大船渡を旅する(4) 陸前高田

陸前高田市(2012年5月19日)
大船渡市の運動会を見た後、諏訪君にお願いして陸前高田市内に連れて行ってもらった。陸前高田にはその2日前にも行ったのだが、そのときは大雨のため車の中から眺めるだけだった。どうしてももう一度ここに来て自分の足で歩いてみたいと思ったのだった。
この日は晴天で、視界も良好。「奇跡の松」として有名になった陸前松原の1本松を遠目に眺めてから(この地点から先は立ち入り禁止になっていた)、陸前高田駅跡に行ってくれないかと友人に頼んだ。私は初めての街を来たとき、そこを鉄道が通っていれば、まず駅に行ってみる妙な習性が昔からある。
しかし、これがなかなか容易なことではなかった。
車のナビを使って駅を目指したが、至るところに積まれた瓦礫の山が、ナビの指示に従って進もうとするわれわれをはばむ。これは無理だと判断して、私は車から降りて、2年前の市街図を手に駅を目指した。市街に残った数少ない建物の廃墟、特に県立高田病院の位置と方角を頼りに歩くと、駅前から続く通りに抜け出た。そこをまっすぐ歩くと、正面が駅前の広場である。
もっとも、駅舎も何もかも流され、かろうじてホームの跡がその名残を留めるだけであった。陸前高田駅の往年の姿はYouTubeの映像で見ることができるが、昭和初期に建てられたかわいらしい駅舎だったようだ。
三陸鉄道は最近再開工事が始まったようだけれども、その大部分が海岸線に沿って走る大船渡線の惨状は目に余るものがあり、沿線の街の壊滅の程度を思うと、そもそも再びここに鉄道が走ることはあるのだろうかと、私は気の遠くなるような思いに駆られた。
大船渡線を利用していたのは高齢者と高校生が中心で、地元の人でさえ復旧にあまり執着していないという話も聞いた。もちろん、高齢化が進む地元の人の貴重な足であることは間違いないし、個人的には将来全線復旧することを願う。だが、それは陸前高田や沿線の街がこれからどのような形で復興するかにもよるのだろう。
駅前通りの往時の賑わいを想像しながら、車を駐車してもらっている市民体育館の方に向かって歩いた。
中心部のこのあたりはさすがに瓦礫の撤去は進んでいるのだが、震災から1年以上過ぎたいまも、人びとの生活用品がときどき無造作に置かれていたりする。
市役所やその向かいの市民会館には献花台が置かれ、多くの花や千羽鶴が飾られていた。そのとき、一台のバスが到着し、ボランティアの皆さんがやって来た。手を合わせて祈る人、写真を撮る人、一瞬だが神妙な空気が流れる。
陸前高田市民体育館は、今回被災地を訪れた中で、もっとも強烈に心に刻まれた場所だったかもしれない。ご存知の方も多いと思うが、ここは一時避難所に指定されており、震災直後、多くの人が避難していた。しかし、津波は全てを飲み込み、水位は一時天井の手前40センチのところまで達した。結局、天井のはりにつかまった3人を除き、約80人もの方が亡くなったのだそうである。「6月に取り壊されるかもしれないから、絶対見ておいた方がいい」と諏訪君に言われていた。
おそるおそる中に入ってみると、そこはほとんど震災直後の状態のままのように思われた。車が2台打ち上げられており、片方の乗用車の助手席には花束が供えられていた。無数の死者の気配がいまだ残っているかのようだった

母や諏訪君と話していて不思議に思ったのが、津波は海側から襲ってきたに違いないのに、大きくえぐれていたのが、海側ではなく、山側の側面だったことだ。一体どうしたらこういうことになるのか。はっきりしているのは、人間の想像をはるかに越える力がこの街を襲ったという事実だけか・・・。
(つづく)



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3 Responses

  1. 冬風 狐
    冬風 狐 at · Reply

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     陸前高田の被害は改めて、こうして記事と写真で接してみますと凄まじいものだったのだなぁと再認識させられてしまいますね。
     そしてふと陸前高田の体育館の光景が、一月前に訪れました警戒区域が解除されたばかりの福島県の小高駅付近と被ってしまったものでした。こちらは原発事故により救助活動も殆ど行えないまま、人がいなくなったという点でまた違う意味合いを持ち合わせているかとは思います。
     その際に同行した友人より、震災からしばらくしても、若しかしたら今でも大破したまま放置されている車の中から遺体が発見される、またされるかもしれないので、安易に近付かないようにと言われている、との話も耳にしたものでした。

    津波は海に戻る引き波が強く、それで陸地側から破壊されたとのケースも複数あったとの事ですから、陸前高田の体育館もその一例に当てはまるのかもしれません。
     鉄道に関してもJRは幹線である常磐線と仙石線以外は、鉄路として再開させる考えがある様にはその言動を見ている限りでは思えないので、中々に今後の行く末が気になってしまいます。
     特にこれ等の路線は三陸地方が悲願としていた縦貫鉄道をの一角を担うだけに尚更思えてしまうところです。

  2. マスブチ
    マスブチ at · Reply

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    ご無沙汰しています.僕も先月同じところ行って来ました.絶句でしたね.

    体育館については,上の方が書いていらっしゃるように引き波もあると思いますが,あとは単純にこの山側の壁のみスタンドがなかったからではないかと推測しています.舞台?でもあったのかな・・,壁の後ろに支えがない部分だけが破壊されているのは他の建物でも見ました.

  3. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    冬風さん
    コメントありがとうございます。冬風さんも被災地に行かれたのですね。「津波は海に戻る引き波が強く、それで陸地側から破壊されたとのケースも複数あった」とのコメントに、ああそうだったのかと思いました。今回の旅行記はもう1回書くつもりでいたのですが、被災地を伝える難しさを痛感することも多く、しばらく時間をおきたいと思います。

    マスブチさん
    久々のコメントありがとう。先日、ソウルではニアミスだったようですね。専門家の見地からも、今度ぜひ話を聞かせていただきたいです。ベルリンに戻った時はご連絡を。

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