89年の「転換年カレンダー」ですが、毎日続けるのは相当大変ということがわかったので^^;)、歴史的に重要な出来事が起きた日、重要度はそれほど高くないけれども内容的に面白かった日を中心に訳していきたいと思います。
1989年9月30日(土)
大使館に逃れた亡命者が出国可能に
Am Abend verkündet Außenminister Genscher in der Prager Botschaft, dass die DDR-Flüchtlinge ausreisen dürfen. Auch die Flüchtlinge in der Warschauer Botschaft bekommen grünes Licht für die Ausreise. Die DDR bestätigte, dass sie in versiegelten Reichsbahn-Zügen durch die DDR in den Westen abgeschoben würden. Mehr als 5000 Menschen lebten zuletzt in den beiden Botschaften. Das „Neue Deutschland“ verkündet zwei Tage später, man müsse den Exilanten keine Träne nachweinen. Unter diesen Leuten befänden sich auch „Asoziale“. Auf Youtube ist übrigens die Tagesschau-Ausgabe vom 30. September 1989 abrufbar.
夜、外務大臣ゲンシャーは、プラハの西独大使館でDDR(東ドイツ)の亡命者に出国許可を告げた。ワルシャワの大使館の亡命者もまた、出国のゴーサインを受け取った。DDR政府は、彼らが隔離された帝国鉄道の列車に乗ってDDR経由で西側に追放されるのを承認した。ついに5000人以上もの人々が両方の大使館で生活していた。その2日後、「ノイエ・ドイチュラント」紙は「亡命者に対して涙を流す必要はない」と言い渡した。「彼らの中には『反社会分子』がいる」とも。ところで、YouTubeで89年9月30日の「ターゲスシャウ」の放送をアクセスすることができる。
プラハの西独大使館のバルコニーでの有名なシーンも、YouTubeの映像で見られます。
“Wir sind zu Ihnen gekommen, um Ihnen mitzuteilen, dass heute Ihre Ausreise…”
「私たちは皆さんに以下のことを伝えるためにやって来ました。今日皆さんの出国が……」(「西ドイツへの出国が可能になりました」という台詞が後に続くが、人々の大歓声にかき消されてしまう)