九州・山陽紀行(1) – 「のぞみ」で九州へ –

12月21日、新横浜9時49分発の「のぞみ17号」で一路西へ。今回の旅は、九州に住む妻の祖母を訪ねるのが目的で、帰りに何箇所か寄り道をすることになっている。久々に日本の長距離列車に乗れるとあって、うれしくてしょうがない。九州は4度目だが、これまではブルートレインが主で、新幹線で行くのは初めてだった。普通車でも足はゆったり伸ばせるし、十分過ぎるほど快適なのだが、車窓を楽しむにはさすがにちょっと速過ぎるかなとも思った。田子の浦付近での富士山の眺めは、まさに最高。だが、直前に片山右京さんの遭難事故のニュースを何度も見ていたので、複雑な感情も沸く。彼らが事故に見舞われた17日の夜は、横須賀でも不気味な音を立てて強風が鳴り響いていたのを思い出す。自然を甘く見てはならない。大阪を越えた頃、車内販売の弁当「牛すき重」で昼食。
それにしても博多まではあっという間で、疲れもほとんど感じなかった。斬新なデザインの「リレーつばめ17号」に乗り換えて、大牟田着15時59分。81歳のおばあちゃんが出迎えてくれた。新幹線があまりに速過ぎたために、関門海峡を越えたのも気付かなかったくらいなのだが、おばあちゃんとタクシーの若い運ちゃんとの生き生きとした会話のやり取りを聞いて、九州にやって来たのだという実感が一気に沸いた。駅前の「東洋軒」にておいしい大牟田ラーメンをいただいた後、おじいちゃんのお墓参り。戦後、シベリア抑留を経験し、語学に堪能でロシア語の通訳まで務めたのだそうだ。かなり若くして亡くなったために、妻は会ったことがない。
夜は近くの温泉に連れて行ってもらい、体が芯から温まる。家に戻り、コタツに入って、さらに石油ストーブに温まりながら、テレビを見る。ここに来るのは初めてなのに、どこか懐かしい感じがする。おばあちゃんからは昔話もいくつか聞いた。特に、1945年8月9日、玉名で農作業をしていた際、有明海の向こうに巨大なキノコ雲が広がるのを目撃したという話は印象深かった。もちろん長崎の原爆のことだが、当時はそんなこととは露知らず、遠くを眺めながら「きれいだな」と感じたという。「あれは正午前だった」と時間帯も正確に記憶していた。
この夜、忘れがたき人に「再会」した。私が中学1年の夏に九州を1人で旅した際、偶然泊めてもらった水俣に住むおじさんに電話したのだ(この経緯についてはこちらを)。このおじさんと直接話すのは21年ぶりだったが、「あの時の少年か!」とすぐにわかってくれたし、私も彼の声や話しぶりにピンとくるものを感じた。実は、おじさんは最近胃ガンにかかっていることが判明して、抗がん剤を投与してガンと戦っている最中だった。この2年ぐらいが勝負だという。話を聞いていくらか救いだったのは、代々不動産を営んでいて、経済的には困っていないということだった。おじさんは昔から旅好きで、壁がある頃のベルリンにも来たことがあるそう。私の本を贈ることを約束し、いつか再会できることを願った。
(つづく)



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