プロテスタント教会の暦では、第1アドヴェントの直前の日曜日を死者慰霊日(Totensonntag)と呼ぶ。毎年この日、ベルリンにある2つの火葬場が一般公開されるのが定例だそうだ。その数日前、たまたまそのことを地下鉄のテレビで知った私は、建築物としても評価が高く、以前から興味を持っていた火葬場の1つを訪ねることにした。
東の郊外、トレプトウ地区にあるSバーンのバウムシューレンヴェークの駅から徒歩15分ほど。両側に広大な墓地が広がり、バウムシューレンヴェーク・クレマトリウム(火葬場)の門が見えた。
キリスト教社会において、火葬の歴史というのは比較的新しい。それまでは主として土葬だったからだ。ヨーロッパで最初の火葬場がミラノに造られたのは1876年。ドイツでも、人口の急増による土地不足や衛生上の理由により、火葬場を造る動きが出てくる。このバウムシューレンヴェーク・クレマトリウムは、今からほぼ100年前の1913年に完成した。
その当時造られた三角屋根の古い門を抜けると、キューブを思わせる幾何学的なデザインを持つ、打ち放しコンクリートの斬新な建物が現れた。「首相官邸にそっくり!」というのが私の最初の感想。それもそのはず、1999年に再建された現在のクレマトリウムの設計者、アクセル・シュルテスとシャルロッテ・フランクは、ほぼ同時期に「洗濯機」の愛称を持つ連邦首相府や、「連邦の絆」と呼ばれる一連の建築群も設計しているのだ。
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大きな自動ドアが開いて中に入ると、そこは円柱がいくつもそびえ立つホール。屋根を支える柱の支柱には丸い開口があり、天井から入る光によって、静謐な空間が作られている。これほどコンクリートを多用しているのに、人工的な匂いがまるでない。私は森の中をさまようように歩いた。壁に沿った正方形の穴に敷かれたさらさらの砂は、砂時計の砂が落ちて、消え去った時間を象徴しているそうだ。ホールの真ん中の丸い池の上には、キリスト教において復活や実りのシンボルである小さな白い卵が浮かんでいる。その周りに葬儀を行うチャペルが計3つある。
とはいえ、このクレマトリウムではキリスト教の象徴である十字架はほとんど見掛けなかった。様々な宗教の儀式にフレキシブルに対応しているところが、多文化が混ざり合うベルリンらしい。
この日は地下部分も見学することができた。ヨーロッパ最新鋭を誇る施設であるだけに、628体を保管できる遺体安置所から火葬炉まで、電動システムによる管理が行き届いている。日本と違うと感じたのが、火葬された骨は完全な粉になるまで砕くこと。ガイドの方が「これが骨を挽く機械です」と紹介すると、挽く(mahlen)という単語に私は、反射的にコーヒー豆の機械を連想してしまった。そして最後に紹介されたのは、小さな骨壺。
人の世は必ずしも平等ではないけれど、1国の首相であろうが、どんな国や宗教に属していようが、死は必ず訪れるという点においては平等だ。新年早々、火葬場の話で恐縮だが、限りある人生の時間を意識することで、逆に今という時が大切に思える。今年はどんな目標を立てようか。
(ドイツニュースダイジェスト 1月3日)
Information
バウムシューレンヴェーク・クレマトリウム
Krematorium Baumschulenweg
1911年にプロイセンが火葬を許可した後、ベルリンの2番目の火葬場として造られた。1992年から99年にかけて再建。柱がそびえるホールは、建築家がエジプトの神殿とコルドバのモスクからインスピレーションを受けて設計したという。これとよく似た地下鉄U55のブンデスターク駅も同じ建築家のデザインによるもの。
住所:Kiefholzstr. 221, 12437 Berlin
電話番号: 030-63958121
ゲリヒト通りのウルネン墓地
Urnenfriedhof Gerichtstraße
地下鉄U6とSバーンのヴェディング駅からほど近い公共墓地。1912年に完成した、ベルリンで最初のクレマトリウムがこの中に残されている。現在は火葬場としては使われていないが、古典様式の寺院を模した立派な外観は一見の価値あり。将来的には、ギャラリーやアトリエなどを収容する文化施設として、再利用される計画もあるという。
住所: Gerichtstr. 37-38, 13347 Berlin