大船渡を旅する(2) 唐丹-釜石-バスで碁石海岸へ

大船渡市越喜来にて
5月18日
朝、諏訪君にはるばるあづま荘まで迎えに来てもらい(公共バスは2時間に1本ぐらいしか出ていないのだ)、大船渡市内へ。この日もレンタカーを借り、まず釜石の方面に向かうことにした。
前回の記事に写真家の大洲大作さんがコメントしてくださったように、「被災地、と一言でくくるには、この大震災で被災した地域はあまりに範囲が広く、被害の程度にも幅がある」。大船渡市だけでも、実はかなり広い。浜街道を北上し、トンネルに入っては抜け出てを繰り返しながら、越喜来(おきらい)、吉浜、唐丹(とうに)などリアス海岸に面した集落を過ぎていく。まず名前の読み方と場所を確認することから始め、度々車から降りては、その風景を記憶に留めておこうとした。
三陸鉄道南リアス線唐丹駅のホームから。現在運休中だが、数日前、近々再建に向けた工事が始まるといううれしいニュースも耳にした。
唐丹の海には堤防が築かれていたが、津波は楽々とこの上を越えていったようだ。このすぐ向こうの小学校の体育館には、ピアノが痛ましく置かれていた。
階段を上がって堤防の向こうを見渡すと、がれきの山が一面に広がり、絶句してしまう。1台のショベルカーが黙々と分別作業をしており、奥の方には冷蔵庫など大型家電などを集めた一角も見られた。この1箇所に限っても、まったく気の遠くなる作業に違いない。ここの住民は去ることを余儀なくされ、聞こえてくるのは、ショベルカーの「ゴトゴトゴト」という音だけ。穏やかな海を背景に、被災地では大体どこも静けさが支配していた。
平田総合公園を通ったとき、敷地内に仮設住宅がずらっとひしめき、釜石の大観音を望みながら、ゆるやかな坂を下っていくと、今度は前方に巨大な瓦礫の山が広がった。
お昼は、釜石駅近くの「サン・フィッシュ釜石」の食堂でウニ丼を食べた。言うまでもなく、とてもおいしい。店内はかなり活気が戻っているように感じられた。仮設店舗に移った呑ん兵衛横丁にも行ってみたが、ここはまだ開いていなかった。
釜石市役所近くの高台から。建物の中には津波が押し寄せたラインがまだ生々しく残っているものもあった。
夕方、大船渡に戻って、盛サンリア18時12分発、碁石海岸行きの最終バスに乗ってこの日の宿に向かう。前日に車で走った道路だが、路線バスの車内には人々の日常の生活があり、風景も新鮮に見える。窓の外をぼんやり眺めていると、意識せずとも、地元の高校生たちの会話が耳に入ってきた。ちょうど新学期の始まった季節、数名の女子高生が、体格は大きいが控え目そうな男子に向かって、「ねえねえ、彼女できたあ?」と車内に響き渡る声で言う。恥ずかしそうにする彼らに対して、「顔カワイイからすぐにできるよ」と(笑)。のどかな車中だったけれど、若い彼らは、風景が変わってしまった大船渡の街を毎日眺めながら学校に通っているのかと思う。そんな女子高生たちも、1人また1人と日没が迫った停留所で降りてゆき、終点に着いたときは私たちだけになっていた。
この日は民宿の海楽荘に宿泊。5号室は眼下が海で、波の音がずっと鳴り響いていた。夕食は、マグロの兜煮を始めとした豪勢なものだった。震災後、温泉は地元の人に無料で開放しているのだそうだ。
日本滞在中の日記はもう少しリアルタイムで綴りたかったけれど、続きはベルリンに戻ってからになりそうです。Bis bald!

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2 Responses

  1. Daisaku OOZU
    Daisaku OOZU at · Reply

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    バスの写真とテキスト、とても良いですね。私も、何度もそんな会話に出会いほっとしたことがありました。

    そして人生は続く、そう思います。

    お気をつけて、良い旅を。ベルリンでお会いしましょう!
    大洲大作

  2. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    Daisakuさん
    コメントありがとうございます。大船渡市内から碁石海岸までのバス、海岸線ぎりぎりを走る箇所があるので、こう見ると海の上を走っているように見えなくもありませんね。

    「そして人生は続く」、短いけれども大洲さんの率直な実感が込められているように思いました。またベルリンで!

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