計5つのつまずきの石が埋め込まれた後、集まった付近の住民を囲んで小さなセレモニーが始まった。前回ご紹介したグンター・デムニッヒ氏は、いつの間にかその場から姿を消していた。
ヴェディングの教区の牧師コンスタンツェ・クラフトさん(右)と区長と思われる人がそれぞれ挨拶、それから石の周りに花を添えた。かつてここに住んでいた5人の犠牲者のことを、「われわれの隣人」と呼んでいたのが印象的だった。
その後、女性の歌い手が出てきて、明るいテンポの歌を2曲ほど披露していった。これがつまずきの石やユダヤと関係がある歌なのかどうか、聞いておくべきだったと後になって思う。
牧師のクラフトさんに少し話を聞いた。
このつまずきの石プロジェクトは教会がイニシアチブを取ることが多いのだという。それはキリスト教会が第2次大戦中の強制収容所に送られたユダヤ人を救えなかったことに対して罪の意識を抱いていること。そして、昔から戸籍票は教区が管理しているという実務的な理由も関わっている。犠牲者の遺族からつまずきの石を埋めてほしいという依頼を受けると、戸籍などから彼らが当時どこに住んでいて、その後どういう運命をたどったのかを調べる。必要な場合は遺族などに手紙を書いて情報提供を求める。実際に石を埋めるまで、半年から1年近くかかるそうだ。つまずきの石プロジェクトが、募金のみで賄われていることもそのとき知った。
アウシュヴィッツへの旅はまだ終わらない。
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はじめまして・・・だいぶ以前から楽しみに読ませていただいております。もう何年も前、ベルリンに首都が移る直前に、両親・・・特に父の希望で、ベルリンを訪れ、PotsdamやWittenbergなどにも足を延ばしましたが、私の勉強不足から、ベルリンの歴史のこれっぽっちも見せてあげることができなかったのが悔やまれます。Masatoさんの、あらゆることに対して掘り下げたブログを読ませていただくたび、今度は父に色々説明できるかもしれない・・・と思っております。ありがとうございます。
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アウシュビッツ絶滅収容所からつまずきの石へ・・・。訪問記、興味深く拝見しました。 つまずきの石がこのように一つ一つ埋められていたこと、ベルリンでは1996年からはじまった、ということに驚きでした。
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>TanteOLさん
はじめまして!コメントありがとうございます。
ベルリンの歴史は大変深く、また複雑なので、人に説明するのはなかなか容易ではありません。私もガイドをするときは、どうすれば興味を持ってもらえるかいつも苦労していますよ。機会があったらぜひまたベルリンにいらしてくださいね。
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>いっさいがっさいさん
コメントありがとうございます。
>つまずきの石がこのように一つ一つ埋められていたこと、
このように周到に準備されて埋められるものだとは、僕も知りませんでした。ベルリンはまだ寛容なのでいいですが、ドイツの中にはつまずきの石を埋めることを認めていない町もあると知って、ちょっと驚きました。