壁のあった時代(上) – メヒティルトさんに聞く(5) –

かつて東西の検問所があったオーバーバウム橋にて(3月12日)
いよいよ今回から、ベルリンが壁によって分断されていた時代のお話になります。あの時代のベルリンに少しでも興味のある方は必読です。
壁の建設と東ベルリンの叔母
メヒティルトさんが初めてバイロイトに行かれたのが1962年の夏。そのちょうど1年前の8月に壁の建設が始まったわけですが、当時のことは覚えていらっしゃいますか?
メヒティルト:壁ができた時、私は休暇で母と(南ドイツの)シュヴァルツヴァルト地方にいました。その時、母が頻繁にベルリンにいる父と電話で話していたのを覚えています。でもベルリンで一体何が起こっていたのか、私はよくわかりませんでした。とはいえ、西ドイツから西ベルリンに戻ることは問題ありませんでしたし、その途中で検問を受けることにも私はもう慣れていました。悲しかったのは、東ベルリンのビースドルフに住んでいた、当時すでに高齢の叔母に突然会えなくなってしまったことです。
叔母さんに会う機会はその後全くなかったのですか?
メヒティルト:いえ、63年か64年のクリスマスに1日だけ特例が出て、叔母に会うことができました。それから64年の聖霊降臨祭の日にももう一度ね。その時叔母は、パジャマを私に贈ってくれました。西ベルリンに戻る際、オーバーバウム橋(写真↓)の検問所でちょっとした関門がありました。当時、衣料などの繊維製品を西側に持ち出すことは認められていなかったんです。でも、私は両親と一緒だったこともあり、検問官と交渉してその大事なパジャマは持ち帰ることができました。

今話したのは西ベルリンから東ベルリンへの移動に関することで、東ドイツの他の街に旅行することは許されていませんでした。それが可能になるのは70年代に入ってからです。その手続きがまた面倒で・・・
どういう手続きだったかというと、西ベルリンの何箇所かにオフィスがあって、東ベルリンからやって来た役人がそこに座っているんです。全員とてもセンスの悪いブルーの制服を着てね。そこで申込用紙に記入して、身分証明書を提示した後、3日後にビザを受け取ることになっていました。だから、「よし、今晩(東の)シュターツ・オーパーに行こう」ということはできなかったわけです。西ベルリン市民は、西ドイツ市民とは常に別に扱われていました。西ドイツの人々は、パスポートを持っていれば東ベルリンに入ることができたんです。西ベルリン市民、西ドイツ市民、外国人とでは、入り口の場所もそれぞれ違いました。あと、西ベルリンから東ベルリンに車で入るか徒歩で入るか、さらに車で入る場合同乗者に西ドイツの人がいるかいないかでも入国の仕方が異なっていたのよ。
2つの検問所
というと?
メヒティルト:例えば、西ベルリン市民の私が車で東に行く場合、大抵はインヴァリーデン・シュトラーセの検問所を利用していました。別に他の検問所からでもよかった。でも、その車の中に西ドイツの人、例えば私の義理の姉妹ルートを乗せて東ベルリンに入る場合は、ボルンホルマー・シュトラーセの検問所(写真↓)からしか入国できなかったんです。なぜなら、西ベルリン市民と西ドイツ市民は、それぞれ違うパスポートを持っているという事情があったから。とにかくいろいろややこしくて、そして理に適っていなかったわ。

私は最近こういう話を本で読んで、思わず笑わずにはいられませんでした。その昔、モーゼス・メンデルスゾーン(作曲家メンデルスゾーンの祖父)が、14歳で南ドイツのデッサウからベルリンに徒歩でやって来た時のこと。彼は南のハレ門から市内に入ろうとしました。すると、門の役人に「ここはダメだ。ユダヤ人はローゼンタール門からしか入れない」と言われたため、市壁に沿ってぐるっと回って、その門から市内に入ったというんです。この話を聞いて、私はインヴァリーデン・シュトラーセとボルンホルマー・シュトラーセの2つの検問所のことを思い出しました。その話は18世紀の中頃の出来事だけど、ベルリンでは壁をめぐってすでにこういう現実があったということね。
東ベルリンに行く際は、毎回必ず25マルクを東のマルクに両替しなければならなかった。それは「高い遊び」だったわ。東ベルリンに住む知人や友人を訪ねる際、私は毎回彼らにお土産を持って行くのだけど、その他に「入場料」として25マルクも払わなければならなかったんですから。それに東ベルリンは物価が安かったから25マルクを1日で使い切るのは大変でした。かといって、東のマルクは西に持ち出すことは禁じられていて、見つかると大変な怒りを買うことになります。万が一東マルクを西に持ち出したとして、それを再び東に持ち込むことも禁止されていました。

