ヤナーチェクの「死者の家から」@Staatsoper Berlin

Schlesische Straße in Kreuzberg
10月はいくつもの素晴らしい音楽を生で聴くことができたが、とりわけ忘れがたいのがシュターツ・オーパーで観たヤナーチェクのオペラ「死者の家から」。2日のプレミエに加え、9日、14日と計3回も体験することができた。そのうちの2回は、この公演を聴くのを主目的にはるばるタイの南部、及びニューヨークの近郊からやって来た知人とご一緒した。ワグネリアンなどとは数の上で比べるべくもないけれど、世にヤナーチェキアンなる人たちも確かにいるのだ(笑)。
ピエール・ブーレーズが指揮、パトリス・シェローが演出したこの舞台は、2007年のウィーンのプレミエで大きな評判を呼び、エクス・アン・プロヴァンスの上演をライブ収録したDVDがすでに出ている。今回のベルリンではサイモン・ラトルが指揮をすることが大きな聴きものだった。まず印象的だったのが、劇の開始部分。客席はすでに静まり返っているのになかなか暗くならない。「あれ?」と思っていたら、突然ぱっと暗転してあの鮮烈極まりない序曲が鳴り響く。喉元にいきなり鋭いナイフを突きつけられたような緊張が走った。ラトルは最初から指揮台に待機していたようで、聴衆を一気に劇の中に引き込むのに効果的な演出だったように思う。ここから休憩なしで、全3幕の1時間40分の舞台が始まる。
それにしても、何とも不思議なオペラである。ドストエフスキーの「死の家の記録」を元にヤナーチェクが生涯最後に書き上げたオペラ。登場人物はほぼ男性のみ。政治犯の男が監獄に連れ込まれるところから始まり、最後釈放されるところで終わる。その間、筋だったストーリーがあるわけではなく、明確な主役がいるわけでもない。ただ、主役級の役柄、ルカ、スクラトフ、シシコフの3人による長いモノローグがあり、ここは音楽的にも極めて重要だ。第2幕には、復活祭の日に囚人たちが素人芝居を演じる場面(劇中劇)があり、彼らが喜び騒ぐ様子に、緊張が続くこのオペラの聴き手もちょっとほっとさせられる。全体を通して、男声合唱が担う役割も見逃せない。
このオペラのテーマは何なのだろうか。シェローがベルリンの新聞のインタビューの中で語っていたが、タイトルは「死者の家から」だが、このオペラを観て感じるのはむしろ「生」であり、「生へのエネルギー」である。では、ラストシーンで鷲に託される「自由」が主題かというと、それもちょっと弱い。政治犯の男は、確かに最後「自由」を得るが、そもそもなぜ自由になるかが明らかにされない。彼を解放する監獄の所長は酒で酔っぱらっており、単なる彼の気まぐれで釈放したようにも見える。やはり、この作品のテーマという意味で重要だと思うのは、ヤナーチェクがこの作品のスコアの扉に書いたという「どんな人間にも、神聖なひらめきというのはあるものだ」という言葉、そして集団劇としての側面である。監獄の中での集団生活の中から、ふとしたきっかけからある者が口を開き、身の上を語り始める。彼らは殺人などの犯罪を犯しながらも、それなりの理由があって罪を犯すに至ったのだった。周りの囚人たちは時々茶々を入れながらも、だまって聞いている。それによって、ある感情が集団の中で共有される。そして、1つ1つのモノローグは、お互い無関係なようでいて、どこかつながっている。そこもまた興味深い。シェローの演出では最後、スクラトフとアリェヤの2人が舞台に残され、それぞれ踊り、苦しみもだえながら幕が下りる。物語が終わったという完結感がない。結局ヤナーチェクは、監獄という特殊な状況を主題に選びつつ、それまでのオペラとは全く違う手法で、いつどこにでもある普遍的な人間の姿を描こうと試みたように思える。
驚くべきことに、この特異なオペラをヤナーチェクは73歳の時に作曲したのだった。亡くなる前年の12月、彼は「私の最高の作品かもしれない最新のオペラを仕上げている。血が吹き出そうになるまでに興奮している」と手紙に残しているが、今回のラトル指揮シュターツカペレの演奏は、まさに作曲家自身がこの作品に込めた情熱と興奮が直に伝わってくるすごい演奏だった。歌手では、ルカ役のテノールŠtefan Margitaが特に光っていた。ベテランのHeinz Zednikが老人役で滋味ある表現を聴かせてくれたのもうれしかった。シシコフ役を歌ったRoman Trekelは、正直配役ミスだったか。一本調子で、歌にも色艶が乏しい。ここの音楽全体の中でも特に「熱」を感じる部分だけに残念だ。ただ、このモノローグの最中、舞台裏から静かに聞こえてくる男性合唱は、神聖なまでに美しかった。
3回目の公演では、奮発して最前列の席を買った。ラトルの指揮姿を真横からつぶさに眺められたし、舞台も間近で臨場感が違う。やはり高い席にはそれだけの価値はあるなあと久々に感じた。その公演では言葉にできないほど感激し、終演後シラー劇場の楽屋口に駆け込み、ちょうど車に乗り込むところだったラトルをつかまえて一言二言こちらの気持ちを伝えることができた。ほんの短い間だったけれど、つい先ほどまで渾身の棒を振っていた指揮者本人が目の前にいるのかと思うと、心時めいた。サイモン・ラトルは人の気持ちを全身で受け止めてくれる方だった。
2007年のウィーンから始まって、エクス・アン・プロヴァンス、ミラノ、ニューヨークなど、世界数カ所で上演されてきたこの舞台も、今回のベルリンが最後だという。シェロー曰く、「これ以上繰り返しても機械的になるだけ」とのこと。確かに演ずる方も聴く方も高い集中力を要求されるし、日常的にそうしょっちゅう観たい作品でもない。今回は連日ほぼ満席だったが、普通なら集客の面でも苦労する演目だろう。
いずれにせよ、ヤナーチェクの作品群の中でも、私にとってはどこか謎めいていた「死者の家から」が、今回の上演を通じて大好きになった。おそらく今後この舞台のDVDを観る時は、音楽と共に2011年という年を思い出すことになるだろうと思う。人間の無力さ、愚かさ、素晴らしさ・・・かつてないほど人間存在そのものを考えさせられた年に、この作品の真価を描き出した舞台に出会えたことに感謝したい。
Musikalische Leitung Simon Rattle
Inszenierung Patrice Chéreau
Künstlerische Mitarbeit Thierry Thieû Niang
Bühnenbild Richard Peduzzi
Kostüme Caroline de Vivaise
Licht Bertrand Couderc
Chor Eberhard Friedrich
Alexander Petrowitsch Gorjantschikow Willard White
Schischkow Pavlo Hunka
Roman Trekel 14|17 OKT
Aleja, ein junger Tatar Eric Stoklossa
Filka Morozow im Gefängnis als Luka Kusmitsch Štefan Margita
Der große Sträfling Peter Straka
Der kleine Sträfling Vladimír Chmelo
Der Platzkommandant Jiří Sulženko
Der ganz alte Sträfling Heinz Zednik
Der Koch Alfredo Daza
Der Pope Arttu Kataja
Skuratow John Mark Ainsley
Tschekunow Ján Galla
Der betrunkene Sträfling Florian Hoffmann
Der junge Sträfling Olivier Dumait
Dirne Susannah Haberfeld
Ein Sträfling in der Rolle des Don Juan und des Brahminen Ales Jenis
Kedril Marian Pavlovič
Schapkin Peter Hoare
Tscherewin Stephan Rügamer
Staatskapelle Berlin
Staatsopernchor

