ミヒャエル・ギーレン指揮の「ミサ・ソレムニス」

ベルリン・フィルがアジアツアーに出かけていることもあって、少々華やかさに欠ける今月のフィルハーモニーだが、巨匠指揮者のミヒャエル・ギーレンがベートーヴェンの大作「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)」を指揮すると知り、喜び勇んで聴きに出かけた(14日。フィルハーモニー)。
本当にすばらしかった。ギーレンが指揮する音楽のなんと清々しかったことだろう。冒頭の「キリエ」から涙ものの美しさだった。この人の指揮ぶりは、大げさなジェスチャーとは無縁で、無駄な動きが見事にそぎ落とされた簡潔なもの。しかし、そこから紡ぎ出される音楽は常に生き生きとしていて、各声部はくっきりと浮かび上がる。響きは透明極まりないのだが、それでいて冷たさとも皆無なのには驚いた。最近一番生で聴いてみたかった曲を、こういう演奏で聴くことができて幸せだった。
さて、この曲についてもう少し書かせていただきたい。ミサ・ソレムニスという曲は、かの第9交響曲とほぼ同時期に作曲された、ベートーヴェンの最後の大作のうちの一つなのだが、その存在は第9に比べると一般的にはずいぶん地味である。コンサートでの演奏頻度は、おそらく第9の100分の1にも満たないのではないだろうか。私にしても、第9は今まで何回聴いたかわからないし、実際に演奏に参加したこともあるが、ミサ・ソレムニスの方はこれまで縁がなく、じっくり聴くようになったのは、ここつい最近のこと。
宗教曲ということもあるが、第9に比べてミサ・ソレムニスが地味な理由は、その曲の終わり方にもあるのかもしれない。苦悩から始まり、最後はハッピーエンドで終わるという第9の構成のわかりやすさ。長い曲だが、あの輝かしく派手な終楽章を聴き終えたころには、誰もがカタルシスを感じてしまう。
それに対して、ミサ・ソレムニスの最後の曲”Dona nobis pacem(私たちに平和をください)”は、ちょっと変わった終わり方をする。その前は静かな音楽だったのが、突然軍隊ラッパが鳴り響くと、戦争が始まったかのように騒然としてくる。逃げ惑う人々の苦しみを表現していると思われる音楽。合唱はその間もずっと「私たちに平和をください」と歌い続け、実際に平和が訪れたのかどうかよくわからないまま、最後は意外なほどあっさり終わってしまう。
いわば、ベートーヴェンらしくないのだが、これについて論じた音楽評論家の吉田秀和さんの見事な文章があるので、その最後の部分をここに引用させていただきたい。最後の戦争の部分は、ナポレオンのウィーン侵攻という、ベートーヴェンが同時代に体験した「現実」だというのである(この文章の全文は、最近出版された「たとえ世界が不条理だったとしても―新・音楽展望 2000-2004」で読めるはずです)。

この曲はその現実(ナポレオンのウィーン侵攻)と向き合う形での創作である。もちろん崇高で力強い信仰の表現にも欠けていないが、終楽章のこの「内と外との平和への祈り」の切実さには前代未聞のものがあった。第9は人類の理想の輝かしい表明だが、荘厳ミサ曲は人類の厳しい現実を率直に受け止めた上での祈りの音楽で、ベートーヴェンという人は理想と現実の両方から目を離さなかった、大事なのはこのことだと思う。
理想の追求、その謳歌はよいけれど、それ一点張りで理想しか目に入らず遮二無二突っ走ることは独りよがりの傲岸、他人への無理強いになりやすい。理想と信念の正しさだけでの行動がどんな恐ろしい結果を生むのかは、冷戦時代に私たちが散々経験したことなのに。

この文章が朝日新聞に発表されたのはイラク戦争最中の2003年の4月。吉田さんが暗に批判しているのは、アメリカのブッシュ政権であることはいうまでもない。ベートーヴェンの音楽は今もリアリティーを失っていないということが、こういう文章を読むとよく感じられる。
EuropaChorAkademie
Luxembourg Philharmonic Orchestra

Michael Gielen DIRECTION
Luba Orgonášová SOPRANO
Birgit Remmert CONTRALTO
Christian Elsner TENOR
Bjarni Thor Kristinsson BASS
Ludwig van Beethoven Missa Solemnis
クレンペラー/ベートーヴェン:荘厳ミサ曲/TOCE-59103クレンペラー/ベートーヴェン:荘厳ミサ曲/TOCE-59103
¥1,700



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