大分時間が経ってしまいましたが、夏の思い出を少しブログにまとめておこうと思います。息子の小学校の夏休みを利用して、7月初旬から8月なかばまで2年半ぶりに家族で一時帰国しました。ようやくベルリン・ブランデンブルク国際空港を初めて利用してまずヘルシンキへ。そこから戻る形でポーランドを経て東欧、トルコ、中央アジア、中国上空を飛ぶルートでした。今回は羽田空港着なのがありがたく、ほぼ丸1日かけて横須賀の実家に帰ってきたときは、さすがにホッとしました。なかなか帰れなかっただけに、この安堵感はそれまでの一時帰国とはまた違うものがありました。
ドイツの小学校でちょうど1年生が終わった息子も、今回の日本行きを本当に楽しみにしていました。横須賀に来た翌日、久里浜から京浜急行に乗って終点の三崎口まで行きました。この2年半の間に、息子は京急の駅名をほとんど覚えてしまうほどになっていたので、実物の車両や流れる車窓、車掌さんのアナウンスに感動しっぱなしでした^^)。
三崎口からは京急オープントップバスという2階建てのバスに乗って、房総半島や伊豆大島を望む車窓を楽しみながら城ヶ島へ。帰りに三浦港で海鮮丼を食べてから、坂の多い三崎の街を散歩しました。
7月15日と16日は、池袋の東京芸術劇場へ。藤倉大さんがディレクターを務めるボンクリ・フェスのコンサートをいくつか聴くことができました。コロナ禍で延期になっていたヴィオラ協奏曲《ウェイファインダー》の日本初演の後、短い時間でしたが、藤倉さんと言葉を交わせて嬉しかったです。藤倉さんの作品やソーシャルメディアでの発信にはよく触れていますが、直接お会いするのは2019年8月のワルシャワ以来だったことに気づきました。
実家のネコたちとも久々の再会。いたずらっ子のクルミちゃんです^^。
ひょんなきっかけから一昨年の暮れよりピアノをゼロから始めた私(詳しくはこちら)、実家の地下に眠った状態のYAMAHAのアップライトに触ってみたところ、ひどい状態。ベテランの調律師、本間ピアノさんが、蘊蓄を交えながら丁寧に調律してくださり、再び弾けるようになりました。
日本では美味しいものをたくさんいただきましたが、忘れられない味の一つが横須賀中央どぶ板通りの「うなハ」の鰻重です。オペラも上演できるよこすか芸術劇場に近いためか、小澤征爾や團伊玖磨といった著名音楽家のサイン色紙も飾られていました。
その翌日から、実家の両親を連れて大井川鐵道の旅に出かけました。名物の蒸気機関車は整備中とのことで、電気機関車の牽引となりましたが、昭和16年に製造されたという客車の旅は情緒たっぷりでした。
千頭で井川線に乗り換え、日本唯一のアプト式列車で奥大井湖上駅まで行きました。
奥大井湖上駅は「絶景駅」として有名だそうですね。上り列車が来るまで45分。少し迷いましたが、鉄道橋を渡ったところで家族と別れ、急足で山上へ。湖に浮かんだような駅とその周りが一望できるポイントに立ったときは感動しました。
寸又峡温泉に1泊し、翌朝は「夢の吊り橋」周辺を散策。金谷からは青春18きっぷで帰路に。鈍行列車の車中で、浜松で少年時代を過ごした父から、当時の話をいろいろ聞けたのも意外と貴重な機会でした。こういう話は聞けるときに聞いておかないと……。
妻の実家の家族とは西伊豆の堂ヶ島を訪れました。宿の部屋から見えるのが三四郎島です。
ここはいわゆる「トンボロ現象」で有名で、干潮時に浅瀬が姿を現し、海岸から三四郎島へと歩いて渡ることができます。伊豆では海水浴も楽しみました。
旅行では、原爆の日に合わせて広島を訪ねたのも特に印象深いです。このことはまた改めて書きたいと思っています。
ある知人の方へのインタビューで訪れた川越も初訪問でした。思いのほか長居をした後、川越駅へ戻るまでの道のりは夏祭りの賑わい。いつかまたゆっくり訪れたい街です。
東京有楽町のドイツ料理屋「バーデン・バーデン」。ベルリンのSバーンの高架下の情景を思い出しながら、音楽好きの知人と飲み交わしました。
8月の私の誕生日はたまたま祝日で、この日にようやく実家の家族全員が集まりました。息子がサッカーをしたいというので、由比ヶ浜の海岸近くの公園で家族3代で遊んだのもいい思い出に。
江ノ電に一駅乗って、長谷へ。鎌倉大仏を訪れるのもかれこれ20年以上ぶりでした。
鎌倉では、弟夫妻の間に6月に生まれたばかりの赤ちゃんに初対面できて嬉しかったです。この近くに遠い親戚が営んでいた小児科医があり、夕方跡地を散策しました。
観音埼灯台から眺めた東京湾と対岸の房総半島。ベルリンに戻ってこちらでの日常生活が始まると、日本で過ごした時間が夢のようにも感じられます。還れる場所があること、健康でいられることのありがたさをしみじみと噛み締めた今回の日本滞在でした。来年も帰省できたらいいですが、燃料費の高騰の影響は果たしてどうなっているでしょうか。