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7 Responses

  1. ふみ
    ふみ at · Reply

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    良い評判しか聞かなかった、という俗な理由で見に行き、いつもと違うスタイルのオペラに?が残る作品でしたが、まさとさんの記事で理解が深まりました!
    Classic cardの恩恵で1列目を確保し、ラトルと舞台の監獄を交互に間近でしげしげ眺めることができました。ラッキーでした!劇場ならではの狭さと天井の高さのコントラストが作品のテーマに活きていたように思います。
    なんだかもう一回観たくなってしまいました(笑)。

  2. tsu-bu
    tsu-bu at · Reply

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    オペラについては全く知識のない私ですが、マサトさんの臨場感あふれる文章に感動しました。ラトルに想いを伝えることができて良かったですね。
    おかげさまで、その後元気にしています。

  3. TM
    TM at · Reply

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    その節はお世話になりました。お陰様で私までラトルのサインをもらうことができ、一層思い出に残る遠征となりました。
    今年はNYフィルとコーミッシェで女狐、チューリヒとベルリンで死者と、稀にみるヤナ豊作年でした(笑) 4月にはメトでもマクロプロスをやりますし。
    またラトルがヤナを取り上げる時は遠征したいものです。ティーレマンが死者を振るという噂も実現するといいですよね。
    何か情報を見つけられましたら、こちらでも発信お願いいたします!

  4. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    ふみさん
    お久しぶりです。ふみさんも行かれましたか。Classic cardは私も30まではフル活用させてもらっていましたが、年齢制限を超えて久しくなります^^;。シラー劇場の空間にあの舞台はよく合っていましたよね。客席が3倍ぐらい多いNYのメトロポリタン歌劇場でやった時はどんな感じだったんだろう・・・

    tsu-buさん
    お久しぶりです。あの舞台の感動を伝えられたかというと自分では全然自信がないのですが、そう言っていただけてうれしいです。機会がありましたら、ぜひ一度DVDをご覧になってみてください。その後、お元気とのこと。何よりです。

  5. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    TMさん
    先日はこちらこそありがとうございました。日本ヤナーチェク友の会の対訳書に書いてもらったラトルのサイン。大切な思い出になりました。ラトルの「次」にも期待してしまいますし、来年3月にはDeutsche Operで「イェヌーファ」の新演出があるので、またレポートしますね。メトのマクロプロスにも期待しています。

  6. TM
    TM at · Reply

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    メトでは平土間とその2階上のボックス両サイドで観ましたが、舞台が広い分演劇部分はさらに迫力があったと思います。シラー劇場ではドンファン劇やパントマイムがちょっと窮屈そうでしたね。上から落ちてくるゴミ?の量もメトではさらに多く、威圧感があったように思います。
    音の密度はシラー劇場、シシコフはメトのマッテイに軍配でしょうか(笑)

  7. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    TMさん
    書き込みありがとうございます。それだけの大空間でやる「死者の家」もまた大きな見物だったことでしょうね。DVDでシシコフを歌っているグロゴフスキも素晴らしいのですが、TMさん絶賛のマッティは本当に一度聴いてみたかった!来年のマクロプロスのご感想もぜひお聞かせくださいね。

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