(前回のつづき)
メヒティルトさんから時代のドキュメントというべき貴重な写真をたくさん見せていただいたが、私が最も驚いたのはひょっとしたらこの一枚かもしれない。
ヴィニフレート・ワーグナー(Winifred Wagner, 1897-1980)。
リヒャルト・ワーグナーの息子ジークフリートの未亡人で、ナチス支配下の時代のバイロイト音楽祭の主催者だったのが、イギリス生まれのこのヴィニフレート。当時ヒトラーとは極めて近い関係にあり、晩年に至るまでヒトラーへの賛美を止めなかったといういわく付きの人物でもある(興味のある方は、フンメルさんのBlog「ドイツ音楽紀行」の「バイロイトの影~ヴィニフレッド・ワーグナー」をご覧ください)。
メヒティルトさんの話によると、ヴィニフレート・ワーグナーはこの時何かの用を済ませ、車に乗って帰ろうとしていたところだったらしい。そばには他にも何人かいて、カメラを向けたら嫌がる素振りを見せることもなく、普通に撮影に応じてくれたそうだ。その後、彼女は自分で車を運転して劇場を後にしたという。
バイロイトは今でこそドイツの大統領や首相を始め、内外から多くの政治家が訪れますが、戦後20年の当時はどうだったんでしょう?
メヒティルト:当時もすでに多くの招待客が来ていたわ。でも、連邦大統領は「ヒトラーの模範に従わない」(Sie wollten nicht in die Fußstapfen von Hitler treten.)ことを示すために、バイロイトとは距離を置いていました。初代のホイスがそうでした。ただ、その次のリュプケになると、確かバイロイトを訪れていたと思います。
戦後、バイロイトの職から追放されたヴィニフレートに代わって、バイロイト再建の道はヴィーラントとヴォルフガングという彼女の2人の息子に委ねられた。特にヴィーラントは数多くの演出を担当し、「新バイロイト様式」と呼ばれる新しい演出スタイルを確立させるが、66年に急死してしまう。この直筆のサインも貴重なお宝だ。
日本でもおなじみの指揮者オトマール・スウィトナー。60年代に「タンホイザー」や「オランダ人」などをバイロイトで振っている。
メヒティルト:ソプラノ歌手のグレース・バンブリーです。バイロイトに出演した初の黒人歌手ということで、当時はちょっとした論議を巻き起こしました。
バイロイトには70年代以降も毎年通われていたんですか?
メヒティルト:長女のユリアが生まれた75年は行かなかったわね。その後も毎夏バイロイトの近くの村で休暇を過ごしていたので、劇場のある「緑の丘」には毎年行っていましたが、子供が小さいこともあってその後10年ぐらいは舞台から遠ざかっていました。いつだったか、子供たちがそばにいる時に「トリスタン」のレコードをかけていたら、1人に「ママ、何でこの女の人はこんな風に叫んでいるの?」と言われて、ガクッときたわ(笑)。でも、長男のマルティンは、コーブルクという街の劇場で、今歌手として活躍しています。
祝祭劇場のちょっと変わった場所で聴いたものとして、舞台照明がある塔(Beleuchtungsturm)の上から何回かオペラを見たことがあります。そこは楽団員の知り合いなどに用意される無料の席で、高い位置から舞台上を見渡すことができたんです。他には、あの深いオーケストラピットの中で、アンドレ・クリュイタンスが指揮する「タンホイザー」を一度体験しました。弦楽器のすぐ横にいくつか席が置かれていて、そこで聴くことができたのよ。その2つの場所は、今はもう座席が置かれなくなってしまったけれど、普通の客席とは違う角度から見られるのでファンとしては興奮しました。
「右は指揮者のカール・ベーム。そして左の写真、テノール歌手のジェームズ・キング(左)と一緒に写っているのがカール・ベームの息子カールハインツ・ベームです。彼は当時、非常に有名な映画俳優でした」
やはり一度は聞いてみたかった質問なのですが、バイロイトでこれまで体験された数々の上演の中で、特に印象に残っているのは何でしょう?
