ウクライナ紀行(8) キエフ最終日

(前回の続き)
10月15日。今日は中心部から少し離れたペチェルスク修道院を観に行く。地下鉄のDnipro駅の地上ホームに降り立つと、茫漠たるドニエプル川が目の前に広がっていて感動した。
そのドニエプル川を背に向け、汗をかきながら丘の上を上っていくと、ペチェルスク修道院の建物が遠くに見えてくる。そこに向かう途中、ウェディング姿のカップルを何組も見かけた。ここはキエフの人々の結婚式のメッカなのかもしれない。
カメラを向けたらにっこり微笑んでくれたカップルも。どうぞお幸せに。
ペチェルスク修道院の壮麗なカテドラル。28ヘクタールという広大な敷地の中に、大小さまざまな寺院が並んでいる。敬虔な信者をたくさん見かけた。それもそのはず、ここは全ロシア・ウクライナでもっとも権威のある修道院なのだという。先日ご紹介したソフィア聖堂と共に、ユネスコの世界遺産に登録されている。
「ペチェルスク」とは、「洞穴の」という意味。その名の通り、聖堂の地下にはたくさんのほら穴が掘られている。ペチェルスク修道院ができたのは11世紀のことだが、かつてここの修道士たちは地下のほら穴で礼拝をしながら、生活していたという。彼らが死ぬと、遺体は温度の冷えた洞穴の中で自然のままに保存され、ミイラ化された。現在の信者は、ロウソクを持って地下の聖人の棺が並べられている部屋を巡るのだが、真っ暗闇の上、通路は迷路のように入り組んでおり、全くの外部の人間には少々息が詰まってくる。
南側の修道院の敷地内には、はちみつ売りの露天だけが並ぶ一角があった。そのボリュームにびっくり!
街中に戻り、再び地下鉄に乗って、北側の終点へ。駅を出たこの場所の名前は「バービ・ヤール(Babyn Yar)」。ショスタコーヴィッチの交響曲13番がこのタイトルなので、名前は知ってはいたが、キエフの郊外にあるとは知らなかった。ここもまたヨーロッパにおける暗黒の歴史の舞台である。1941年9月、ユダヤ人3万4千人が、このバービ・ヤールの谷間に集められ、射殺された後、埋められたという。ヨーロッパのユダヤ人受難の地の一つ。
バービ・ヤールのこの記念碑はソ連時代に建てられたもの。あまりにモニュメンタルなデザインゆえ、あまり評判はよくないようだが。
再び中心部に戻る。日が暮れてきたが、翌日ベルリンに帰るので、もう一度このメインストリートを歩いておきたかった。
そういえば、キエフ滞在でお世話になったカーチャさんのことをまだ何も話していなかったので、簡単に紹介しておきたい。既に一度大学を卒業している彼女は、現在はプロジェクト・マネージメントを専攻し、働きながら2つ目の学位取得を目指している。まだ20代前半なのに、英語、ドイツ語が堪能で、かなりの才媛だ。本当は最後もう一度会ってお礼を言いたかったのだが、彼女の仕事の都合で残念ながら叶わなかった。
金曜日の夕方だけあって、通りはとても賑やか。何となく暗いイメージのあったウクライナだが、人々の表情は決してそんなことはない。噂には聞いていたが、きれいな女性が多かった。今回の旅で、ウクライナのいろいろな面を直接見ることができて、とてもよかったと思う。
独立広場前にて。昨年末の大統領選挙の際、野党のユーシェンコ(現大統領)支持者は、党のシンボルカラーであるオレンジ色の旗、マフラー、風船などを持ってこの広場に集結した。その様子は世界中に映像を通して伝えられたので、記憶に残っている方も多いと思う。
さて、明日はいよいよベルリンに戻る。
(先ほど午前3時をもって、夏時間が終わりました。時計の針を1時間戻します。毎年のことですが、1時間だけ得した気分になれる瞬間です^^)

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One Response

  1. lignponto
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    貴重な経験をしたんですね。楽しませてもらいました。ありがとうございます。

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