ノイケルンでの第2アドヴェント – リクスドルフという場所 –

先週日曜日の第2アドヴェントは、先日告知したようにノイケルン地区のリヒャルト広場(Richardplatz)のクリスマスマーケットに行って来ました。
このリヒャルト広場周辺はノイケルン(Neukölln)の中でも古くからリクスドルフ(Rixdorf)と呼ばれる、実は非常に歴史ある場所なのです。Richardsdorp(リヒャルト村)という名前でこの場所が文献の中に登場するのは、何と1360年まで遡ります。文献上のベルリンの起源が1237年と言われているので、ベルリン全体でも最古の部類に入る地域と言って全く過言ではないわけです。RichardsdorpはやがてRieksdorfへと名前を変え、現在のRixdorfと呼ばれるようになります。
リクスドルフを有名にしたのは、何といってもボヘミア人とのつながりです。1737年、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、プロテスタントを信仰するゆえに祖国を追われたボヘミア人がリクスドルフに居住することを認めます。周辺にボヘミア教会が建てられ、1797年にはボヘミア・リクスドルフとして、独自の管轄を認められるようにさえなるのです。今でもリヒャルト広場周辺には、「ボヘミア広場」や「ボヘミア通り」があります。
1874年には「ボヘミア・リクスドルフ」とドイツ人の住む「ドイツ・リクスドルフ」が合体し、1912年にリクスドルフからノイケルンへと地区名が変更。1920年のいわゆる「大ベルリン」によって、ノイケルンは周辺地域を統合した一大地区へと発展します。
ノイケルンについてのWikipediaの記事を参考に長々と述べてきましたが、こういったことを知っておくとリヒャルト広場の見え方が違ってくるかもしれません。それは、リクスドルフのドルフ(村)としての性格です。現在は普通の住宅街ではありますが、それでも村だった頃の雰囲気をどこかで残しているのです。正面のベツレヘム教会は元々は15世紀のかわいらしい教会で、右隣のアパートは20世紀初頭に建てられた壮麗なアパート。古そうな居酒屋も何軒か見かけました。この広場周辺の建物の多くは、現在文化財として保護されています。
広場の中ほどに古ぼけた工房のような建物がありました。何だろうと思って中に入ってみると、小気味よい金属音が聞こえます。
何とここは、1624年創業というベルリン最古の鍛冶屋(Rixdorfer Schmiede)だったのです。このおじさんは金属の棒を火であぶり形を変えながら釘を作っている最中で、ようやく1本作り終えると、こちらを向いて得意そうな笑顔を振りまいてくれました。
その鍛冶屋の横にある公園では、馬だけでなく何とらくだの体験コーナーがあり、子供たちがはしゃいでいました。このらくだ、ツォーの動物園から借りて来たのかな?
後ろに見える納屋のような古い建物が何なのか気になりました。やはりここはかつて村だったのです。
広場の中央にあるインビスのデザインも面白い。
かれこれ1時間半近く見て歩き、夕暮れの到来と共に人の波は勢いを増してきました。リクスドルフのマーケットは毎年第2アドヴェントの週末のみの開催で、この日が最終日だったのです。
今までベルリンのいろいろなクリスマスマーケットを見てきましたが、このリクスドルフのは間違いなく一番よかったもののひとつです。規模が大きく見ごたえがあり、食べ物も飾り物も手作りが多い。明かりは自然光なのでけばけばしさがなく、出店のテントは簡素ですが、周囲の雰囲気とよくマッチしていました。何より、昔のマーケットもこんな感じだったのかなと思わせる素朴さがあります。
ノイケルン地区に対してあまりいいイメージをお持ちでない方は、一度リクスドルフに来てみることをおすすめします。私もまた散歩に来るつもりです。



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