(前回のつづき)
2000年秋に、シェーネベルク岸通りのアパートに住み始めてから約2ヵ月後、私はこのアパートの「過去」について知るための、ひとつのきっかけを得ることになった。
「複製技術時代の芸術作品」「パサージュ論」などの著作で、時代を先取りする芸術論を展開した哲学者であり文化社会学者のヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)が、幼年時代この界隈に住んでいたということを、ベンヤミンに詳しいある日本人の方から教えてもらったのである。大学時代の授業でベンヤミンの「写真論」を読んだことはあったけれど、彼が生まれた家が当時自分が住んでいる場所からすぐ近くのマグデブルク広場にあったとは全く思いも寄らなかった。ベンヤミンの文章は詩的かつ難解で、私はお世辞にも彼の熱心な読み手とはいえない。だが、うれしいことにベンヤミンは「1900年頃のベルリンの幼年時代(Berliner Kindheit um neunzehnhundert)」というエッセーを後年遺している。これを読めばベンヤミンの住んでいたアパートからそう遠くない距離のこのアパートを知る、ひとつの手がかりを得られるかもしれない。私は翌春、弟がベルリンに遊びに来る際にこのエッセーが収められた「ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅(ちくま学芸文庫)」を持って来てもらった。
ベルリンに興味を持つ人間にとってこのエッセーはとても興味深いが(ベンヤミンの著作の中では比較的読みやすい部類に入るだろう)、「住まい」という観点から私がとりわけおもしろく思ったのは、「ロッジア」と「ブルーメスホーフ12番地」の2編。ここには当時のこの区域の住宅環境が、非常に具体的かつ雰囲気豊かに描かれている。「ブルーメスホーフ12番地」とはベンヤミンの祖母の家があった通りの名前のことで、私のアパートとはまさに目と鼻の先といっていいほどの距離だ。その「近所」のアパートに住む自分にとっては、読んでピンとくる箇所がたくさん出てくる。それをいくつか引用してみたい。
「どこの呼鈴だって、ここほど温かく鳴りはしなかった。この住まいに入ると、私は、両親のうちにいるときよりも、さらに安全に護られていた」
「この住居から放射されていた、ずっと昔からの市民(ブルジョワ)的安心感は、どのような言葉で言い表せるだろうか?」
「加えてこの区域は高級住宅街で、中庭での種々の営みも、騒がしい動きをみせることは決してなかった」
「そして、十二使徒教会とマタイ教会がロッジアに送って寄こす鐘の音のどの響きも、ロッジアから滑り落ちることなく、夕暮れまでここに積み上げられていくのだった」
「この住居の部屋は数が多かったばかりでなく、そのいくつかはとても広い部屋だった。張り出し窓のところにいる祖母にこんにちはを言いにいくのに―そこには裁縫籠のかたわらに、あるときは果物が、またあるときはチョコレートがあった―、私は途方もなく大きな食事室を通り抜け、そこからこの張り出し窓のある部屋を横切って行かねばならなかった」
ベンヤミンが子供の頃遊びに通っていたおばあちゃんの家というのは、ひょっとしてこのアパートのことだったのではないかと思うくらい、私の中のいろいろなイメージと合致する。
私が読んだちくま文庫版は注解が極めて充実しているのだが、それによるとこのティーアガルテンの南側一帯は、ベルリンが西へと拡がっていく19世紀後半に高級住宅地として開発されたのだという(ベンヤミン自身、ユダヤ人の裕福な家庭に生まれた)。なるほど、そういうことだったのかと思う。この地区を東西に流れているLandwehrkanalと呼ばれる運河(上の写真)は、都心の中のちょっとしたオアシス的な存在になっている。運河の北側は現在と同じように各国大使館が並んでいた。そして、この地区の東の端に位置するポツダム広場は、今や空前の活況を呈しようとしていた。20世紀初頭、このアパートのある地区はこういうところなのだった。
とにかく私は、自分が住むアパートに今も流れている悠然とした時の流れ、空気のようなものをベンヤミンが回想している100年前のアパートの中に感じ取ることができたのである。ひょっとしたら私の錯覚かもしれない。これは言葉でうまく説明するのが難しい。だが、戦争や壁に翻弄され続けてきたこのベルリンの中心部の一角に、いまだにこういう空気、時間の流れが残っているということは私には驚くべきことだった。
しかも、私が目覚めのときに聞いていた教会の鐘の音はベンヤミンが幼少の頃に聞いた同じ教会のものだったのかと思うと、自然と感動が込み上げてきた(写真は現在のマタイ教会)。
(つづく)
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素晴しい!! 中央駅さんの現在の生活の実感が、歴史と過去の文化人への回顧とが結合され、すばらしいエッセイになっていますね! 続きを楽しみにしています。
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おもしろいようにいろんなことがつながって、
悠久なる時間の中にスポットライトが当たっているかのように
アパートの空間があって、吸い込まれていきそうです。
なんだか写真までもが100年前を写したかのように
思えてきます。感動しました。続きを楽しみに
待っていますね。
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ベンヤミンの幼年時代のこのあたりの地図(1906年)を御参照下さい。Blumes Hof(Blumesh.)が確認できますよ。
