ご存知の方も多いと思いますが、先週日曜日、ドイツでは4年に1度の連邦議会の総選挙が行われました。前回(2005年)と同じく右派、左派ともに過半数を取れないのではと予想されていましたが、ふたを開けてみるとCDUとFDPが過半数を獲得し、メルケル首相が希望していた中道右派の連立政権が樹立される見通しとなりました。最終結果を並べてみるとこうなります(表はwikipediaより)。
CDU/CSU(民主・社民同盟) 33.8%
SPD(社会民主党) 23.0%
FDP(自由民主党) 14.6%
Linke(左派党) 11.9%
Grüne(緑の党) 10.7%
その他 6.0%
目立つのはSPDの戦後最大の惨敗ぶり。メルケル首相が党首を務めるCDUとて、戦後2番目という低支持率だったのですが、リベラル派のFDPの躍進に助けられて、コール政権以来11年ぶりとなるCDUとFDPの連立が実現されることとなったのです。2大政党の低調ぶりに比して、小政党の成長が前回以上に進んだ形となりました。
では、首都ベルリンの結果はどうだったか?これがいろいろな意味で興味深いものでした。
まずベルリン西地区ですが、やはりSPDとCDUの順位が逆転しています(右端の数字が2005年時の結果)。目立つのは緑の党の支持率の高さで、これは移民の多いクロイツベルク=フリードリヒスハイン地区について特にいえることです。FDPとLinkeの数字は、全国平均とほぼ同じと見ていいでしょう。
次にベルリン東地区ですが、前回トップだったSPDと東独時代の独裁政権(社会主義統一党)の流れを組むLinkeの順位が逆転。もはや断トツと言ってもいいくらいの強さです。緑の党は全国平均よりも高いですが、今度政権を取るCDUとFDPの存在感は東では影を潜めています。
ドイツの選挙制度は小選挙区比例代表併用制と呼ばれ、有権者は2票が与えられます。第1票(Erststimme)は小選挙区制(Mehrheitswahlrecht)で候補者を1人選択。第2票(Zweitestimme)は比例代表制(Verhältniswahlrecht)で、そこでは政党を選ぶわけですが、ベルリンの第2票の結果をグラフにするとどうなるか。
黒がCDU、緑が「緑の党」、ピンクがLinkeです。これを見て唖然とした人は多かったのではないでしょうか?私も思いましたよ。「これじゃあ、壁があった時代と何も変わらないじゃないか!」と。
(ちなみに2005年は、Linkeがトップだったのは東のリヒテンベルク、マルツァーン=ヘラースドルフの2地区のみ。CDUがトップだったのは西のシュテーグリッツ=ツェーレンドルフ地区のみで、他は全てSPDが占めていました)
それにしても見事なまでの「東西分断」です。この20年とは一体何だったのかと思ってしまいますね(これについてターゲスシュピーゲル紙が「選挙の壁が町を分ける」という記事を載せています)。
奇しくも昨日、かつて東ドイツから西に亡命した方の話を聞いてきたばかりでした。その方は東ドイツに今でも強い嫌悪感を持っていて、こんなことをおっしゃっていたのが印象に残っています。
旧東の人がこれほど左派党に流れている理由が理解できない。昔の方がよかったなんて言うけれど、SED(社会主義統一党)やシュタージがどれほど人々を抑圧・弾圧していたか・・・。左派党の連中の多くがそれらに直接関わっていたんだよ。今の社会で失業する方が東ドイツで職にありつくよりずっとマシだと私は言いたいね。
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先日はありがとうございました。ご本はもちろん予約しました。
ドイツ総選挙は、日本では国内がてんやわんやなので、中道右派政権になる、壁崩壊後20年になるがいろいろ課題山積だ、くらいしか報道されていないような印象を持ってます。
Linkeの躍進については、いろいろ見方があるとは思いますが、NHK BS1の「きょうの世界」でやっていた特集では、旧東地域だけでなく旧西地域でも金融経済の混乱による失業等から支持者が増え、今回の議席増につながったとの分析を記者がしていました。「壁があった時代と変わらない」と見ることもできるでしょうが、前回総選挙の議席との比較で言えば経済環境の厳しさなどによるSPD、CDUに対する不満がFDP、Linkeへ流れたとも言えそうですね。(現在のLinkeをSEDとの関係でどう捉えるかは、材料がないので私の手には余るネタです。)
なお、いわゆる新自由主義の立ち位置にあるFDPについては、「リベラル派」と書くと日本の人にはちょっと違った印象を持たれてしまうような気もします。「中道右派」とか「リバタリアン政党」のほうが、よりわかりやすいかもしれません。
