1945年5月初頭、ベルリンの帝国議会に掲げられるソ連の赤旗の写真。20世紀を象徴する1枚といって過言ではない、この写真を見たことがない人はあまりいないだろう。一方で、この写真を撮った人物の名前を知っている人は、果たしてどれだけいるだろうか。「ソ連のロバート・キャパ」(?)こと、エフゲニー・ハルデイ(Jewgeni Chaldej)の大規模な回顧展を、マルティン・グロピウス・バウで観てきた。
1917年、エフゲニー・ハルデイは、現ウクライナのドネツク近くの村でユダヤ人の息子として生まれた。直後のポグロムで母親が射殺され、1941年にはドイツ軍により残りの家族も殺されるという悲劇に遭う。すでに12歳でカメラを自作し、1936年からはタス通信の写真レポーターとして活躍するようになる。
第2次世界大戦では最初兵士として、後には少尉としてソ連軍に同行する。その過程で、ドイツ軍の退却とソ連赤軍の進軍をカメラに収めた。ソフィア、ブカレスト、ブダペスト、ベオグラード、ウィーン、そしてベルリン(以上展覧会のパンフレットを参照)。
この写真は、1945年1月、ブダペストのゲットーで撮られたユダヤ人の生き残りの夫婦を収めたもの(http://www.chaldej.deなどから借用)。
1945年4月、赤軍はついにベルリンに侵攻する。そこには、63年前のクロイツベルクの私の近所の様子が鮮明に写し出されていた。もしこの写真展を観に行くことがあったら、これらの風景が当時どうなっていたのか見比べてみていただきたい。左上から右下に向かって、メーリンク広場、U1の高架下(ハルデイの写真では、道路に死んだ女性が横たわっている)。左下のFinanzamt(税務署)とその隣のメーリングダム駅前の教会の風景(ソ連の戦車がその前を通っている)は、当時とほとんど変わっていない。それだけにリアルだった。
参考記事:
「舞台・ベルリン」 - 占領下のドイツ日記 – (2006-07-15)
ハルデイはその後のポツダム会議(上の写真。中央にヨシフ・スターリン)とニュルンベルク裁判において、ソ連の公式カメラマンとして数々の貴重なドキュメントを残した。ニュルンベルク裁判の写真は、ベルリンで知り合った盟友ロバート・キャパから贈られたカメラで撮ったという。特にヘルマン・ゲーリングを間近でとらえた数点の写真など、鬼気迫るものを感じずにはいられない。
戦後、ベルリンで最初に発行された新聞に群がる市民たち(残念ながら年月を失念)。
これは1945年5月、ソ連兵がドイツ帝国議会に残していった落書き。
この歴史的なグラフィティー(落書き)については、近々別の場で取り上げるつもりなので、じっくり眺めて記憶に留めておいてもらえたらと思います。
ハルデイは戦後もソ連でカメラマンとして活躍するが、キャパやベルリン生まれのヘルムート・ニュートンのようなスターになることもなく、ソ連崩壊後もひっそりとした余生を送っていたという。このハルデイを事実上「発掘」したのが、クロイツベルクで小さな写真エージェントを営むエルンスト・フォラント(Ernst Volland)だった。1991年、彼はベルリンの使節団とモスクワを訪れた際に、ハルデイと知り合い、その写真に興味を持った。当時ハルデイは、月額20ユーロの年金でプラッテンバウのアパートに暮らしていたという。フォラントはその後何度かモスクワに出向き、本人からオリジナルの写真を見せてもらい、当時の話を聞き、やがて写真の権利を買い取った。ハルデイの記憶は恐ろしく鮮明で、写真に写っている兵士の名前1人1人を覚えているほどだったという。その努力の甲斐あって、1994年には、ベルリンのノイケルンで初の展覧会が開かれた。おそらく本人も喜んだに違いない。その数年後の1997年10月、ハルデイは80歳でこの世を去った(以上、5月7日のBerliner Zeitungの記事を参照)。
400点以上のオリジナルの写真を集めた、大規模な回顧展としては世界初のこのハルデイ展は7月28日(月)まで。われわれが観るべき写真がここにある。興味のある方はどうぞお急ぎください。
Jewgeni Chaldej – Der bedeutende Augenblick.
Eine Retrospektive
Ort: Martin-Gropius-Bau
9. Mai bis 28. Juli 2008
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マサトさん(と今後お呼びします)、これはまたエキサイティングな回顧展ですね! ベルリン以外ではなしえない大々的、意欲的な企画だと思います。この赤旗を持った兵士の写真についてはかつてからいろいろと議論のある作品ではあるものの(撮影の経緯、及び作品そのものなどなど...貴地で話題になっていますか?)、象徴的意義は強烈ですね。このハルデイですが、ソ連の対日参戦にも従軍し、満州の状況を撮影した貴重な作品もあるようで、今回初めて以下のサイトでそれを見ました(下のほうにあります)。
http://2photo.ru/2008/05/09/print:page,1,evgenijj_ananevich_khaldejj__odin_iz_samykh_znamenitykh_fotoreporterov_vojjny_proshel_s_kamerojj_ot_moskvy_do_berlina_ego_snimki_pechatali_vse_centralnye_gazety_strany.html
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これらは満州における関東軍の武装解除の写真とか、哈爾濱(ハルピン)占領の様子とかですね。やはり兵士が赤旗(でしょうね)をかかげている写真は(旧)ハルピン駅ですね。このハルピンという街の成立を考えると、このハルピン駅に赤旗を掲げるというのはベルリンの帝国議会に赤旗を掲げることと等しい意味合いがあるように思います。ハルデイもそれを狙って撮影したのでしょうね。ベルリンの写真と見事に呼応していると思いますよ。実は5月に始めてハルピンに行きましたが、あそこは世界有数の「幻影都市」ですね。「幻影都市」っていうのは、西はベルリン、東はハルピン...これにとどめを刺しますね。先日の哈爾濱(ハルピン)滞在についてまとめたいのですが、時間の余裕がありません(笑)。
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ハルデイという人の名前を初めて知りました。
赤旗を掲げるソ連軍の写真は見たことはありますが、
他の写真も、すご~く印象的な写真ばかりですね!