http://www.alt-berlin.info/cgi/stp/lana.pl?nr=26&gr=5&nord=52.506864&ost=13.367310
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1964年まであったようですね。
http://www.alt-berlin.info/seiten/str_b_4.htm
1961年の地図ではまだちゃんとありますね。
http://www.alt-berlin.info/cgi/stp/lana.pl?nr=22&gr=5&nord=52.505510&ost=13.362746
今はこんな感じですか。
http://www.berliner-stadtplan.com/?strasse=Kluckstra%DFe&hausnummer=8&plz=10785&suche%5Bstadt%5D=berlin&sub.x=11&sub.y=8
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>ゴン太くん
おっしゃる通り、あの空間の中にいると過去の時間の中に吸い込まれていくかのような感覚を味わうことがあったんです。うまく表現できないんですが、それをどうしても書いてみたかったんですね。あと、たまたまですが、今回の写真には車があまり写っていないのがよかったです。通りに路上駐車の車がぎっしり並んでいたら、それこそ雰囲気も台無しです(笑)。
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>la_vera_storiaさん
数々の貴重な情報源、どうもありがとうございます!私は、ベルリンの過去の空撮地図を何枚か持っていますが、まさか、昔のベルリンの地図をつぶさに観察できるサイトがあるとは知りませんでした。次回の記事を書く際にも、活用させていただきたいと思います。また、Blumes Hofが、1961年まであったというのも驚きでした。
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ちょっと興味深いことに気がつきました。1893年の地図ではエリーザベト病院の北側にはSynagogueがありますね。
http://www.alt-berlin.info/cgi/stp/lana.pl?nr=15&gr=5&nord=52.502609&ost=13.364935
これはこのあたりがユダヤ人の居住者が多かったことから当然でしょうね。ところが、1875年の地図ではこの場所にはLandwirth.Museumがあることになっています。
http://www.alt-berlin.info/cgi/stp/lana.pl?nr=8&gr=7&nord=52.506522&ost=13.372419
このことは、この地域にこの時期にユダヤ人居住者が増えてきたという中央駅さんの記述と合致します。、1875年から93年の間にこのSynagogueが建てられたからではないでしょうか?
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ところがこのSynagogueは、1932年の地図では記載がありません。
http://www.alt-berlin.info/cgi/stp/lana.pl?nr=21&gr=5&nord=52.505793&ost=13.367179
それ以降、姿を消していますね。単に地図上の記載がなくなったにしては、ちょっと奇妙です。Kristallnachtは1938年ですから、まさか32年当時にすでにナチによる焼き討ちがあったとは思えませんし、32年の地図でも他の場所にはちゃんと別のSynagogueが記載されていますから。 しばしの間、いろいろと想像を膨らませて楽しんでいます。
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情報ありがとうございます。エリーザベト病院の北側のシナゴーグの存在は知っていましたが、1932年の地図から記載されていないというのは新たな発見でした。確かに奇妙ですね。もし他の年代の地図を見る機会があったら、確かめてみようと思います。
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>私が目覚めのときに聞いていた教会の鐘の音は、ベンヤミンが幼少の>頃に聞いた同じ教会のものだったのかと思うと、自然と感動が込み上げ>てきた
こういう事体験するのって素晴らしいことですよね。
音楽をやってる私にとっても、作曲者の生まれ育った地の空気を実際見て、肌で感じることはとても自分の演奏へ影響を与えると思います。
ほんとにドイツ(ヨーロッパ)の空気に魅力を感じます。
日本で和に囲まれた空間で弾いていても、いまいちイメージが湧かないことが
ほとんどでした。
あ、リンクしていただいてありがとうございました。
私もリンクさせていただいてよろしいでしょうか??
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Nanaさん、こんばんは。
>音楽をやってる私にとっても、作曲者の生まれ育った地の空気を実際>見て、肌で感じることはとても自分の演奏へ影響を与えると思います。
それはよくわかります。僕もこの家に住んでいた時、19世紀の音楽や思想、文学といったものは、こういう空間から生まれてきたのだ、ということをリアルに実感することができました。今は本当に寒い季節ですが、この厳しい冬を体験することも、ドイツ(ヨーロッパ)の芸術を理解する上で大事なことなんじゃないかと思います。
リンクはもちろん大歓迎です。またそちらにもお邪魔しますね。