ヴァルデマー通りの壁 - 天使の降りた場所(19) –

Waldemarstraßeにて(2006年8月20日)
昨年秋からのんびり続けてきたこのシリーズも、ようやく天使ダミアンが人間になるシーンまでやって来た。それまでほとんどモノクロ映像だった「ベルリン・天使の詩」が、カラーに切り替わる場面でもある(それは天使は色が見えないから)。舞台は、当時東西の境界線上にあったクロイツベルクのヴァルデマー通りだ。
昨年8月末のある日、私は散歩がてら自転車でこの辺りへやって来た。Uバーンのコトブサートーア駅を抜けて、アーダルベルト通りを北へ行く。ここはベルリン・クロイツベルクの中でもいわゆる典型的なトルコ人街で、全く独特の雰囲気が漂っている。80年代中期のクロイツベルクについては、例えば橋口譲二さんの「ベルリン物語」に詳しい。人々の鬱積が吹き溜まりのようにたまった、当時のこの界隈の状況がよく伝わってくる。
アーダルベルト通りを3つ目の角で左に曲がると、そこがヴァルデマー通りだ。壁が崩壊してから今年で18年。1986年に映画が撮影された頃の名残はもうほとんど見られないのではないかと、私はあまり期待しないでこの通りを進んで行った。すると、いわくありげな風景が目の前にどんどん広がっていくではないか。
結果的に言うと、この通り周辺は壁を取り除いて、道路を多少整備した以外は、周りは空き地のまま。再開発は全くといっていいほど進んでいなかった。
「見て見て、酔っ払いがいるよ!」(映画「ベルリン・天使の詩」より)
人間になったダミアン(ブルーノ・ガンツ)が目を覚ますと、目の前に子供たちがを覘き込んでいた。
ヴァルデマー通りとA.デープリン広場の角に今も建つこのモダンな建物は、実は教会。
カメラの視点は、まず南側のルッカウアー通りの方角へ。手前に見えるのは見晴台だろうか。
そしてダミアンはヴァルデマー通りの東側に視点を移す。冬の凍てついた日の朝だろうか。壁にはフランス人アーティストのThierry Noirによる有名な落書きが描かれている。
その20年後、上のシーンはほぼこの辺りだろうかと思って、私はダミアンのように低い位置からシャッターを押してみた。2枚を比べてみると、うん、当時の名残はまだ残っている!
「色が見える!」
ダミアンは子供のように嬉々とした目をして、ヴァルデマー通りを東へ歩き始めた。彼は道行く人に、「これは何の色、あれは何の色?」と問いかけずにはいられない(ここでの2人のやり取りは見ていて面白い)。
ベルリンの壁のあった時代というと、人はどうしても「灰色、モノトーン」をイメージしがちだ。実際、80年代のクロイツベルクには希望を見出せずに生きている人が少なからず住んでいた。だが、ここでのダミアンは、傷口からにじむ自分の血や、非人間的な存在である壁に描かれた落書きの「色」に興奮しては、純粋に生きる喜びを見出す。「生の肯定」。このようなメッセージを持つ映画が、壁崩壊数年前のベルリンで撮られたということは、本当に何というタイミングだったかと思う。
さらに先に行くと、ザンクト・ミヒャエル教会がよく見える橋に出る。正面の遊歩道は一段低い位置にあるが、それはここが19世紀に運河として掘られたという歴史があるからだ。東西分断時代は、このラインがちょうど境界線にあたり、地雷が埋め込まれた。ようやく落ち着きを取り戻したこの道を、今度天気のいい日にでもゆっくり散歩してみたいと思っている。

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4 Responses

  1. gramophon
    gramophon at · Reply

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    1986,87年頃のクロイツベルクはトルコ人か不法占拠のパンク野郎しか住んでいない僻地(西のはずれ)のイメージでした。特に見るべき史跡もなく、足を踏み入れたことはなかったですね。

    トルコで思い出しましたが、当時から髭をはやしてましたが、トルコ系ドイツ人の子供にいきなりトルコ語で話しかけられたことがあります。確かにケバブを頬張ってましたが、トルコ人に見えたのでしょうねえ、きっと。単に道を訊きたかっただけのようでしたが、何かとてもショックでしたね。国籍とは何かとか、まじに考えちゃいましたよ。

  2. しゅり
    しゅり at · Reply

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    こんにちは、マサトさん。
    このあたりも「ベルリン~天使の詩~」の舞台になっていたのですね。
    クロイツベルクのオラニエン・シュロラーセから
    ザンクト・ミヒャエル教会の方面に歩いていて
    この両端に道があって、その間の川のようなヒズミは
    なんなのだ?と思いながら歩いていました。
    ひずんだところが公園になっているのが
    また不思議で、固定遊具なんかもあって
    保育園の子ども達が保育士らに連れられて遊んでいるのを
    見ていた覚えがあります。
    後から地図を見てちょうどベルリンの壁の境のところだったので
    緩衝地帯だったのだなと勝手に納得していたのですが
    ”運河”!だったのですか。
    あー、納得。
    だって橋もかかっているのにヒズミは公園だし
    緩衝地帯がなんでひずんでいるのか????だったのです。

    先日の市壁に引き続き、謎がいろいろ解けて
    嬉しい限りです。

  3. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >gramophonさん
    >トルコ人か不法占拠のパンク野郎しか住んでいない僻地
    >(西のはずれ)のイメージ
    当時はやはりそうだったのですね。西の人がいまだに東に偏見を持っているように、クロイツベルクに嫌悪感を抱いている東の人も結構いるみたいです。

    >トルコ系ドイツ人の子供にいきなりトルコ語で話しかけられたことが
    それはある意味貴重な体験をされたのかもしれません(笑)。
    中国語や韓国語で話しかけられたことなら私もありますが、トルコ語はないですね。やはり「髭」というのがポイントだったのではないでしょうか。

  4. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >しゅりさん
    HPを拝見する限り、しゅりさんはベルリンには旅行で数日間滞在されただけのようですが、本当にいろいろなところを見ているなあと関心してしまいました。
    Luisenstädtische Kanalといって、1852年から1926年まで本当に運河でした。
    http://de.wikipedia.org/wiki/Luisenst%C3%A4dtischer
    _Kanal
    何年もかけて緑地化され、今は格好の散歩コースになりつつあります。こちらもまた機会があったら書きますね。

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