早いもので今年も9月に入りました。この夏を振り返ってみると、『明子のピアノ』(岩波ブックレット)を刊行したことが私にとって一つの大きな出来事だったように思います。嬉しいことに、多くの方から貴重なご感想をいただきました。8月6日にライブ配信された広島交響楽団による藤倉大作曲の『Akiko’s Piano』(ピアノ独奏:萩原麻未)の世界初演に接することができたのも感銘深い出来事でした。また、8月15日にNHK BSプレミアムでドキュメンタリードラマ「Akiko’s Piano 被爆したピアノが奏でる和音」が放映された関係で、藤倉大さん、映像ディレクターの三木哲さんとYouTubeでのトークセッションに参加させていただいたのも、得難い機会でした(アーカイブに入っているので、よろしかったらこちらよりご覧ください)。この場を借りて、お世話になった方々にお礼を申し上げます。
「明子のピアノ」関連で実現したインタビューもう一つ、ここでご紹介させていただきます。ドイツニュースダイジェストの8月7日号に掲載された広島の被爆者、森下弘さんのインタビュー記事です。私が森下さんのことを知ったのは、2月に広島を訪れ、調律師の坂井原浩さんにインタビューした際でした。2002年に「大学時代の友人の実家にこういう古いピアノがある。よかったら見てみませんか」と坂井原さんに声をかけたのが森下さんだったのです。その後、この4月下旬に中国新聞でスタートした連載記事「平和を奏でる明子さんのピアノ」の「第1部 よみがえった音色 <1> 発見」で紹介されており、森下さんが明子のピアノを救った「恩人」であることを知ることになります(西村文記者によるこの連載記事は膨大な取材に裏付けされた発見に満ちた内容で、私もブックレット執筆中に度々示唆を受けました)。いろいろ調べていくうちに、書家である森下さんが広島平和記念資料館に展示されているヨハネ・パウロ2世の記念碑の碑文を書かれていたり、1963年の広島・長崎世界平和巡礼で東西ドイツを訪れていたり、さらにアメリカではトルーマン元大統領に面会されていたりということを知り、ぜひ改めてお話を伺いたいと思うようになりました。それで5月に電話でのインタビューが実現しました。
ブックレットの中で森下さんのことを書ける分量はごく限られたものでしたが、ありがたいことに、ドイツニュースダイジェストの8月の特集記事として実現することになりました。そのため、7月にもう一度電話でお話を伺うことができました。ただ、記事に掲載する写真や資料を集めるのは一人ではどうしようもできないため、明子のピアノを管理する一般社団法人「HOPEプロジェクト」の方々に森下さんのご自宅にわざわざ足を運んで、写真を撮ってきていただくことになりました。こうして掲載された森下弘さんのインタビュー記事は、こちらより全文をお読みいただけます。多くの方に読んでいただきたい記事であることと、森下さんを始め「明子のピアノ」を通じて得られた人とのつながりへの感謝の思いから、ここでご紹介したいと思った次第です。
8月はあれほど目にする機会の多かった原爆や平和関連の記事が最近めっきり減りました。このテーマは「時期もの」なのでしょうか。先日、広島の知人からいただいたメールの中に、ある被爆者の方の声が紹介されていました。私も肝に銘じたい言葉です。「メディアがこの時期だけに集中するのは悲しい。私たちは365日被爆者なんです」。
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