掘り起こされたベルリンの「中世」

Petriplatzにて(8月19日)
今でこそ欧州屈指の大都市となったベルリンですが、そこに至る道のりは実はそれほど長くありません。街のオフィシャルな生誕年は1237年とされており、ローマ時代に起源を持つパリやロンドン、ウィーンがすでに栄えていた頃に、ベルリンはようやく産声を上げたのです。
ベルリンが世界都市へと変貌するのは、人口が爆発的に増加した19世紀後半以降のこと。今でも、街の過去を振り返るときに注目を浴びるのは、その後の第2次大戦や東西分断時代の現代史が中心で、壁博物館に面したチェックポイント・チャーリーは今でも観光客の波が絶えることはありません。中世のメルヘンチックな街並みを求めてベルリンに来る人はあまりいないでしょう。
1688年のベルリンの地図。赤いマークがペトリ広場
ところが、ベルリンの黎明期が今にわかに注目を集めています。発火点は街の中心部にあるペトリ広場(Petriplatz)。13世紀以来、ここにはゴシック様式のペトリ教会が建っていました。落雷や火災などで何度か建て直されていますが、第2次大戦で大きな損傷を受け、1960年代に旧東ドイツ政府が解体して以降は、ただの駐車場のようなスペースになっていました。
昨年、この広場の再開発を前にベルリンの考古学者グループが発掘をしたところ、驚くべきものが次々に見つかりました。ペトリ教会の土台部分のほか、当時の日常品、さらに教会周辺の墓場からはなんと1000体以上もの中世の人骨が発掘されたのです。そのうち最古のものは12世紀にまでさかのぼるとのことで、ベルリンが最初に文書に登場する1237年以前、すでにこの辺りに集落が存在していたことになります。これは考古学的に見て大発見と言えるでしょう。
注意深く掘り起こされる中世の人骨
この成果を重視したベルリン市は、発掘の期限を1年間延長することを決定。将来的に広場には新しい建物が立つものの、地上階部分は博物館に、また発掘現場をガラス張りにして見学できるようにするなどの方向でプランを進めていくそうです。ペトリ広場以外では、近々再建が始まる王宮の横にかつてあった13世紀末のドミニコ修道院跡でも来年から発掘が始まるそうで、今後貴重なものがさらに出てくる可能性は高いでしょう。
建設ラッシュで新しいものばかり注目されがちなベルリンの中心部に、突如現れた中世の人骨。21世紀の私たちに何かを語ろうとしているのでしょうか。
ドイツニュースダイジェスト 10月10日)



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