Gr.Hamburger Straßeにて(2月27日)
日本からのお客さんと一緒に歩いていると、「今自分がいるのは(壁のあった時代の)東側なのか西側なのか?」と聞かれることが少なくありません。大抵はすぐに答えられるのですが、そこがかつての壁際である場合、一瞬答えに詰まる時があります。ベルリンの壁というのは結構複雑に入り組んでいて、必ずしも地理上の東西と冷戦時代の政治区分上の東西が一致するとは限らないからです。そんな時、何度も私の道しるべになってくれたのがこれ。
そう、東独時代に造られたこの街灯です。いつからいつの間にどのくらい製造されたものなのかはきちんと調べていませんが、旧東地区でこのデザイン以上に見かける街灯は他にありません。しかもまだ多くの数が現役で活躍している。ミッテやプレンツラウアーベルク地区の少々ピカピカになり過ぎた感のある通りを歩いている時、このシンプルで古ぼけた街灯に出会うと、心なしかちょっとほっとするものがあります。
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マサトさん、お久しぶりです!
いやはや、今回の記事においてマサトさんが触れていらっしゃる感じ方ほど私の抱いている感覚と離れたものは今まであったような記憶がなく、世代の違いによる感じ方の違いかなあと思います。 まずこの街灯、これはあのNarva人民所有会社製のものです。ちなみに名前でリンクした写真をご覧下さい。これがDDR時代に実用として使われていた街灯のうちNarva社製のものです。この写真の右から2番目が今回マサトさんが記事にしていらっしゃる街灯ですね。
私はこのNarva社製の街灯を見て感じるのは、あの厳しかった政治状況下の東ベルリンの夜の不気味な闇を照らす即物的で寂しげな光...そういう記憶です。街灯の灯る夜は別れの時間です。マサトさんがホッとされるというこの街灯、これは同時に将来に向かっての出口がなかった状況下の街を照らす光、時には「権力による抑圧の恐怖」、「虚しさ」、「焦燥感」、そういった当時の私の体験を深く思い出させます。たびたび郷愁さえ抱いてDDR時代を懐古する私ですが、この街灯の存在に今に至るまで安堵感を感じた経験はなかったように思いますね。
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la_vera_storiaさん
お久しぶりです。コメントありがとうございます。
この街灯を見て「ほっとした気分になる」などと安易に書いたのは、ちょっとうかつだったなと思っています。2年ぐらい前でしょうか、クロイツベルクやノイケルン南の壁の道を歩いていて、どちらが西側なのか東側なのかわからなくなってしまうことがありました。その時道しるべになってくれたのがこの街灯で、見つけた時は確かに「ほっと」しましたね。でも、その時、当時東ベルリンを生きた人々の気持ちを思いやるところまではいかなかったようです。
DDR時代のことはもっと勉強しなければなりません。今後ともよろしくお願いいたします。