でも、余ったお金はDDR銀行と呼ばれる口座に預けて、オペラのチケットなどでお金が余分に必要な時はそこから引き出すことができました。長男のマルティンは東ベルリンによく楽譜を買いに行っていたし(紙質はよくなかったですが)、私もシュターツ・オーパーで何回もワーグナーを観ました。平土間の席が5ユーロとか10ユーロで買えたのよ。そちらの方は、毎回すばらしかったわね。
オペラが終わると、フリードリヒ・シュトラーセの「涙の宮殿」を通って再び西に戻られたんですか?
メヒティルト:そう。まさに「涙の宮殿」よ。でも「涙の宮殿」というのは俗称で、公式には”Ausreise(出国所)”といっただけではないかしら。オペラの帰りはいつも長い行列ができていて、税関と警察の2回のコントロールを受けることになっていました。
マルティンは友達とたまに東ベルリンに行っていましたが、一度アレクサンダー広場のデパート「ツェントルム」でDDRの国旗を買って来て私を驚かせたことがあります。
え、何のために?
メヒティルト:ただの冗談でよ(笑)。
その後、壁が崩壊してから90年の夏まで、西マルクと東マルクが併用されていて、私は友達とオペラを観に頻繁に東へ行きました。通貨の手続きはもちろんずっと楽になりました。

(つづく)

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17 Responses

  1. gramophon
    gramophon at · Reply

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    西ベルリン市民は特別だったんですね。80年代後半、外国人は割にすんなり入れたものでしたが、検問所の緊張感は思い出すのも厭です。安全弁を外した、自動小銃を手にした国境警察が睨んでるです。

    この強制両替25マルクは使い切れず、いつもこっそり持って帰って、次の時に友人にご馳走したりしてましたよ。

  2. Ken
    Ken at · Reply

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    東西ベルリンの移動について、「ほー」とか「へー」とか
    知らないことだらけです。
    事実だけではなく、実際にそこにいた人の感想を聞けるのは
    貴重です。

  3. la_vera_storia
    la_vera_storia at · Reply

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    東京を発ってロンドン経由で現在ブリュッセルに来ていますが、とうとう成田からの欧州行き便の液体持ち込み制限が加わるなど、空港の保安検査もだんだんと厳しくなりつつあり、なんだかちょっと以前の東西ベルリン検問所のことをふと思い出したほどです。
    さて、メヒティルトさんや御長男のマルティンさんのお話を読むと、なんだか懐かしい(!)気持ちになってしまいます。私もメヒティルトさん同様、あの「最低強制両替額」を「入場料」と感じましたし、やはり1日の東ベルリン訪問で東のマルク(DDRのマルク)を使い切るのにマルティンさん同様、楽譜や本を買うことにしていました。(以前にMitteleuropaの掲示板に「ベルリン幻影 - 2つのPalast」として投稿したものを管理人さんがHP本体に移してくれましたのでそれも御参照下さい。)

  4. la_vera_storia
    la_vera_storia at · Reply

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    本については、これはあのフリードリヒ通り駅の出口の橋桁のところに本屋さんがありましたので、そこで買うことが多かったですね(焼きそうせいじさんならよくご存知ですよね、あの本屋さんのことを)。あと、東のマルクはパラストホテルのグリルで食事をしたりしました。楽譜については、ウンターデンリンデンのロシア大使館のある側に楽譜屋さんがありましたので、ここで買うことが多かったですよ。ひょっとしてマルティンさんもそこで買われたのではないでしょうか? この楽譜ですが、かなり厚いものを買おうとすると25マルク以上になりますので、前もって西ベルリンで公式レートの4分の一ほどで両替しておき、違法に東に持ち込んだわけです。

