Musikfest Berlin 06 – ケラー四重奏団 –


9月に入ると、ベルリンでは音楽シーズンが本格的に始まる。その先陣を切ってMusikfestという音楽祭が開催され、今年も注目を集めた。本当はリアルタイムでその模様をお伝えしたかったのだが、なかなかゆっくり書く暇がなくて、そうこうするうちに音楽祭も日曜日で終わってしまった。私が聴けたのは全部で6公演。充実した内容のコンサートばかりだったけれど、今回は地味ながら個人的に大変感銘を受けた室内楽コンサートのことを書いてみたい。
今年のMusikfestのテーマはイギリスとハンガリーの音楽。イギリスのことはここでは置いておくとして(ごめんなさい)、私にとって今回発見だったのはハンガリーの音楽の方だった。昨年のMusikfestではヤナーチェクを中心としたチェコの音楽が大きく取り上げられたし、近年いわゆる中欧の音楽に新たな光を当てられることが多いように思う。ハンガリー生まれのクラシック音楽というとまず思い浮かぶのが、やはりバルトーク、そして最近亡くなったリゲティだろうか。この音楽祭では、その2人に比べると知名度は劣るものの、今年80歳を迎えたハンガリーのもう一人の巨匠ジュルジ・クルタークの作品が集中的に演奏された。
【写真】ブダペストのゲレールトの丘よりドナウ川を望む(2002年8月26日)
私がこの日聴いたのはハンガリー出身のケラー四重奏団。クルタークの作品の多くを初演しており、ECMレーベルからCDを出している名門だ。私は大編成のオケのサウンドも好きだけど、弦楽四重奏というジャンルにもとりわけ最近は強く惹かれる。わずか4つの弦の声部だけで形作られるその世界は、シンフォニーやオペラとは別の意味で西洋音楽のエッセンスそのものという気がするからだ。中でもベートーヴェンやバルトーク、ショスタコーヴィッチらは晩年に至るまでこのジャンルにエネルギーを注ぎ、その傑作群はさながら彼らの秘密の独白を聞くような趣さえある。
プログラムの前半は、クルタークの作品が4曲、その間にバルトークの弦楽四重奏曲第2番を挟むというものだった。ほとんど何も知らないで聴き始めた曲だったが、私は強い印象を受けた。
1926年ルーマニアの小さな村で生まれたクルタークは、1945年不法に国境を越えてハンガリーにやって来る。アメリカから故郷に帰ってくると期待されていたバルトークのもとで作曲を学ぶためだった。ところが、そのバルトークが亡くなったとの知らせが入る。まさにそんな時期の1945年9月、ブダペスト音楽院で偶然知り合ったのがクルタークより3歳年上のジョルジ・リゲティだった。2人はすぐに意気投合し、コダーイやバルトークらが築いてきたハンガリー音楽の伝統に根ざしながらも、新しい音楽語法に基づく音楽を作ろうと語り合った。彼らの音楽のスタイルは異なるものの、2人の友情は今年の6月にリゲティが亡くなるまで続いたという。
そのようなことがプログラムには書かれていた。クルタークの音楽は1曲1曲が短いのだが、まるでヴェーベルンを思わせるような、凝縮された密度の高い世界だった。間にバルトークが挟まれても、全体として全く違和感がない。なるほど、バルトークもクルタークも根っこには何か共通のものがあるのが確かに感じられた。終演後は客席で聴いていたクルターク本人が舞台に現れ、拍手に答えていた。80歳になったとはいえ、お元気そうに見えた。
クルタークはかつてこう語ったことがあるそうだ。
「私の(音楽上の)母語(マザータング)はバルトーク、そしてバルトークのマザータングはベートーヴェンでした」
後半はそのベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番が取り上げられた。ベルリンに住んでいても、ベートーヴェンの後期の5つの弦楽四重奏曲を生で聴けるチャンスはそうそうない。これらはプロのカルテットが年単位で取り組んでようやく形になるという異常に深くて美しい奥義のような作品ばかりだから、プロでさえどうしても取り上げるのに慎重になるのだろう。私がこれらの作品群に目覚めたのはここ2年ぐらいのことなのだが、今回どうしてもこれだけはナマで聴いておきたかった。
ケラー四重奏団の演奏は期待に違わずすばらしいもので、私にとってはまさに至福の時間だった。特に「リディア旋法による、病より癒えたものの神にささげる感謝の歌」という副題の付いたこの上なく美しい第3楽章では、15分間ほとんど身動きできないほど打ちのめされた。彼らは最後にアンコールとして、ベートーヴェンの最後のカルテット(第16番)の3楽章を奏でてくれた。
ところで、ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏曲に関して、最近ある印象的な一節に出会った。私が購読しているJMMというメールマガジンで、毎週土曜日ニューヨークから興味深い記事を発信されている作家の冷泉彰彦さんの文章だ。911の同時テロから5年経った先週、冷泉さんはその慰霊祭の様子をリポートされている。その部分を引用させていただきたい。

