橋口譲二『Hof ベルリンの記憶』とプレンツラウアー・ベルク(1)

11月の半ば頃、写真家の橋口譲二さんからメールをいただいた。橋口さんの新しい写真集『Hof ベルリンの記憶』(岩波書店)の年内の発売が迫り、今回本に掲載されるある写真の現在の住所を調べてもらえないだろうか、という内容だった。メールに添付されていたのが上の写真(発売前にも関わらず掲載許可をくださった橋口さんには感謝申し上げます)。壁崩壊直後の90年代初頭、橋口さんがミッテやプレンツラウアー・ベルクを歩き回って撮影した膨大な写真の中の1枚で、凝った円柱が印象的なアルトバウのアパートが克明に記録されている。

橋口さんによると、シェーンハウザー・アレーのエバースヴァルダー通り駅の近くではないかとのこと。ある日の午後、U2のゼーネフェルダー広場から、シェンハウザー・アレーの左右を注視しながら北に歩いてみた。結局、北端のSバーンのシェーンハウザー・アレー駅まで歩き切ったが、件のアパートはついに見つからなかった。文化財としても価値あるこの古いアパートが取り壊されている可能性は少ないだろう。だが、プレンツラウアー・ベルクといえど広い。正直「これは結構な難題だな」と思った。

「ひょっとしたらシュターガルダー通りかもしれません。これで見つからなかったら諦めましょう」という橋口さんからのメールを頼りに、その数日後、シェーンハウザー・アレーから東に延びるStargarder Straßeを歩いてみた。なるほど、確かにゲッセマネ教会の周辺など、壮麗なアパートが多く構えている。橋口さんの写真のコピーを見ては建物を見上げ、ということを繰り返しながらゆっくり歩いた。だが、似ている建物にはいくつか出会ったものの、先へ進むにつれ、建物の造りは次第に地味になっていった。

このまままっすぐ歩いてもダメだと思い、右側のゼーネフェルダー通りへと折れてみた。そこですぐに出会ったのがこのアパート。円柱のある出っ張ったバルコニーが、橋口さんの写真のとよく似ている。ひょっとして・・・。が、ネオ・ルネサンス様式(?)の特色ある屋根の形がやはり違う。橋口さんが20年前に撮影したアパートに近づいているような、いやそうでもないような、漠然とした感覚を頼りにうろうろ先へと進んで行った。
(つづく)



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2 Responses

  1. 焼きそうせいじ
    焼きそうせいじ at · Reply

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    25年前、西ベルリンへ渡ろうとしていた時に、橋口さんの『ベルリン物語』に出会いました。それから数年後、畏友M.A.(ドイツ人)がベルリンを撮った写真集『壁のあとに』(たぶん入手不能です)の日本語訳を担当しました。彼と橋口さんが対照的な視点から同じベルリンを写しているのが興味深く、その後も橋口さんのお仕事を拝見していました。今度出るという最新作も、ぜひ読ませていただきます。
    Masatoさんの探検の続きも楽しみです。

  2. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    焼きそうせいじさん
    『ベルリン物語』は、若き日の橋口さんと分断時代のクロイツベルクとの出会いがあったからこそ生まれた名作だと思います。その橋口さんが、壁崩壊と共に今度は東になだれ込んだのはある種必然だったのでしょう。20年間、公にされなかった写真ばかりが集められているそうで、期待は膨らみます。『壁のあとに』もいつか機会があったらぜひ拝見してみたいです。先ほど続きの話をアップしたので、よかったらそちらもぜひご覧くださいね。

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