  5. la_vera_storia
    la_vera_storia at · Reply

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    一例をあげれば、あの「ニーベルンクの指輪」の4部作(3+1)のピアノ(+声楽)スコアですが、これはEdition Peters Leipzigから緑色の布表紙のかなり立派なものが70年代後半で確か1冊平均15(東)マルクくらいだったでしょうか(現在出先なので価格は記憶によります)。ですので、4作分で60(東)マルクぐらいになります。仮に1マルク=80円と換算しておきますと、公式レートで4,800円くらいでしょうか。ところが違法に4分の一で東マルクを持ち込んで買いますので、実際は1,200円くらいにしかなりません。これを西側で同じスコアを西側のEdition Petersで購入すれば、4冊で確か2万円近くなったはずです。

  6. la_vera_storia
    la_vera_storia at · Reply

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    ところが私は一度、この「大量スコア買い」について東ベルリン出国の際に税関で見つかってしまいました。この時のやりとり、一度あるところの掲示板に仔細に書いたのですが、それを保存しておく前にトピックが消去されてしまい、残念に思っています。またそのうち改めて書いておきたいと思っていますが。

    ごめんなさい、東西ベルリンの話になりますと海外にいてもどうしてもでしゃばり出てしまいます(笑)。 失礼いたしました。

  7. la_vera_storia
    la_vera_storia at · Reply

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    おっと、一つ忘れました。あのオーバーバウム橋ですが、壁崩壊後にDDRの人(Mさん)と東側のワルシャワ通り(!)からあそこを渡って西ベルリン(クロイツベルク)に歩いたことがありました。その人が言うには、「まさかあの橋を渡って西側に行ける日がこんなに早く来るとは予想もできなかった!」とやや興奮気味でした。さて、いささか私も興奮しつつ2人は西側のクロイツベルクに到着し、一緒にそこいらを歩いたのですが、その人はクロイツベルクの街の光景を唖然として見ていました。それもそうでしょう、あのようなクロイツベルクの光景というのは東ベルリンでは決して見られない風景だったからです。

    そうですね、この時のこと、「幻影」として後日投稿しておくこととしましょう。

  8. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >gramophonさん
    >西ベルリン市民は特別だったんですね。
    本当にそうですね。もともとは同じ街の市民なのに、まず役所に申し込みに行き、3日後にビザを受け取る。さらに25マルク払わなければならないなんて、今さらながらなんという不条理さかと思います。

    >いつもこっそり持って帰って、次の時に友人にご馳走したり
    >してましたよ。
    あの時代東ベルリンに行ったら、私もそのぐらいのことはしていたと思います^^;)。今となってはうらやましい体験です。

  9. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >Kenさん
    あの時代の東西の移動については、私も初めて知ったことばかりでした。
    >事実だけではなく、実際にそこにいた人の感想を聞けるのは
    >貴重です。
    そう言っていただけるとうれしいです。次回もどうぞお楽しみに。

  10. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >la_vera_storiaさん
    こんばんは。今回はブリュッセルですか!
    お忙しいご出張の合間を縫って書き込んでくださり、ありがとうございます。メヒティルトさんの話を、うまく補完してくださったという感じです。

    今度メヒティルトさんに会ったら、楽譜屋の場所を聞いてみますね。ロシア大使館のそばにあったとは。ちなみに、マルティンさんもワーグナーのスコアを東で買っていたそうです。音楽好きの考えることは案外同じなのかもしれません(笑)。

    東の人がオーバーバウム橋を通って初めて西側に入った時の感慨は、いかほどのものだったかと思います。しかし、当時のクロイツベルクには(まあ今もあまり変わりないですが)さぞやびっくりされたでしょうね。まず落書きというものが東にはなかったと思います。ずっと東に住んでいて、「クロイツベルクになんか行ったことがない」という人の話はたまに聞きます。

    次回は西ベルリンの60年代の話、その次は音楽談義、そして壁崩壊時の話と続きます。またご登場いただけるとうれしいです!

