「舞台・ベルリン」 - 占領下のドイツ日記 –

日本に完全帰国する友達から、何冊か日本語の本を譲ってもらった。最近読んだ「舞台・ベルリン(朝日選書)」という一冊はその中でも特に面白く、ほとんど一気に読んでしまった。これはルート・アンドレーアス=フリードリヒという女性ジャーナリストが、1945年から48年にかけて残した手記(日記)をまとめたものである。
今年で戦後61年が経つが、私がベルリンに住むようになってつくづく思うのは、60年前というのはそれほど遠い昔ではないということだ。そのように感じる理由はまた別の機会に書いてみたいが、この本ではナチスに抵抗した一人の女性の目を通し、45年4月末の壮絶な地上戦から終戦を経て、ベルリン空輸に至る戦後大混乱期のこの町の様子が克明に描かれている。61年前の終戦前後のベルリンは、例えばこんな感じだった。

ここ数日間に、彼ら(ソ連兵)は多くの人間にとって危険な存在になった。市内はパニック状態である。不安と恐怖。私たちが行くさきざきに、強奪が、掠奪が、暴行が行われていた。抑制を知らぬ情欲で、勝利者の軍隊は、ベルリンの女性たちに襲いかかった(5月6日)。

太陽はますます暑く照りつけた。私たちはますます足どり重く進んで行った。ブランデンブルク門を通り過ぎた。パリ広場に人が群がっていた。アドロン・ホテルから家具をかつぎ出しているのだった。金メッキの縁飾りのついた鏡、ビロードの安楽椅子、マットレス。《分捕り主義者たち》とフランクが理解のこもった笑みを浮かべて言った。《取れるだけのものは取ってしまうのだ》疑いようもなく、盗んでいるのだった(5月12日)。

ベルリンは暑い。日一日と暑くなる。6日の暑熱が町じゅうをうだらせ、数多くの、掘り返されたばかりの墓の上に立ち込める。薄い埃の層の下で死者たちは身じろぎする。瘴気のように彼らの死の臭いが大気中に立ちまじる。ラントヴェーア運河からそのように耐え難い臭いが吹き寄せて、道行く者はハンカチを鼻に押し当てる。「悪い伝染病がはやらないといいけど」 フランクが心配げに言う(6月8日)。

読んでいてぞっとするような話がいくつも出てくるが、決して悲惨な出来事だけではない。音楽が好きな私にとっては興味深いことに、筆者の当時の恋人は、戦後ベルリン・フィルを初めて指揮した指揮者のレオ・ボルヒャルトだった(この名前は今ではほとんど知られていないが)。ベルリンに最後の爆弾が落とされてからわずか3週間後の5月26日、ボルヒャルトは「12日間おんぼろの自転車でベルリン中を走り回ったあげく、許可を取り、楽器を調達し、楽員を鳴り物入りで集め、廃墟から演奏会場を探し出し」、ティタニア・パラストでの演奏会を実現させるのだった。この歴史的なコンサートについての記述は感動的で、読んでいて癒される思いがする(ちなみに彼女の手記は、ナチ側に見つかって読まれることを恐れ、登場人物は全て変名で書かれている。ここでは「アンドリク」がボルヒャルトを指す)。

