「国境の駅」 フリードリヒ通り駅の100年(1)

Bahnhof Berlin Friedrichstraße(1910年頃の絵葉書より)
2009年はドイツ連邦共和国の建国60周年にして、ベルリンの壁崩壊20周年。新聞でもそのテーマで大きな記事が組まれるなど、私は年頭から興奮する気持ちを抑えられずにいる(笑)。
昨年の夏、フリードリヒ通り駅の構内を歩いていたら、あちこちに駅の昔の写真が展示されているのを見つけた。これまで見たことのない写真が多く、私はしばらく夢中で眺めていたのだが、その時撮った写真を2回に分けてここで紹介しようと思う。壁メモリアルイヤーの冒頭は、ドイツの激動の歴史を眺め続けてきたこの駅からスタートしよう。
1914年の駅の改装前に撮影されたもの
駅の北側(1942年)。アドミラルパラストのほぼ正面の位置と思われる。
駅の南側(1957年7月5日)。蒸気機関車がアレクサンダー広場方面に発車する瞬間。この写真を5秒間じっくり眺めてから次の写真に移ってください。
上の写真とほぼ同じ地点から(2008年7月31日)。50年経っても、駅を囲む風景は大きく変わっていないことがわかる。ただしそれはごく狭い範囲での話。周辺の建物はこの15年で激変した。
再び50年前の駅の北側へ(1960年頃)。2階建てバスは東側でも走っていたのかとふと思った。戦後建てられた画面左側の建物は何だろう。
当時の女性の夏ファッションがなんとも・・・(1962年8月2日)
やがて姿を現す、東から西への出国所、通称「涙の宮殿」(1964年1月4日)。
この建物については以下の記事をご参照ください:
フリードリヒ・シュトラーセ駅の「涙の宮殿」 (2006-12-22)
壁のあった時代(上) – メヒティルトさんに聞く(5) – (2007-03-13)
1979年冬のある日。右手に人々の行列が見える。当時フリードリヒ通り駅唯一のタクシー乗り場がそこにあり、これはなかなかやって来ないタクシーを待つ人々の行列なのだと、当時をよく知る方から後で教えていただいた。
関連記事:
変貌するフリードリヒ・シュトラーセ駅周辺 – 壁建設の日に – (2008-08-13)
(つづく)



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