  11. Kaninchen
    Kaninchen at · Reply

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    ちょうど壁が崩れる前日に、それと知らずに強制両替をし、東に入ろうとしたら、すごい検査で、とうとう入れずじまいでした。
    しかし、その歴史を体験してきた人たちから直接そういった話が伺えるなんて、素晴らしい機会を設けてくださってありがとうございました。
    今回の記事は大変感銘深く、私を思慮の世界へといざないました。

  12. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >Kaninchenさん
    コメントありがとうございます。こういうご感想をいただくと、がんばって訳した甲斐があったなと思います。

    Kaninchenさんはひょっとして壁崩壊の前日に東ベルリンに入ろうとされたのですか。だとしたらすごい時期にベルリンにいらっしゃったんですね!メヒティルトさんのその時の話も、ぜひ読んでいただきたいです。

  13. 焼きそうせいじ
    焼きそうせいじ at · Reply

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    西ベルリン在住外国人は、西ベルリン市民に準ずる扱いを受けられ、メヒティルトさんのお話に出てくる役所で申請もできました。80年代後半は即日ビザ発給になっていました。この方法ですと、ビザ代5マルクが免除になり、また東ベルリン以外にも行けましたし、翌日午前2時までに戻ればよく、少し時間が長くなりました。その手続きが面倒なときは、日本のパスポートを出して「第三国人」として東ベルリンのみのビザをもらうこともできました。

    私もスコアを買いたかったのですが、帰りに税関検査でこれが見つかると、明らかに25マルクを超えたものについては、お金のでどころを疑われるので、できませんでした。ただ、チェコやハンガリーから戻ってくるときに、通過ビザで東独に入り、東ベルリンで本やレコードを買い、西へ持って出たことは何度かあります。カラヤン指揮「マイスタージンガー」のカセットテープのセットはこうやって入手し、今でも持っています。買った場所は、ソ連大使館近くの楽譜&レコード店でした。あの店は今でもあるような気がしますが…。

  14. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >焼きそうせいじさん
    「西ベルリン在住外国人」だった焼きそうせいじさんは、メヒティルトさんと結構似たような境遇にあったようですね。「即日ビザ配給」のシステムは、80年代に入ってからだったということも知りませんでした。

    >買った場所は、ソ連大使館近くの楽譜&レコード店
    やはり目指す場所はla_vera_storiaさんと一緒だったわけですね(笑)。このお店の場所、そして今も営業しているのか、ますます気になってきました。カラヤンの「マイスタージンガー」は、この人にしては珍しく東独のドレスデンで録音されていますよね。

  15. スイス
    スイス at · Reply

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    とても当時の東西ベルリン、ドイツの事情やどんな様子だったのか、よく分かりました

  16. ナビィ
    ナビィ at · Reply

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    こんばんは!まさとさんの書いた記事にベルリンの歴史のことがあったので読んでみました。まさとさんのおっしゃっていたとおりベルリンと沖縄は何か通じるものがあると私もおもいました。沖縄も日本に復帰して60年以上経ちますが、復帰前は本土から来るときはパスポートが必要だったり、予防接種をして入国という形で沖縄に来たという話も聞いたことがあります。また、通貨も30年以上前はドルだったそうです。今でもレストランなどでドルを使うことがたまにありますが、日本であって日本でないような、日本人だけどうちな~んちゅだと上手く説明できませんが、ベルリンの歴史に共通点があるような、、とても親近感が沸きました。。ちなみにナビィというニックネームは、豊臣秀吉の時代にいた琉球三代歌人恩納ナビィという人から使わせてもらいました。閉鎖的な時代に生きながらも自分の思いを通した詩を歌った人だといわれています。沖縄は音楽や舞踊、古典も盛んなとこも似てるような気がします。

  17. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >ナビィさん
    沖縄のお話、大変興味深く読ませてもらいました。

    >復帰前は本土から来るときはパスポートが必要だったり、
    >予防接種をして入国という形で沖縄に来たという話も
    平和祈念資料館で沖縄の戦後の歴史に触れたのですが、「分断時代のベルリンみたい!」と何度も思いました。実は僕も、それで親近感が沸いたのですよ。実家のある横須賀もまた基地の街ですしね。

    >豊臣秀吉の時代にいた琉球三代歌人恩納ナビィという人
    「ナビィの恋」という映画のタイトルを思い出しましたが(それと関係があるのかどうかはさておき)、昔そういう人がいたのですね。日本から持ってきた沖縄の本、続きが早く読みたくなりました。

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