ホールは暗くなった。千人に近い人々が鳴りをひそめて待ちかまえていた。彼らは徒歩や自転車で来たのだった。瓦礫と化した住まいから、日々の憂いの中から、夜な夜なの不安の中から。何とすばらしいことだったろう。何とすばらしく、何と心に慰安を与えることだったろう。幸福な思いにひたされて私はフランクの腕をつかんだ。「なかなかいいお客さんよ」と彼に囁いた。それからアンドリクが現れた。指揮棒をふり下ろした。ヴァイオリンが歌い始めた。甘美に、優美に歌った。「真夏の夜の夢」の演奏だった。第三帝国の宣伝相はこの曲を、「ユダヤ人の愚作」として禁止リストに載せ、存在する権利を奪ったのだった。「ユダヤ人の愚作」よ、栄えあれ!憂いに包まれた何百という人々に、この愚作は今日憩いをもたらしているのだ。ヴァイオリンが歌った。はずむピチカートでチャイコフスキーの第4交響曲を歌った。「まだこんなことがあり得るなんて!」と私の隣席の男の人がとぎれとぎれに言った。映画館のホールは目に入ってこなかった。廃墟は目に入ってこなかった。ナチがいたことも、戦争に敗けたことも、占領軍に占領されていることも忘れてしまった。突然、すべてがどうでもよくなった。重要なのは、ヴァイオリンが歌っていることだけだった。-チャイコフスキーだった、モーツァルトだった、メンデルスゾーンだった。

しかし、ボルヒャルトには悲劇的な運命が待ち構えていた。コンサートからわずか3ヵ月後の8月23日、夜間の帰宅時、イギリス兵の誤射によって彼はあっけなくその生涯を終えてしまうのである。その際、車に同乗していた筆者の描写は生々しく、衝撃の深さがうかがい知れる。急逝したボルヒャルトの後を受けてその後しばらくベルリン・フィルの指揮台に立つことになったのは、ルーマニア人のセルジュ・チェリビダッケだった。歴史はどこでどう転がるかわからない。
その後も、ベルリン、そして筆者へ課される苦難は続く。例えば、46年から47年にかけての冬はとりわけ厳しいものだったらしく、ベルリンの冬の寒さを知っている者としては読んでいて身が凍ってくる。

電気も来ない、水もない、石炭もない。しかもあいかわらず毎晩、零下15度から20度の寒さである。ベッドの中で凍死した人間が何人もいるとのことである。ちゃんとした仕事をしようという考えがまるで思い浮かばない(1946年12月30日)。

48年6月の通貨改革時の混乱ぶり。それに対するソ連の報復とベルリン空輸についての記述も興味深い。東西対立が激化していく最中にいた彼女の文章からは、第3次世界大戦の不安ものぞかせる。ベルリンについてのこんな記述を見つけた。

外からベルリンにやって来るものはみな、ベルリンは世界でいちばん興味深い街だという。私たちとしては、ベルリンがもう少し興味深くなければと思う。私たちは、2人のプロレスラーが世界選手権を争っているマット以外の何ものだろうか。もし彼らがケッチェンブローダ(町の名前)を対決の場に選んでいたら、いま頃はケッチェンブローダが興味の中心になっていただろう。鉄のカーテンの隙間となるまで、マリーエンボルンについては誰も何も知らなかった。運命はベルリンを選び、4カ国占領都市の役割をふり当てたのだった。ベルリン市民は誠実に、この運命の定めに従おうとしている。1945年には、“東西の懸け橋となること”が使命だったし、46年と47年には“橋頭堡となること”が使命だった。1948年には“闘技場のマットになること”が使命に、そして1949年には“戦場になること”が使命になるだろうか?(1947年10月20日)

1948年の年末、筆者のルート・アンドレーアス=フリードリヒは、ついにベルリンからの脱出を決意する。その後、彼女は西ドイツで再びジャーナリストとして活動し、1977年にミュンヘンでその生涯を終えた。
この本は、私が今繰り返し観ている映画「ベルリン天使の詩」と共通するテーマを含んでいるので、出会えてよかったと思う。ドイツ語版では、本作の前編である戦中の手記「影の男」を含めて一冊にまとめられており、機会があったらぜひ読んでみたいところだ。
「舞台・ベルリン 占領下のドイツ日記」
ルート・アンドレーアス=フリードリヒ著 飯吉光夫訳
朝日選書(1988年)
Der Schattenmann / Schauplatz Berlin. Tagebuchaufzeichnungen 1938 – 1948. (Broschiert)
von Ruth Andreas-Friedrich



