根津2丁目の通りにて(4月7日)
森鴎外ゆかりの地を訪ねての「谷根千」駆け足散歩は、三浦坂を下って谷中から根津に入った。
言問通の古いせんべい屋さん(左)と、その先の路地にて。時間があったら、言問通の肉屋の好きなコロッケでも食べたかったなあ^^;)。
細い路地を通り抜け、上野公園にぶつかろうかというところで見えてきた。すでにお気付きの方もいらっしゃると思うけれど、これが次なる目的地、水月ホテル鴎外荘。外観は鉄筋コンクリートの建物だが、この中に森鴎外が『舞姫』を書いたという木造の旧居が残されている。
東京の鴎外については、森まゆみさんの『鴎外の坂』(新潮文庫)という本が詳しい。この本によると、「これが鴎外の旧居そのままであるかどうかは断言しがたい」そうだが、ドイツ留学から帰った彼が、明治22年(1889)5月末、下谷上野花園町11番地(現在の台東区池之端3-3-21)のこの地に転居したのは間違いない。現在は宴会のほか、婚約や結納に使われることも多いという。
ちなみに、森鴎外のドイツ留学は、明治17年(1884)から明治21年(1888)、22歳〜26歳までの間。帰国後、『舞姫』を発表したのは、明治23年(1890)の1月(『現代語訳 舞姫』〈ちくま文庫〉を参照)。これらのデータは、次からの話を始める上で、軽く念頭に入れておいていただいてもいいかもしれない。
上野公園のモノレールの下をくぐり抜け、不忍池の横を通って懐かしい上野駅前へ。一度も入って食べたことはないけれど、子供の頃からここを通るたびに目にしていたレストラン聚楽が閉店だとか。時の流れを感じずにはいられない。
やがて上野駅へ。急ぎ足ながらも楽しい時間だった。
さて、少し間をおいてから、萩―東京―長崎―ベルリン、そして過去―現在をつなぐお話ができたらと思っています。
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やはりこちらでしたか。
白山からだとずいぶん歩かれましたね。でも、このあたりは路地が多く迷うことも楽しい町なので歩くことは苦にならなかったのでは。
また、鴎外をはじめ樋口一葉、夏目漱石、川端康成など多くの文人縁の地だそうです。
言問通りには川端康成がひいきにしていた和菓子屋さんがあります。
「青梅」という看板商品がお好みだったとか。美味しいお菓子です。
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>Tsu-buさん
白山からは結構歩きましたが、全然苦ではなかったですよ。Tsu-buさんにこの界隈を案内してもらったら楽しいでしょうね。
>鴎外をはじめ樋口一葉、夏目漱石、川端康成など多くの文人
やはり作品を読んでこそ、その場に立ったときの理解が深まるものだと思うので、少しずつでも読み続けていきたいものです。