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冒頭お話した「五周年」という重さを表現することと、配偶者たちもそろそろ気持ちの整理がついて公衆の面前で話すこともできるという判断だったのでしょう。事情としてはそうなのですが、結果的にこの演出は、実にエモーショナルなものになりました。何人かの人は、自分のパートナーへのメッセージを読むところで泣き崩れてしまい、もう一人に抱きかかえられるようなシーンがありました。映画『ワールド・トレードセンター』(オリバー・ストーン監督)でも、同様のシーンがありましたが、本物の涙を見てしまうと、やはりあれは虚構だということが思い起こされました。
音楽もクラシックとジャズなどから注意深く選ばれており、4回の黙祷の後には厳粛なメロディーになり、少しずつ明るくしていって、次の黙祷があると再び厳粛に戻すという演出です。私には、10時過ぎだったでしょうか、ベートーベンの弦楽四重奏(作品130)から『カバティーナ』が取り上げられていましたが、これには心をかき乱されました。長いこと強い音楽だと思っていたのですが、この楽章は気持が支えられないほどの悲愁に満ちたエレジーだと知らされました。

冷泉さんがベートーヴェンの音楽について触れているのはこの3行だけだが、私にはとても印象に残った。それは、あのグランドゼロにベートーヴェンの「カバティーナ」が静かに響きわたる様子が絵のようにイメージされたからかもしれない。人は悲惨な出来事に直面すると、何をどうすることもできない時がある。その記憶から逃れることも難しい。そんな時、さりげなく奏でられた音楽が、こわばった心をほぐし何よりも親密に語りかけてきてくれることがある(と言うと、音楽の力を過信しているだろうか?)。それは、政治家の雄弁な演説ではなしえない、音楽ならではの効用だし、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲、とりわけその叙情楽章はそういう力を持つ音楽だと思う。
Keller Quartett:
András Keller VIOLINE
János Pilz VIOLINE
Zoltán Gál VIOLA
Judit Szabó VIOLONCELLO
György Kurtág Aus der Ferne III für Streichquartett
Hommage à Jacob Obrecht
Aus der Ferne V für Streichquartett
Béla Bartók Streichquartett Nr. 2 Sz 67
György Kurtág Six moments musicaux op. 44
Ludwig van Beethoven Streichquartett a-Moll op. 132

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2 Responses

  1. nyf1403
    nyf1403 at · Reply

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    こんにちは、先ほど、初めてコメントを書かせていただきました。

    Keller Quartettのバッハ、フーガの技法は毎週一度、必ず聴きます。去年か一昨年、Schwetzingenで、Kurtágとこのフーガの技法のコンビネーションのコンサートがあったように記憶しています。
    素敵なブログですね。これからも訪問させていただきます。

  2. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >nyf1403さん
    Keller Quartettのフーガの技法のCDは店で視聴しただけなのですが、いただいたコメントを拝見してとても欲しくなりました。彼らのクルタークはすばらしかった!他のレパートリーも聴いてみたいです。これからもよろしくお願いします。

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