 菅尾友さんが演出するマイア…
秋のヴュルツブルク紀行(1)
かなり長い間、ブログの更新から遠ざかっていました。この夏はほぼずっとベルリンにいたのですが、携帯の解約と新規加入でトラブルに巻き込まれるなど、なんだか予期しない出来事の対処にずいぶん時間を取られてしまいました。いろいろあ…
発掘の散歩術(75) -番外編:ブランデンブルク州 市制800年 ラーテノウを歩く-
ブランデンブルク州にあるラーテノウという街は、時々見かける赤いレギオナル・エクスプレスの終着駅というイメージぐらいしか持っていなかった。この夏、ラーテノウに住む彫刻家の大黒貴之さん(当連載の第62回 / 2015年9月4…
リューゲン島への旅(3) – 蒸気機関車に乗ってゲーレンへ –
(前回の続き)リューゲン島のビンツまで来たからには、バルト海の砂浜のほかに、もう一つ体験しておきたいものがあった。9月16日の10時過ぎ、ホテルの近くから出るバスに乗って駅に向かった。といっても、ベルリンから来る際に利用…
リューゲン島への旅(2) – ビンツの砂浜で –
(前回の続き) 4時間かけてリューゲン島の東端にあるビンツに到着した翌日、宿から近い海岸に行ってみることにした。私たちが訪れた9月半ば、すでにバカンスシーズンは終わっていたが、メインストリートはそれでも結構賑わっていた。…
リューゲン島への旅(1) – ビンツへの直通列車 –
長男が誕生して間もなく10ヶ月。最初の頃はベビーカーで近所の公園に行くだけでもドキドキしたものだが、少しずつ行動範囲が広がってきた。なんといっても、生後3ヶ月で日本のパスポートを取得し、翌月日本に一時帰国したのは大きな出…
発掘の散歩術(62) – 番外編:ブランデンブルク州
彫刻家 大黒貴之さんと巡るハーフェルラント
ベルリン動物園駅からRE(地域間急行)に乗って西へ約30分、電車はパウリーネンアウエという小さな無人駅に到着した。ベルリンとハンブルクを結ぶ幹線上にある駅だが、途中下車をしたのは初めてだった。煉瓦造りの堂々たる駅舎に比し…
発掘の散歩術(60) – 番外編:ブランデンブルク州 『リベックじいさんのなしの木』の村を訪ねて –
「ハーフェルラントのリベック村のおじいさんの話、知ってる?」と知人のおばさんが一緒にお茶を飲んでいるときに言った。ドイツの国民的な作家テオドール・フォンターネ(1819〜98)が書いた、ドイツではよく知られた物語詩だそう…
ポツダムの新庭園へ!
前回の更新からずいぶん時間が空いてしまった。この1ヶ月半は移動の連続だった。3週間の日本滞在から一足先にドイツに戻ったのが6月頭。数日間ベルリンで過ごして、パリに飛んだ。久々に1人旅の時間が持てたので、思い切ってパリに行…
ドイツニュースダイジェストの1000号と終戦70周年特集
ドイツニュースダイジェストは、日本にお住まいの方にはあまり馴染みがないと思いますが、ドイツ在住の邦人の方は、おそらく一度はどこかで目にされたことがあるのではないでしょうか。日本関係のお店やレストランなどによく置いてあるフ…
ブランデンブルク州ユーターボークの旧市街を歩く(2)
ダム・トーアと呼ばれる門が、鉄道でユーターボークに来る場合の街の入り口になる。ユーターボークの帰属は何度も変わっている。30年戦争期間中の1635年、この街はザクセン選定侯領に組み込まれた。そして1756年、プロイセンの…
ブランデンブルク州ユーターボークの旧市街を歩く(1)
ちょうど1年前、近所に住む友達の車を借りる機会を得て、妻と日帰りでどこかに行こうという話になった。私はこの機会に、ユーターボーク(Jüterbog)に行ってみようと思った。何年か前に、ベルリンの新聞で「中世の面影がほぼ完…
オーバーフランケン地方にて
数日前からバイエルンの北側、オーバーフランケン地方にある知人の別荘にお邪魔しています。ベルリンからICEに乗り、ライプツィヒ、ツヴィカウと乗り換えてオーバーフランケン地方のホーフまで約4時間半。そこからさらに車で40分ほ…
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