ワールドカップの終わりを告げる垂れ幕。ベルリン中央駅にて(7月11日)
ベルリンは連日うだるような猛暑が続いています。日本はもうそろそろ梅雨が明ける頃でしょうか。
さて、「ベルリーナーになるための100の問い」もかれこれ7回目。今回のテーマはベルリンの「音楽」と「特異なものごと」についてです。
X. Musik(音楽)
80. デヴィッド・ボウイはベルリン時代どこに住んでいた?
81. Jan Ulrich, Max Vetter, Dirk Felsenheimer und Hans Rungeは1982年に何という名前のバンドを結成した?
82. 「とどまるために来た」のは誰?
(Wer ist gekommen, um zu bleiben?)
83. ヴィルマースドルフの未亡人が今でも同じ地下鉄に乗っているのはどこ?
84. 特別列車に乗ってパンコウ(Pankow)に行こうとしたのは誰?
XI. Besonderheiten(特異なものごと)
85. コンラート・ツーゼ(Konrad Zuse)が1936年に発明したものを今日まだ見ることができるのはどこ?
86. ベルリンのワイン生産地を3つ挙げよ。
87. 警察官が犬のフンで滑ったために当初捕まらず、1994年4月22日にハーゲドルン通り(Hagedornstraße)の電話ボックスでようやく逮捕されたのは誰か?
88. Hauptstraße(中央通り)という名前の通りはベルリンにいくつある?
89. 交差点に今でも残っている東ドイツ時代のものは何?
90. 本当かウソか?ツォー動物園のパンダには、子供を作るための指南書としてパンダのポルノを見せる。
それでは解答です。
X. Musik(音楽)
80. デヴィッド・ボウイ(David Bowie)は1976年から79年にかけて、シェーネベルクのHauptstraße 155 に住んでいた。
81. Jan Ulrich Max Vetter (Farin Urlaub), Dirk Felsenheimer (Bela B.), Hans Runge (Sahnie) の3人は1982年に“Die Ärzte”というバンドを結成した。
82. バンド“Wir sind Helden”(直訳すると「オレたちはヒーローだ」)は、”Gekommen um zu bleiben”(とどまるために来た)をヒットさせた。
(ベルリン出身の人気バンドです)
83. ミュージカル“Linie 1”で、ヴィルマースドルフの未亡人は今でもグリップス劇場(Grips-Theater) で地下鉄に乗っている。
(この地下鉄を舞台にしたミュージカルは4月に観る機会がありました。また別の機会にご紹介しましょう)
84. ウド・リンデンベルク(Udo Lindenberg)は “Sonderzug nach Pankow”(パンコウ行きの特別列車)という歌を歌った。
(東ベルリン出身のウド・リンデンベルクは、政治的メッセージの強い曲を数々発表してきました)
XI. Besonderheiten(特異なものごと)
85. 科学技術博物館では、コンラート・ツーゼ(Konrad Zuse)によって初めて開発されたコンピューター“Z 1”を見ることができる。
(TU Berlinのホームページより。1936年の写真。「彼の最も重要な業績は、1941年に世界初の完全動作するプログラム制御式コンピュータ Zuse Z3 を完成させたことである」ウィキペディアより)
86. ワインはクロイツベルク、ノイケルン、シェーネベルク、ウェディング、ヴィルマースドルフで作られているが、商業用ではなく、公園や学校の庭でという程度のもの。
87. デパートの恐喝者、アルノ・フンケ(Arno Funke)またの名前Dagobertは、1994年4月22日に逮捕された。
(1988年から94年にかけて、KaDeWeやKarstadtなど、数々のデパートに爆弾を仕掛けては大金を巻き上げた、ドイツの犯罪史上稀に見る人物らしいです)
88. ベルリンにはHauptstraße(中央通り)が7つある。 パンコウ(Pankow)に3つ、 リヒテンベルク(Lichtenberg)に2つ、 シェーネベルク(Schöneberg)とシュパンダウ (Spandau)に1つずつである。
89. 交差点で見られるアンペルマンと緑色の矢印は、DDRの置き土産である。
(アンペルマンはもはやベルリンで一番の有名人かもしれません。アンペルマンにちなんだグッズは、ベルリン土産の定番になりました)
90. ツォーのパンダのヤンヤンは子供を産まなかったので、いろいろな試みがなされた。パンダのポルノを見せるということはなかったが、中国の動物園では行われている。
(本当か??)
さて、残るはあと1回。どうぞ最後までお付き合いくださいませ。
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知っている地名が出ているので思わずコメントです。
シェーネンベルグは、弟が結婚前に住んでいた所。
パンコウは、今住んでいます。
どちらもその界隈を歩き回りました。
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デビットボウイはベルリンに住んでいたのですね。
知りませんでした。
偶然ですが私の滞在していたのもシェーネベルクです。
(Kurfuerstenstrasse)
シェーネベルクのHauptstraße ということは
時期こそ違え(えらい違いですが)、
非常に近いところにいたわけですね。
ちょっと感激です。
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>lignpontoさん
私も最初に住んでいたのはシェーネベルクでした。その後はヴェディング、今はクロイツベルクなのですが、考えてみたら東側には住んだことがないのです。
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>nozomuzさん
私の最初に住んだ家の最寄り駅も、Kurfuerstenstrasseでした。トルコ人経営のマーケットなども多いですよね。町のど真ん中なのに静かだし、ポツダム広場にも近くて何かと便利でした。飲食店はあまりなかったですが。