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16 Responses

  1. lignponto
    lignponto at · Reply

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    面白そうな本ですね。
    映画化されたら面白いかもしれませんね。

    今日から東京でドイツ映画祭があります。
    何か一つ観てこようと思ってます。

  2. sommergarten
    sommergarten at · Reply

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    とても興味深く読ませていただきました。
    ぜひ自分でもじかに手にとってみたいと思います。
    昔は歴史といえばテスト前に丸暗記し、すぐに忘れ去るものでしたが
    ベルリンに来てからというもの、自然に興味が湧いてきます。
    特に生活者からのメッセージは心にダイレクトに届きますね。
    もっとこの町や歴史を知りたくなった時は、教科書の代わりに開いてみようと思います、、、
    Aya

  3. hummel_hummel
    hummel_hummel at · Reply

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    この本のことは知りませんでした。ダイレクトな体験談であるだけでなく、文章も素晴らしいですね。是非読んでみたいです。こちらの引用部分だけ読んでいても、ヒリヒリしてきます。戦中手記の方の「影の男(Der Schattenmann)」という題名も気になりますね。

  4. 焼きそうせいじ
    焼きそうせいじ at · Reply

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    20年前、フィルハーモニーからの帰りのバスで隣り合った年配の御婦人に「フルトヴェングラーを聴いたことがありますか?」と尋ねたら、「ええ一度、あのころは寒くてひもじくて」「何を聴きましたか?」「シューベルト、ともかくあのころは寒くてひもじくて怖くて」「どうでしたか?」「おぼえてません、何せ寒くてひもじくて…」以下同じ、という珍妙な会話をしたことがありました。が、帰国後、その寒さと飢えと恐怖の描写をこの本で読んで、なるほどと思わされたことをおぼえています。

    「マリーエンボルン」、再び誰も知らない地名に戻りましたね。列車でハノーバーからベルリンへ向かうと、ここに東独の国境駅とアウトバーン検問所がありました。

  5. la_vera_storia
    la_vera_storia at · Reply

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    中央駅さん,お久しぶりです.
    今香港にいます. この本のこと,よく内容を紹介していただ感謝します. 私もMitteleuropaの掲示板で題名だけは御紹介したことがあります. 実に素晴らしい本です. 詳しくは帰国後にでも書きたいと思います.

  6. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >lignpontoさん
    日本語版はすでに廃刊していますが、amazonで中古が買えるようです。機会があったらぜひ読んでみてください!

    東京でドイツ映画祭ですか。日本におけるドイツ年も終わってしまいましたし、こういう機会は貴重ですよね。

  7. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >Sommergartenさん
    おっしゃる通り、日本の学校での歴史のテストでは、とにかく次から次へと情報を暗記していかないと、いい点数が取れませんでしたよね。覚えることも大事ですが、残念なことだと思います。「過去の出来事が今の自分とどこかでつながっている」 そういう意識を持つようになったのは私もベルリンに来てからのことです。

  8. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >フンメルさん
    フンメルさんでしたら、ドイツ語版も問題なく読めることでしょう。文体は比較的平易だと思いますし。「影の男」は私も気になるので、原文でチャレンジしてみるつもりです。

  9. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >焼きそうせいじさん
    興味深いエピソードをありがとうございます。20年前はまだ、フルトヴェングラーの実演に接したことのあるベルリーナーがこのように普通にいたのですね。当時の録音も、こういう話に接した後ではまた違った風に聴こえてきそうです。

    「マリーエンボルン」、私は実は知らなくて、慌てて地図で確認しました。2年前の壁崩壊15周年の際に、ケーラー大統領がこの地を訪問したそうですね。

  10. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >la_vera_storiaさん
    久々のコメントありがとうございます。大変うれしかったです。 以前、la_vera_storiaさんがぜひとも読むべきベルリン本を中欧掲示板で紹介されたことは覚えていますが、 まさかその中にこの本が入っていたとは当時はわかりませんでした。本当にいい本ですね。前半の内容も気になっているので、ぜひオリジナル版も読んでみるつもりです。またお話を聞かせていただけるのを楽しみにしています。道中お気をつけて!

