ベルリン・スポーツ宮殿 - 天使の降りた場所(16) –

Pallasstraßeにて(2006年10月23日)
映画「ベルリン・天使の詩」の舞台を訪ねるこのシリーズは、またしても間が開いてしまった。それには一応訳がある。これから取り上げる場所というのがドイツの負の歴史と深く関わっていて、そうお気楽には書けそうにないという思いがあったからだ。でも、ここを越えないことにはベルリンの天使はいつまで経っても人間になれないので^^;)、これから2回に分けて書いてみたいと思う。
その場所とは、アメリカからやって来る「刑事コロンボ」のピーター・フォークを主人公に、第2次世界大戦を舞台にした映画を撮影するロケ現場という設定で、作品中に何度も出てくる巨大なコンクリート製の建造物のことである。この建物がどこにあってどういう意味を持つものなのか、ご存知の方はいらっしゃるだろうか?「ベルリン・天使の詩」を観るまで、私は何も知らなかった。
それがシェーネベルクのPallasstraßeにある戦時中に作られた防空壕だということがわかった時も、「ああそういえば、あの通りに何かあったなあ」と思った程度である。私は自転車でこの通りを何度も通ったことがあったけれど、この建物の存在を意識したことは全くなかった。ただ、日本の公団住宅のような形状の無機質なアパートがやたらと立ち並んでいる、ちょっと変わった場所だという思いは抱いていた。
ポツダム通りとこのパラス通りが交差するこの場所は、実は曰くつきとも言える場所である。まずこの話からしなければならないだろう。
「ベルリン・スポーツ宮殿(Berliner Sportpalast)」という建物が、かつてここにそびえていた。1910年にリヒャルト・シュトラウス指揮のベートーヴェンの第9でオープンしたこのスポーツ宮殿は、約1万人収容の当時ベルリンで最大のホールだった。中でもここのスケートリンクは当時世界最大級と言われていた。1920年代には、しばしばここでボクシングの試合が開催され、Max SchmelingやSabri Mahirといったスターの技に人々は熱狂した。
だが、ナチスが台頭し、戦争の色が濃くなるにつれて、スポーツ宮殿は政治集会の場に使われることが増えていく。何といってもこの場所を有名にしたのは、ナチスドイツがソ連とのスターリングラードの戦いで敗れた直後の1943年2月18日、ヨーゼフ・ゲッベルスが国民に「総力戦(Totaler Krieg)」の必要を訴えた演説によってだろう。その内容と生々しい録音は、こちらのサイトで聞き知ることができる。ゲッベルスの狂気の演説に対して圧倒的な歓声で答える党員たち。聞いていて身の毛がよだつのを感じるほどだ。
その後スポーツ宮殿は1944年の空爆で大破したが、戦後屋根を修復して主にコンサート会場として使われ、1973年に解体されるまでこの地に建っていた。
「ベルリン・天使の詩」の一場面より(1986年)。
その20年後の様子。Luftschutzbunkerと呼ばれるこの防空壕は、スポーツ宮殿の通りをはさんだ向かい側に戦時中建てられたものだ。いよいよ次回、それについて書いてみたいと思う。
(つづく)



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7 Responses

  1. ぷりんつ・あるぶれひと
    ぷりんつ・あるぶれひと at · Reply

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    全く別の建造物であるにもかかわらず、スポーツ宮殿は何故か、オリンピアシュタディオンと同一視されることが多いのですよ。

    スポーツ宮殿についてサイトを作成しアップ間近だったのですが、ポツダム通りの住所の番地の割り振りが、昔と今では異なることに気付き、そのページはボツとなりました。この場でボツ原稿の一部を追記事項としてカキコさせてください。

    1910年11月17日に当時世界最大のスケートリンクとしてオープン、帝政時代「ホーエンツォレルン・シュポルトパラスト」と呼ばれてました。
    1933年ごろまで、スポーツ宮殿の所有者が何度かかわりますが、
    宣伝省に接収された1942年から敗戦までの一時期を除き、1934年から1961年までは、チューリッヒ保険会社が所有していました。
    終戦までのスポーツ宮殿の住所は、Potsdam Str 72

    下記の動画サイトで、総力戦演説と、総力戦のもたらしたものをご覧いただけます。

  2. ぷりんつ・あるぶれひと
    ぷりんつ・あるぶれひと at · Reply

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    次回のベルリン旅行時の目的地が増えました。
    ありがとうございました。

  3. Sacmac
    Sacmac at · Reply

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    あれ、ここ。。。
    私がベルリンで一番最初に住んでいた家の近所みたいです。
    そんな歴史があったなんて、全く知りませんでした。

  4. 焼きそうせいじ
    焼きそうせいじ at · Reply

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    ぷりんつ・あるぶれひとさんご紹介の映像の別バージョンです。

    ドイツの週間ニュースの映像で、音はこっちのほうが悪いですけれど、全編演説会場のスポーツ宮殿の中が念入りな演出をほどこして映し出されています。

    それにしても、ここで恍惚として右手を高々と挙げている人たちは、戦後どこへ行ったんでしょう。あの人たちは戦争でみんな死んじゃって、「騙されていた」「強制されていた」人たちが生き残ったんでしょうかね…。

  5. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >ぷりんつ・あるぶれひとさん
    補足説明ありがとうございます!
    http://de.wikipedia.org/wiki/Sportpalast
    によると、スポーツ宮殿の住所は172番地になっていますね。

    >次回のベルリン旅行時の目的地が増えました。
    かつてここにスポーツ宮殿があったことを示すGedenktafelを探したんですが、そのようなものは何も掲げられていませんでした。でも興味がある方にとっては訪れる価値はあるかもしれません。これからお話しする防空壕もすぐ近くにありますしね。

  6. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >Sacmacさん
    >私がベルリンで一番最初に住んでいた家の近所みたいです。
    そうですか!風景に見覚えがあったのかな?
    この防空壕もそうですが、普段よく歩く何気ない風景が、その場所の歴史を知ることによって全く新たな印象をもたらすことってありますよね。

  7. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >焼きそうせいじさん
    YouTubeではこんな映像まで見れてしまうのですか。
    これにはびっくりしました。スポーツ宮殿の内部もよく映し出されていますね。

    音声を聞いた限りでは、観客は敗北でやけっぱちになっている軍人ばかりというイメージだったのですが、市井の人と思われる人々も多く映っているではありませんか(冒頭に東洋人らしき人も映っているように見えたのですが)。このような「普通の」人々があの狂気の雰囲気を作り出すことに加担していたのかと、いまさらながらあの時代を思いました。本当に、この人たちにはその後どういう運命が待ち受けていたんでしょうね。

    遅ればせながら、今年もどうぞよろしくお願いします。

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