3月10日は1945年の東京大空襲の日。個人的な関わりで言えば、東京大空襲のことは書物などを通じてもちろん知ってはいましたが、わずか一夜で10万人もが亡くなったこの大空襲がどれほど悲惨なものだったかを真に感じたのは、昨年日本の空襲体験者の方々とベルリンで交流したときだったかもしれません。8歳で東京大空襲を経験した二瓶治代さんから伺った話は、拙ブログでもご紹介しました。
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昨年、東京・大阪から日本の空襲体験者がドレスデン、ベルリン、ハンブルクを訪れた交流の成果が、特別展という形で現在「東京大空襲・戦災資料センター」で開催されています。同センター主任研究員の山本唯人さんや『ニセドイツ』の著者でもある歴史学の柳原伸洋さん、ドイツ文学の本田雅也さんなど、私の知人友人が関わっていることもあり、ぜひご紹介させていただきたいと思います。今週はドイツからのゲストを交え、「空襲体験をどう継承するか」というテーマで大阪と東京で講演会も行われるそうですので、こちらもご興味がありましたらぜひご参加ください。特別展は4月7日まで開催されています。
2013年 第1回 特別展
空襲を伝えるドイツの都市(まち)
──ドレスデン・ベルリン・ハンブルク
主催・場所:東京大空襲・戦災資料センター
共同企画・制作:和・ピースリング
制作協力:木戸衛一(大阪大学准教授)・柳原伸洋(東海大学講師)
協力:大阪空襲訴訟を支援する会・NPO法人日独平和フォーラム
期間:2013年 2月16日(土)~4月7日(日)
開館:水~日曜日(月・火曜日は休館)
開館時間:12:00~16:00
入館協力費:一般 300円/中高校生 200円/小学生以下 無料
【開催趣旨】
2012年2月、東京・大阪から日本の空襲体験者や市民が、ドイツの空襲被災都市・ドレスデン、ベルリン、ハンブルクを訪れました。
ドイツでは、ベルリンの壁崩壊後、大規模な都市再開発が進められる一方、街並みのなかに、戦争や空襲の記憶を残していく取り組みが行われています。また、統一後のドイツ社会では、経済格差を背景に、排外的な思想に引き寄せられる若者や、加害の事実を無視し、自国の被害のみを喧伝する活動も見られます。それに対して、自国の加害をふまえつつも、空襲を忘れないための行動やかつての交戦国と和解する取り組みが、多くの市民によって開始されています。
こうした、ドイツ市民や社会のあり方は、アジアで生きるわたしたちにも、ヒントを与えてくれることでしょう。
本展では、今回の旅で得られた写真や映像、市民との交流の記録を通して、ドイツにおける空襲被災都市の現在の姿を紹介し、未来に向けて、空襲体験をどのように継承していけるか考えます。
[関連企画]講演会
空襲体験をどう継承するか
──ドイツ・ドレスデンからゲストを招いて
ゲスト:マティアス・ノイツナー氏 (「1945年2月13日」協会代表)
▼大阪:3月13日(水)13:30
会場:大阪市立中央会館ホール
地下鉄堺筋線・長堀鶴見緑地線「長堀橋」下車 徒歩6分
大阪市中央区島之内2-12-31 電話 06-6211-0630)
▼東京: 3月16日(土)14:00
会場:東京大空襲・戦災資料センター
発言:早乙女勝元ほか
ゲスト・プロフィール
マティアス・ノイツナー……1960年生まれ。1987年、ドレスデン空襲の証言記録・継承団体を設立。ドレスデン空襲の死者数調査委員を務めた。
ケストナーファンのみなさん、大歓迎!
●親子企画
3月23日(土) 14:00
ケストナーを知っていますか?
──ドレスデン生まれの作家、ケストナーの作品を楽しむ
講演『エーミールと探偵たち』を追いかけて
本田雅也(ドイツ文学・児童文学研究)
朗読『わたしが子どもだったころ』ほか
場所:東京大空襲・戦災資料センター
ところで、昨年5月に一時帰国した際に、東京大空襲・戦災資料センターを訪問し、二瓶さんと再会することができました。その帰り道、ぶらぶら散歩しながら、猿江恩賜公園内にあるこの野球のグランドの前を通りました。なぜここに立ち寄ったかというと、東京大空襲の直後、錦糸公園と並んで、もっとも多く犠牲者の遺体が積まれたのが今の野球場の辺りだと二瓶さんから伺っていたからです(戦災資料センターのデータでは13242体と)。すぐ近くにティアラ江東という音楽ホールがあり、学生時代、このグランドを横目に何度も歩いていたのに私は何も知らなかった。身近な場所に恐ろしい事実が隠されていたことに、余計衝撃を受けたのでした。写真を眺めながら、68年前の犠牲者に哀悼の意を表したいと思います。そうこう書いているうちに、大震災から2年の日になりました。今日は心に刻む日です。
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ドレスデン・ベルリン・ハンブルク展、ぜひ訪れてみようと思います。4年前に見たフラウエン教会の黒い石を、いまは、半年に渡って親しんだ東京駅の、同じように焼夷弾に焼かれた木煉瓦と重ねて感じています。
立ち上がり歩みはじめる幾つもの姿があり、希望さえ奪われたままの幾つもの日々があります。
もう2年、まだ2年です。
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大作さん
コメントありがとうございます。大洲さんの記事も興味深く拝読しました。
>立ち上がり歩みはじめる幾つもの姿があり、
>希望さえ奪われたままの幾つもの日々があります。
本当にそうだと思います。先日ベルリンで復興庁の方の講演を聞く機会があったのですが、あまりに能天気な現状報告に唖然としました。現実を矮小化しようとする姿勢が、原発事故のときの報道とどこか重なって、恐くなりました。私もエラそうなことは言えませんが、被災地への関心はせめて持ち続けていきたいと思います。
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ベルリン猫さん
コメントありがとうございます。„ZERSTÖRTE VIELFALT“は今まさに自分でも取り組んでいるテーマなのですが、ブログ用にはまだ書いていませんでしたね。そのうちぜひ取り上げたいと思っていますので、もうしばらくお待ちください。