  11. しゅり
    しゅり at · Reply

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    マサトさん、こんにちは。
    この本の紹介を私も興味深く拝見しました。
    敗戦しかつて栄華を誇ったベルリンが一体どういう感じだったのか
    生活や文化の面でもいろいろ知ることが出来そうな本ですね。
    早速注文しました!
    マサトさんの本の紹介は私的にとても刺激になっています。
    いくつか影響を受けて読んだ本もあるのですよ。
    これからもベルリンニュースともども刺激してくださいませ。

  12. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >しゅりさん
    この本についてはいろいろな方からのコメントを拝見して、紹介してよかったなと思いました。しゅりさんは早速注文ですか、紹介した甲斐がありますね。この本では当時の食事のこととか配給のシステムとかも説明されていて、生活の様子もよくわかります。日本では廃刊中なのが残念です。

    >マサトさんの本の紹介は私的にとても刺激になっています。
    以前にも何か紹介しましたっけ?実はおもしろそうだけど、読みかけのままほったらかしになっている本がいくつかあるので、それもがんばって読もうと思っています。またいつかご紹介しますね。

  13. しゅり
    しゅり at · Reply

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    >以前にも何か紹介しましたっけ?

    今回のような本の紹介の仕方ではなかったのですが
    杉本俊多著「ベルリン」や、ベンヤミンを読むきっかけを
    いただきました。
    ベルリン関連本には心をくすぐられます。

    「舞台・ベルリン」は廃刊でしたので
    アマゾンのユーズドで注文して今日届きました。
    表紙がマサトさんのと違うので「あれ?」と思ったのですが
    よ~~く見るとマサトさんの本は原書でした。

  14. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >しゅりさん
    >杉本俊多著「ベルリン」や、ベンヤミンを
    そういえば、間接的にそのような本をご紹介しましたね。しゅりさんのサイトでも、新しいベルリン本が出るとすぐに紹介してくれてうれしいです。ベルリン関連のいい本は他にもっとあるのですが、多くは廃刊中なのが残念です。

  15. la_vera_storia
    la_vera_storia at · Reply

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    マサトさん、そういえば書き忘れていました。ここでマサトさんが触れている「アンドリク」(レオ・ボルヒャルト)がドイツ敗戦直後にベルリンフィルを指揮したコンサートは、実は当時ベルリン在住の田中路子さん(ミチコ・タナカ・デ・コーヴァ)が聴いていますよ。田中路子さんが生前そのときのことをお話になっていたのを聞きました。 チャイコフスキーの4番という曲目もお話になっていましたね。「こんなときにベルリンフィルがコンサートをやると聞いて、いてもたってもいられずデコちゃん(*註 ご主人のデ・コーヴァ氏のこと)と出かけました。会場に行くのは、それはもうたいへん。だけど聴いてみて勇気付けられました。」というような内容でした。田中路子さんはこのときの指揮はフルトヴェングラーだったと思い違いしていました。それくらいこの時のボルヒャルトの指揮がすばらしかったのでしょう。

    「ミチコ・タナカ 男たちへの賛歌」(角田房子 著 新潮社)、あらためて推薦しておきます。
    http://servus.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_aca5.html

  16. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >la_vera_storiaさん
    貴重なお話をありがとうございます。la_vera_storiaさんは、ひょっとして直接ご本人からこのお話を聞かれたのでしょうか。私は一度だけ、田中路子さんがテレビのインタビューに答えている映像を見たことがあります。すごい貫禄でしたね。紹介いただいた本、絶版のようですが、ぜひ読んでみたいと思いました。さまざまな人物とのつながりにも興味があります。

    http://servus.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_aca5.html

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