「クロイツベルク回想録1988-89」を始めるにあたって

壁崩壊からちょうど20年というこの秋、6年半住んだクロイツベルクを離れるにあたって、ぜひともこのブログで紹介したい話がありました。
事の発端は2年前の秋にさかのぼります。クロイツベルクを撮り続けてきたヴォルフガング・クローロフという写真家の展覧会の紹介をした際に、ある読者の方から次のコメントをいただいたのです(その時の記事はこちら)。

Commented by Takora at 2007-09-11 16:03 x
はじめまして。バンクーバー在のTakoraと申します。きっといつか、ウォルフガングの話題も取り上げられるだろうと思っておりました。僕は19年前、クロイツベルグの日常を収めたウォルフガングの『Seiltanze』と云う写真集をベルリンで探していた際、幸運にも氏と巡り合う機会を得、以降ベルリンに足を向けて寝られない程お世話になりました。氏のお陰で滞在中(88年秋と89年夏)、当時のクロイツベルグを象徴する様なアーティストやパンク、カフェやバーの人達と接しリアルなクロイツベルグを体感出来た事は、僕の人生の宝となっています。今でもあの街の混沌の中に潜む魅力は忘れられません。壁崩壊後、街がどう変わりつつあるのか?マサトさんのブログ、これからも目が離せません。余談ですが、ウォルフガングはマサトさんのすぐご近所に住んでいるはずです!

ヴォルフガング・クローロフは、クロイツベルクを写したそのいくつかの写真は比較的知られているものの、世界的に著名な写真家というわけではありません。その彼を直接知り、壁崩壊直前のクロイツベルクを体感した日本人がいるということに私は少なからず驚き、興味を持ったところ、やがてカナダ在住のTakoraさんこと長野順二さんからメールが送られてきました。しかも、ご自身のクロイツベルクでのかなり長い体験記を書いてくださったのです。それがとても面白かった。自分が住む広場周辺が舞台ということで親近感を感じただけでなく、日本のごく「普通の」若者がクロイツベルクに突然やって来て、そこで感じた新鮮な驚きが素直に綴られていました。
2009年のこの秋、2年前にいただいたクロイツベルク回想録に長野さんがエピローグを書き加えてくださり、このブログに掲載させていただけることになりました。私としてはこの上ない喜びです。
1989年のいわゆるWende(転換年)というと、東の人々が味わった大変動を中心に語られがちですが、「陸の孤島」だった西ベルリンが終わりを迎えた年でもあったのです。「昔の方がずっと刺激的だった」とクーダム周辺に長く住むある日本人女性が、あるとき私に言いました。「昔の西ベルリンは店を始めるためのいろいろな優遇措置があって、街も店も活気があったわねえ」と日本食屋さんを長く経営するご夫婦も話しておられました。西ベルリンの中でも、特にこのクロイツベルクが特異な場所であったということは、当ブログでもたびたびご紹介してきましたが、長野さんの回想録は、あの時代のベルリン、そしてクロイツベルクにしかなかった空気を感じていただくためにも、とても貴重な内容だと思います。
素顔のベルリン』でも取り上げた場所がいくつも出てきます。拙著をお持ちの方は、地図を照らし合わせて読んでいただけると、感興はさらに深まるのではないかと思います。全5回程度を予定しています。どうぞご期待ください。



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2 Responses

  1. MOTZ
    MOTZ at · Reply

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    今、すごく興味がわいて仕方ないこと、それは80年代のクロイツベルク、です。なんとタイムリー!非常~~に楽しみです。昔のほうがずっと刺激的、当時のいろいろな写真など見ると尖がったものを感じるので、なんとなくわかります。なにか、あの時期のとんがった雰囲気を追体験したく、今、「ベルリン物語」シリーズを読み返したりしております。

  2. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    MOTZさん
    いいタイミングでこのお話を掲載できてよかったです。橋口さんの「ベルリン物語」と写真集は、80年代のクロイツベルクを伝えるものとして貴重なものですよね。

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