メヒティルト:ちょっと考えてみたけれど、今までで一番興奮した上演となると78年に観たパトリス・シェロー演出の「リング」かしら。それまでに観たものと比べて、とにかく全てが新しかったんです。私は1人でその舞台を観たんですが、家に戻ってからも興奮が収まらず、ベッドにいた母に毎回その内容を話して聞かせていました。母は、私が一体何に興奮しているのか、よくわからなかったようだけれど(笑)。それからもちろん、ヴィントガッセンが歌いベームが指揮したあの「トリスタン」は、やはり特別でしたね。
最後はやはりメヒティルトさんとヴィントガッセンのスナップショット(サイン付き!)。数々の貴重な写真を公開させていただいたメヒティルトさんに心から感謝し、このシリーズを終わります。
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そうそう、あのシェロー演出はドイツ人のバイロイトファンは比較的率直に受け入れた人が多かったですね。私も76年にバイロイトて観ていますが大変な騒動でした。警官隊が出たほどでしたね。意外にもブランス人の常連客はあの演出を批判した人が圧倒的に多かったわけです。我々の予想とは独仏常連の反応が逆でした(笑)。
すばらしい写真の数々に、ひたすら驚嘆しています。
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60年代は戦後バイロイトの黄金時代だったということでしょうね。すはらしい黄金時代の写真の数々を見ていると、こりゃもう今更バイロイトに行くほど価値のある時代なのか、などと皮肉にも思ったりします。いや、こういう私みたいな懐古趣味こそバイロイト精神に反するかな(笑)。
出てくると皆様の癇にさわる余計なことばかり書いちゃいますね。 失礼いたしました!
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la_vera_storiaさんや他の皆さんのこれらの写真への興奮ぶりを目の当たりにして、60年代のバイロイトというのは、やはり特別だったのだなあという思いを新たにしました。それは決して懐古趣味だけではないと思います。私もそれにつられて(?)昔の録音が聞きたくなり、昨日近所の図書館でクナの「指輪」実況中継盤(56年)というのを借りてきてしまいました。かいつまんで聞いてみましたが、終演後のお客さんの熱狂振りがまあすさまじいこと!
>私も76年にバイロイトて観ていますが
ということは、プレミエの年にご覧になっているわけですね!それはla_vera_storiaさんのベルリンの思い出話並みに興味あります(笑)。機会があったら、その時の様子でもまたお聞かせください。
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la_vera_storiaさんの昔は良かった、それから他の方の昨年でお仕舞と言うのも納得出来ますね。それにしても、シェロー演出の評が独仏の聴衆で差があったとは興味あるお話です。当時はNHKの中継を聞いていただけで、スキャンダルは伝えられていましたが、その内容は今ひとつ理解出来ずにおりました。恐らくNHKのスタジオでも十分に掴みきれていなかったのでしょう。実は年末に初めてDVDを観て、改めて当時伝えられていた事が好い加減であったかを知ったものです。音楽は、制作品は記憶している中継とは違って大分編集が利いていると感じました。やはり、一見に如かずです。Aは、確かABSAGENですね。私は狙いを定めるので十年に一回ほどです。行きたい時は続けてでも行けるように画策しますが。
ベルリンのお話も楽しみにしています。
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pfaelzerweinさん、はじめまして!
本日よりまた欧州出張に出ますので、帰国しましたらまた是非いろいろとお話させていただきたく存じます。よろしくお願いいたします!
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60年代は世の中も安定して、ナチスの陰もバイロイトから消えて、いい時代だったのでしょうね。私もちゃんと応募してみようかな。是非、また音楽祭には行ってみたいです。
今度、うちの店の蓄音機HMV194を使って、「SP期のバイロイト録音」と題して、ワーグナー研究家の吉田真さんをお招きして、1927~36年のSP盤を聞くのですが、結構いい音がするので吃驚しますよ。
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pfaelzerweinさんも、NHKの中継を通してリアルタイムであのリングを体験されているのですね。私も図書館で早くDVDを借りて見たいと思っています。ごくまれにですが、映画館で上映されることもあるようですね。
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>gramophonさん
私も60年代のバイロイトは本当にすごかったのだなあ、という思いです。ドイツの経済成長期とも重なりますし、何といっても出演者の顔ぶれがすごいですよね。
「SP期のバイロイト録音」!
それは驚きですね。一体どんな響きがするのか、機会があったら一度体験させてください。
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マイクロフォンを使った電氣録音が開始(1925年)されて、27年からすぐにバイロイトでも録音が試みられ、28年にはエルメンドルフが「トリスタン」の全曲を入れています。カール・ムックやジークフリート・ワーグナーの振ったSP盤も残ってますので、楽しみです。
蓄音機で再生した音を、現在の機器で録音してCDに焼きますから、ご希望でしたら一部進呈致しますよ。
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>gramophonさん
ジークフリートの録音なども残っているのですね。
>ご希望でしたら一部進呈致しますよ。
ご丁寧にありがとうございます!
バイロイトの録音に限らず、gramophonさんおすすめの音源がありましたら、ぜひお願いしたいと思います。決して急いではいませんので、お暇のある時ということで。