このシリーズの最初にご紹介した森鴎外との写真のほかに、ベルリンでの貴重な1枚を寿代さんから見せていただいた。これは1900年10月、山根正次(後列向って左より3人目)がパリ万博の出張の途中、ベルリンに住む萩中学時代のドイ…
山根正次がベルリン留学に向けて発ったのは、1887年10月8日のこと。森鴎外が留学していた時期と重なるが、そもそも2人の間にはどれだけの交流があったのだろうか。 森鴎外の小説は沢山読んで居りますが、直筆を目にしたのは祖父…
山根正次は、医師山根孝中(松下村塾門下生)の二男として1857年萩城下東郊の香川津に生まれた。孝中はかの松下村塾に入門し、吉田松陰に師事した人物である。正次は、藩の医学校で蘭学を修め,萩中学校でドイツ人教師ラインホルト・…
Mori-Ôgai-Gedenkstätte(2007年2月) 私が日本に一時帰国していた2006年11月のある日、実家に1枚の絵葉書が届いた。イタリアからのもので、すばらしい達筆で書かれている。手紙の主は、山根寿代さん…
今日からおよそ4回に分けて、しばらく前から書き綴っていたインタビュー記事をアップしたいと思います。インタビューというよりも、人物ルポと言った方がふさわしいかもしれません。春に私が一時帰国した際にお会いした、ある年配の女性…
ベルビュー宮殿の北側は広大な公園になっており、軍隊セレモニーはそこで行われます。指定された場所で待っていると、公園内を大きく旋回して、大名行列のような物々しさで軍隊がやって来ました。 最初にドイツのケーラー大統領が1人で…
Bellevueallee(2007年11月1日) このブログではこれまで、ベルビュー宮殿、首相官邸、連邦議会、そして前回の連邦参議院など、ドイツ連邦政府の活動の舞台を紹介してきましたが(詳細はタグの「政治」を参照のこと…
先日、ドイツ連邦議会の内部を詳しくご紹介したので、今度はドイツの上院にあたる連邦参議院(Bundesrat)の中に入ってみましょう。昨年6月23日の一般公開日に見学したときの様子です。連邦参議院は旧プロイセン貴族院(Pr…
『ベルリン 歴史の道』(平井正著。光人社) 東京の知人からいただいた本。平井正氏はベルリンについての著作をたくさん残しているので、一度読んでみたかった。これはドイツ統一直後の1992年にベルリンを訪れたときの記録だが、当…
今週はいつもよりアクセス数がやや少ないなと思っていたら、日本はちょうどお盆休みなのですね。日本の皆さまには残暑お見舞いを申し上げます。 ベルリンの夏は早終わりを迎えつつありますが、まだ天気のよかった先週のある日、ベルリン…
Bahnhof Friedrichstraße (1979年) 常設なのか、あるいは一時的なもののかわからないが、現在フリードリヒ・シュトラーセの駅構内に、この界隈の昔の写真がパネルで展示されている。先日駅を通ったらたま…
ドイツ連邦議会議事堂の探検も、4回目にしてようやくてっぺんのガラスドームの前にやって来た。ここにはすでに何度も来たことがあるけれど、日頃は公開されていない、ドイツの過去と現在に関する大事な部分を見てきた後だけに、それまで…
これがPlenarsaalと呼ばれるドイツ連邦議会の本会議場。多くの方がテレビなどで目にしたことがあるのではないだろうか。連邦議会がボンからベルリンへ移転して、最初の議会が開かれたのは1999年4月19日のことである。 …
階段を上がって、普段の一般見学とは違う入り口から連邦議会議事堂の中に入った私は、いきなり目に飛び込んできたものを見て、思わず息が止まりそうになった。これだ、これが見たかったのだ! 第二次大戦末期、苛酷な地上戦を制したソ連…
Reichstagsgebäude(2007年3月25日) ドイツの連邦議会の拠点であるライヒスターク(Reichstag)の建物は、ベルリン観光の目玉の一つとなっている。私もすでに何度も訪れているし、日本からのお客さん…


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