今年新しくオープンしたベルリンの建築物の中で、最大の注目を集めたのはなんといってもこれであろう。訪れたものに、視覚的に圧倒的なインパクトで迫ってくる。「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑(Denkmal fuer die ermordeten Juden Europas)」、通称「ホロコースト記念碑」である。
まず驚くのが、この記念碑の位置する場所だ。ご覧のようにポツダム広場、そしてブランデンブルク門の目と鼻の先にある。日本でいえば、銀座や新宿のオフィス街のすぐ横にあるようなものである。この前例のない記念碑が、なぜこのような街のど真ん中にに建設されたのか、公式のパンフレット(日本語版もある)には次のように説明されている。
ベルリンの中心であり、各国大使館、各種文化施設、オフィスビル、住居ビル、ティーアガルテン公園に隣接するこの場所は、記念碑が公共のものであることを表しています。ベルリン市の歴史的な都市空間や議会・政府地区に位置していることは、記念碑が国と民間社会に向けてつくられたものだということの顕れなのです。
このホロコースト記念碑だが、完成までの道のりはまさに紆余曲折の連続だった。ジャーナリストのレア・ロッシュがこの記念碑の建設を提案したのは1988年、まだこの場所に壁がある時代だった。記念碑設計の公開コンペが繰り返され、ニューヨークの建築家、ペーター・アイゼンマンの案が採用されることになったが、連邦議会が記念碑建設と財団設立を決定したのは、最初の提案から11年後の1999年になってからのことだった。しかし、「ナチスの犠牲者には(ジプシー系の)シンティやロマ、同性愛者といった人々もいるのに、なぜユダヤ人『だけ』に捧げる、これだけ大規模の記念碑を作らねばならないのか」という批判は消えることがなかった。
ようやく工事が始まったのは2003年の4月。しかし、その年の10月に一旦工事はストップしてしまう。コンクリートの液化装置と石碑の落書き防止に関わっていたDegussa社が、ナチス時代、ユダヤ人殺害に使われたチクロンBを製造していた会社の姉妹会社であることが判明したのである。責任者のレア・ロッシュは多くの非難を浴びたが、しかし結局、その会社との作業は続行することになる。
2003年末に工事が再開すると、ここからは早かった。2004年の12月に最後の石碑が設置されると、翌2005年の5月12日、ついに一般公開が始まった。奇しくも今年は、あのアウシュビッツ強制収容所の開放から60年、そしてドイツとイスラエルの国交樹立から40年という記念の年だった。
続きはまた次回に。
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エルサレムに行ったときに、丘一面に同じような形状・大きさの墓石が並ぶ墓地を見ました。色はもっとクリーム色っぽい明るい色でしたが。
それにしても凄まじい記念碑ですね。そしてこのコンクリート色や無機質に反復される形状が、皮肉にもイスラエルが建設中の「壁」を想起させてしまうという・・・
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エルサレムにはYad Vashemというホロコースト記念館がありますが、smacksさんはあそこにも行かれたのでしょうか。ベルリンのユダヤ博物館とは比較にならないくらい、強烈な内容だと聞いたことがあります。イスラエルの壁については、5月に観た「壁」というドキュメンタリー映画でその現実をおぼろげながら知ることができましたが、一般にはあまり話題に上らないのが逆に恐いですね。
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あ、ここで前に鬼ごっこしたらチョーおもしろかった!(って、おもしろいとかって言っていいのかな?)
韓国の何かの雑誌で、今じゃベルリンでの待ち合わせはここの何列目も何番目ってなっている、、、とかって書いてあった。
誰がしてんだ!そんなこと。笑えた。
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確かに鬼ごっこには最高の場所でしょうが・・いや、ダメですそんなことしては!狭いので、勢いよく駆け回ったら、コンクリートに頭ぶつけます。石碑は4メートル以上の高さのものもあるので、落ちたらまず死ぬでしょうし。その雑誌に書いてあることすごいですね。石碑は全部で2711基あるので、ちょっと間違えたら、会うだけで半日ぐらいかかったりして・・
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こんにちは、はじめまして。havigoと申します。いつも楽しく拝見させて頂いております。
何年か前に日本での「ホロコースト展」に行った事があります。収容されていた子供たちが描いた絵なども展示されていて、戦争の恐ろしさを忘れない為にもと、その画集を購入しました。
ドイツの戦争を忘れない努力にはいつも感心させられます。
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havigoさん、はじめまして。ブログ拝見しました。フィーゴが本当にお好きなのですね!私は3年前、たまたま訪れたミラノでACミランの試合を観戦することができたのですが、ルイ・コスタを間近で観れてとても感激しました(フィーゴではありませんが・・)。強制収容所の子供たちが描いた絵は、プラハのユダヤ人墓地で観たことがあります。ベルリンに住んで、ドイツ人の過去への取り組み方を見ていると、いろいろ考えさせられるものがありますね。またブログでも書くつもりです。