また身内ネタで恐縮ですが、自転車で九州まで旅をしていた私の弟が昨日最後の目的地に無事到着したようです。九州に入った後も、福岡、長崎、島原、鹿児島、指宿、知覧、宮崎、阿蘇の山越えと九州をほぼ一周しました。この1ヶ月間の走行距離を聞いたら、2720キロくらいとのこと。お疲れ様でした^^;)。
ありがたいことに、このブログを読んでくださっている九州の方から「ウチに泊まっていってもいいよ」などと声をかけてくださる方もおり、実際宮崎ではブログで知り合ったAさんという方に市内を案内していただいたそうです。こんな特大のカキ氷もごちそうになったみたいで、Aさん、どうもありがとうございました(Aさんのブログ)。
弟が各地で受けたいろいろな方々の親切が身に沁みたのは、私自身21年前に九州と四国を旅して、たくさんの人に親切にしてもらったのが記憶に刻まれているからです。1988年、小学校を卒業した春休みに四国、中学1年の夏に九州を一周したのが私にとっての初の1人旅でした。それはそれは大冒険でした。松山に住む母の友人宅にお世話になった以外は、ずっとユースホステルを利用していましたが、一度、指宿のYHで知り合った水俣在住のおじさんの家に泊めてもらったことがありました。今回の弟の旅行中、母がたまたま私の21年前の旅のアルバムを見ていたら、そのおじさんの住所が目に入り、思い切って電話をしてみたそうです。母によると、最初はつっけんどんの反応だったそう。「しかし、すぐにあっ、あの少年の?とわかりました。お母さんは亡くなり、自分は胃ガンに2ヶ月前になり、確か16キロ痩せたと悲観的でした。たーちゃん(弟)の話をしたら何かあったら連絡くださいと。人を受け入れる心は変わっていませんでした」とメールにあり、胸が熱くなりました。
あと、これもちょっと感動的だったのが、弟が四国に渡り、今回も松山の母の友達にお世話になった時のこと。私が訪ねた時は確か小学4年生ぐらいだった娘さんが、いまは小学校の先生となり、『西日本自転車一周の旅をしてきたお兄さんに教室で貴重な旅の話をしてもらえないだろうか?』とのご依頼で2クラス分の児童を前に自分の経験談を話してきたそうです。
松山からは「しまなみ海道」を渡り、行きも通った尾道(冒頭の写真)に戻って来ました。これが今回の最終地点でした(大学の授業も始まるので、帰りは鉄道で帰るとのこと)。彼の自転車旅行をリアルタイムで追いながら、私は21年前の自分の旅をたどっているような気分でした。
弟の最終日の旅日記にこんなことが書かれていました。
一ヶ月前の自分と、何が変わったかはわからない。
他のみんながインターンとかやっていた中、ぼくは走っていただけだった。時間の無駄遣いと言われるかもしれない。
それでもこの旅をやって良かったと心から思う。
受けた親切は数え切れないほどある。
場所も聞いた。食べ物ももらった。相談もした。泊めてもらった。迎えに来てくれた。
今までは、人に頼らないで生きるのが立派な人間なんだと思っていた。
けど、まったく逆だった。
人の助けを受けながら、困っている人を助けながら、生きていていくのが人の世なんだと知った。
だから今度はぼくが周りの人たちに親切にする番。そう思えただけでもいい旅だった。
せわしない日常ではつい忘れがちになってしまうことだよなあと思ました。こういうことを肌で実感できただけでも、彼にとってこの旅の意義はあったのでしょう。