自分の誕生日だった昨日、近所に住むDDR出身の友達の家で夕飯をご馳走になり、その後彼にちょっとしたインタビューを取らせてもらいました。彼(名前はJensといいます。現在37歳)は1986年から1991年まで、東ベルリンにあった当時の3つの高級ホテルでウェイターとして働いていたのです。特に壁崩壊に至るまでの3年間の話を、いつかゆっくり聞いてみたいと思っていたのでした。
話し出したら止まらない人なので、3時間聞きっぱなしは大変でしたが^^;)、やはり面白い話はたくさん聞けました。当時のホテルの裏話からDDRの人が西側世界の物にどんなに憧れたか、壁崩壊に至るまでの1989年の心の移り変わり、あの夜人々はなぜ壁に殺到したのか、再統一後DDRの人々が経験した苦悩に至るまで、話は実にリアルで心に迫ってきました。当然のことながら、前回インタビューしたメヒティルトさんとはあらゆる意味で状況が違いますが、こちらももうひとつのベルリンの真実です。少し時間はかかりそうですが、そのうちぜひまとめたいと思っています。
写真はその3つのホテルの伝票です。左から順に、このブログでも以前取り上げた「ホテル・ウンター・デン・リンデン」、この8月に20周年を迎えたグランドホテル(現Westin Grand)、そしてやはり高級ホテルだった「メトロポール」。紙の質がどういうものだか、なんとなく伝わるでしょうか?イェンスはいまだに捨てられないらしく私にくれたのですが、こんなものでも自分にとってはなかなかの誕生日プレゼントになったのでした。
参考:
“Good Bye Hotel Unter den Linden!”
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このインタビュー記事もメヒティルトさん同様期待しています。西の本当の状況をどのように知ったか、統合後描いていた姿と現実のギャップはどうだったかなど特に関心を持ってます。
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あ、今ちょうどミクシィにこのこと書いたばっかだよ。
いやいや、ご苦労様でした(笑)。
おそろしく時間がかかりそうだけど、めげずにまとめてね!
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「あの夜人々はなぜ壁に殺到したのか、」
はじめまして。この言葉で、あの当時のことを思い出しました。
崩壊から1ヶ月経ったかな?という、夕方のごったがえす新宿駅構内。
といっても、今ほどきれいではなく、あちこち工事中の鉄骨がむきだしのままの構内でした。
急ぐ私の前に立ちはだかるように立っていた青年がいました。
くたびれたジャンパーにズボン、重そうなリュックを背負って、右手の握りこぶしをいきなり差し出して、分けのわからないことばを言い始めました。
手に握り締めていたのは、ビニール袋に入った石ころでした。
そのあと、リュックから、ベルリンの壁の上に立つ彼の写真を見せ、3,000円で買わないかと言ってきました。
リアルタイムに行われている現実に、私はなにも言わず、お金を差し出して中央線のホームへと急ぎました。
当時、小学生だった子供たちは、現在あの当時の青年と同じくらいに成長しています。
あのドイツ人の青年は今頃どうしているのでしょうか。。。。
忘れていた光景をふっと思い出しました。
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ほぼ同じ時期に西側に居た自分としても、どんな話が聞けるのか、非常に興味あります!当時、東でチョコレートケーキを食べたら、カカオが少なくて、ただ甘ったるいだけの、ひどい味でした。一流ホテルだからと言って、よい印象はありませんでした。
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>ひろとさん
おっしゃっていることは、彼の話にやはりたくさん出てきます。録音もしたのでこれからゆっくり聞き直すつもりです。
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>KIKIさん
いやいや、ご協力ありがとうございました。
次から次へのいろいろな話が出てくるので、途中から目が回りそうでしたが(笑)、夏の宿題だと思ってまとめるつもりです^^;)
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>SSFWさん
はじめまして!
大変印象的なエピソードを聞かせていただきありがとうございます。
その青年はベルリンの人だったのか、あるいはたまたま壁の崩壊を経験したただの旅行者だったのか、背景が気になるところですが、新宿駅でいきなり壁のかけらを売りつけてきたというのが実に印象的です。
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>gramophonさん
リアルタイムであの時代を経験されたgramophonさんはもちろん、このテーマに関心のある方は少なくないようですね。彼の話を聞いていくうちに、これはさらっとまとめられるものではないということがわかってきました。少し時間はかかりますが、待っていてください。
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おくらばせながら、はっぴーばーすでーとぅーゆー♪
お誕生日おめでとうございます!!
これからももーっとすてきな年になりますように☆
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ベルリンには興味のある話題には事欠かないようです.永井清彦氏の現代史ベルリンという1990年に増補版が発行された古い本を読んでいたら,瓦礫が人工の山になって,Grunewaldの中のTeufelsbergという標高120mある山だと書いてありました.ParisのMont Martreが標高130m,東京では愛宕山や飛鳥山は25~27mの山ですから,焼け野原になった東京と違い,瓦礫が大変だったことが想像されます.
Moskva行きがZoo駅から出るのも面白いです.写真見せて頂き有り難うございます.
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>Kamanoさん
Teufelsbergは以前触れたことがありますが、ベルリナーの間ではよく知られているようです。機会があったらぜひ登ってみたいと思います。
モスクワ行きの列車がZooから出るのは私も意外でした。
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住居が西ベルリンにありましたから、この3大ホテルに宿泊することはありませんでしたが、仕事柄来客に会いに頻繁に出入りしました。
グランドホテルは東ドイツ政権末期に出来た、当時西ヨーロッパでもこんな贅沢なホテルはもう造らないだろうと噂されていた、鹿島建設が造った超豪華なホテルでした。
映画『ボーン・アイデンティティ』でもグランドホテルが使われましたね。
最も利用したのが、帰国直前に外貨ショップに併設された高級品売り場で、机の引き出しに溜まっていた膨大な東ドイツ・マルクで買い漁ることでした。
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第三市民さんのように、お仕事で東と西を往復する生活をされていた方にとってはこのインタビューは間違いなく興味深いと思います。が、なかなかまとめる時間が取れず、ここにアップできるのはもうしばらく先になってしまいそうです。すみませんが、それまでどうかお待ちください!
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昨年の記事にコメント失礼します。ウェイターさんのもっておられたHotel Metropolの文字を見てなつかしくて!1979年12月年末に滞在した
ホテルでした。夜はお湯がでなくなり、水シャワーという設備はおそまつなホテルでした。翌日、今は亡き岩城宏之さん指揮でベルリン放送響ベートーヴェン第9を聴きました。岩城さんも同じホテルに滞在しておられました。
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>Urlichtさん
Hotel Metropolに滞在された方のお話、貴重です!ありがとうございます。
当時はまだコンツェルトハウスはオープンしていなかったから、岩城さんはどこで指揮されたのでしょうね。このインタビュー、何とか夏までにまとめてアップしたいと考えております。そのときはまたコメントいただけるとうれしいです。