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大変僭越ですがマサトさんの選挙結果に関する今回の記事を補強させて下さい。 約20年前、つまり壁崩壊直後の90年3月のDDRのVolkskammer(「人民議会」としておきましょうか)の初の自由選挙の結果(私のHNをクリックして下さい!)と20年後の今回の選挙の結果との比較です。以下の単純比較にはいろいろ問題があることは百も承知ですが、(東)ベルリン(地区)だけを比較してみます。(Volkskammer選挙の統計のBerlinの部分は当然東ベルリンのみの結果です。)政党名の右の数字は今回の結果(ベルリン東部地区)、括弧内は90年の結果(東ベルリン)です。
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●CDU 16.8% (18.3%)
●Linke 33.8% (30.2% – PDS)
LinkeイコールPDSと見るのは問題もありますが、少なくとも(東)ベルリンについての「左右」の2つの「勢力」の比率は20年後もそれほど変化はないですね。
問題はSPDです。
●SPD 18.1% (34.9%)
一見大きく支持を失っているように見えますが、SPDの18.1%にGrueneの14.2%を加えると32.3%になります。これは90年の34.9%に非常に近い数字になります。
ウーン....やはりマサトさんのおっしゃられる通り「これじゃあ、壁があった時代と何も変わらないじゃないか!」ということですね。ベルリンについてはまったくその通りだと思います。ではドレスデンではどうか....こうやって各都市を見ていくとさらに一層興味深い事実が出てきますが、それはまた別の機会に。
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マサトさん、東から西へ「亡命」された方の発言、大変に興味深く感じました。「今の社会で失業」しても生活がある程度保障される社会システムを持っているドイツならではの発言であることを差し引いても、この方は姿勢と態度と行動が一貫している方のように思いました。
一方で、はたしてLinkeの支持者イコール旧DDRの体制の懐古的支持者であるかといえば、そう簡単には言えないように思います。先頃ベルリンに2週間近く滞在し、DDR出身の知人と時間をかけて再び話せたのが幸運でした。そういう知人のほとんどは以下のどちらかに属しておりました。「壁崩壊前夜の時期に、DDR体制の批判者であり出国することも可能であったにもかかわらず留まった人」、「現時点においてもDDR体制を支持しないにもかかわらずLinke(の候補者)を支持する人」。
なかなか難しい問題です。
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nem_ranさん
先日はこちらこそお世話になりました。
貴重なご指摘ありがとうございます。
Linkeの躍進については、確かに旧東だけの問題ではないのですよね。8月末の州選挙で議席を大幅に伸ばしたのはザールラントでしたか。そのことにも一言触れるべきだったと思います。
>いわゆる新自由主義の立ち位置にあるFDPについては、
こちらのご指摘もありがとうございます。FDPは確かに「リベラル」とはちょっと違いますか。「リバタリアン」という言葉は恥ずかしながら初めて知りました。もっと勉強しなければ。
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la_vera_storiaさん
興味深いお話をありがとうございます。
90年3月のDDRでの最初で(最後の?)自由選挙の結果、単純な比較はできないにしても、多くの面で共通点があるということが驚きでした。
ところで、最近ベルリンにいらしていたのですね。きっと大きな成果がおありになったことでしょう。折に触れてその時のお話も聞かせていただけるとうれしいです。
>はたしてLinkeの支持者イコール旧DDRの体制の懐古的支持者で
>あるかといえば、
それは全くその通りだと思います。私の記述ではその点、誤解を招きかねないので今後気をつけます。
来週、先日あるコンサートで知り合ったケペニック出身の方にお会いできることになりました。先日の選挙の結果についても話をぶつけてみようと思っているところです。
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マサト様、初めてコメント差し上げます。ドイツには94年から2000年までぬるま湯デュッセルドルフ駐在員として住んでおりました。
今回ベルリンに久々の旅行となったのですが、こちらのブログを参考にさせていただきました。何しろ観光としていったのは94年以来ですから、その変わり方に唖然としてしまいました。ドレスデンは仕事の関係で頻繁に行っていたので、Frauenkircheがドンドン完成に向かっているなど知っていたのですが。
勝手に参考にさせて頂いており、こちらのページをリンクさせていただければ、と思います。もしご迷惑なようであればそのままにしておきますのでご一報下さい。