日本でも写真展、やらないかしら☆
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la_vera_storia_様。ベルリンとハルビンを一緒にしてもらっては困ります。ベルリンでは赤軍からすれば侵略者に勝ったと言うことでしょうが、ハルビンではソ連軍こそが侵略者です。青蔵鉄道は東清鉄道を思い出させます。 仏印(ベトナム、ラオス、カンボジア)に戻ったフランス軍や蘭印(インドネシア)に戻ったオランダ軍のように内戦までいかなかっただけましですが、ロシアも中国も帝国主義です。
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Kamanoさん
ソ連軍に従軍して、あくまで「自称解放者」である「ソ連の立場」と「ソ連の視点」と「ソ連軍の眼」で当局の命令による仕事としての写真を撮ったカメラマンがいる...彼が撮った街はブダペスト、ソフィア、ベルリン、ハルピンなどなと...そういう事実です。ハルデイはそうやって仕事をしたわけです。第三帝国の首都であれ「偽満州国」の都市であれ、そこを占領したソ連軍が第三者的、歴史的、客観的な視点で解放者であったか征服者であったか侵略者であったかはここの問題(ハルデイの作品)ではないわけです。
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ハルデイの記録作品が「自称解放者の視点」の限界を突き抜けているかといえば、写真という媒体の限界はあれ、記録としてもそういえる作品はあるように見えます。それを見せたいというのがこの回顧展企画者の意図のようにも思います。戦時における宣伝媒体で当局に期待されている範囲をそれとは異なる意味で突き抜けた表現に成功したものでしたら、日本人の作品でしたらやはり藤田嗣治の「アッツ島玉砕」、これでしょうかね、もちろん絵画ですが。
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私も見に行きました。まだベルリン生活が短い私でも、あ、これはあそこだ、と分かるものがいくつかあり、ぞっとするような、なつかしいような不思議な感覚を味わいました。ゲーリングも印象的でしたし、彼の故郷の風景写真も不思議と眼に残っています。
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>la_vera_storiaさん
コメントありがとうございます!
>撮影の経緯、及び作品そのものなど
はい、このライヒスタークの写真がどのようにプロパガンダに活用されたかということが詳しく紹介されていました。背後の煙も、後から付け加えられたのだそうですね。
教えてくださったサイトの写真、興味深いものばかりで、今回の展覧会でも見られなかったものです。ロシア語なので、テキストが読めないのが残念ですが。ハルデイは愛国者だったそうですが、その写真は「当局に期待されている範囲を」明らかに越えていると私は感じました。
ハルビンに行かれたのですか!私にとっては全く未知の地です。「2つの幻影都市」についてのお話、いつか聞かせていただけるのを楽しみにしております。
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>shioさん
ハルデイは日本ではほとんど無名でしょうね。
展覧会も実現することがあるかどうか。
でも写真集は、日本でも出版する価値大だと思います。
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>Kamanoさん
戦争を個人の記憶として持っているKamanoさん世代の方の話に、若い世代はもっと耳を傾けなければならないと思います。歴史はこれからも勉強していくつもりです。
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>amiさん
>ぞっとするような、なつかしいような不思議な感覚
その感覚は何となくわかります。日頃見慣れている風景の日常性を剥ぎ取られたような、恐さも味わいました。
>彼の故郷の風景写真
それはちょっと記憶になので、私が見逃していたかも・・・。
あのゲーリングは印象に残りますよね。
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マサトさん、こんにちは。6月にベルリンにて大変お世話になりました。
あの短いベルリン滞在の中でこのマルティン・グロピウスバウで、マン・レイ展を見ていました。行って、このJewgeni Chaldej展とすごく迷ったのです。気になっていました。
こうして記事を拝読しまして、ああベルリンならではの大回顧展だったのだなと知りました、ベルリンに置いてきた忘れ物が実はこういうものだったんだよ、と、教えてもらった、そんな感慨を持ちました。
ところで、あのキャバレットにご出演なさっていた方のおひとりは、「ブリキの太鼓」に出演なさっていたタールバッハさんという方だったということを、後から知りました。いいものを選んでくださったのだなあと改めて感謝申し上げていたのでした。
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>Saさん
お久しぶりです。あの節はこちらこそ大変お世話になりました。ハルデイ展は、確かに「ベルリンならではの大回顧展」と言えるかもしれません。あの時点では、私もまだ勉強不足で残念ながらご紹介できませんでした。ぜひまたベルリンにいらしてくださいね。
>「ブリキの太鼓」に出演なさっていたタールバッハさん
あの映画に出演していた方とは知りませんでした。彼女はもともと東出身で、向こうの体制に反発して西に移った人のはずです。この前に新聞に小さなインタビューが載っていました。また彼女の舞台を観てみたいです。