クロイツベルク回想録1988-89(3) -この街に生きる人々-

写真家ヴォルフガング・クローロフ(Foto: Jana Farley)
長野順二さんによる「クロイツベルク回想録1988-89」の第3回目は、写真家ヴォルフガング・クローロフを通じて出会ったクロイツベルクの人びとについてです。
<クロイツベルクの人々>
ウォルフガングの所には、様々な友人知人が訪ねて来ていました。その大半の人たちが、何らかの形で創作活動をしているクロイツベルクの住人だったと思います。 ミュージシャン、絵描き、役者、(建物や街の)模型職人、写真家、etc(中にはテニスプレーヤーもいましたが)。ウォルフガング以上にお世話になった当時の彼のガールフレンドのタマラも、生業にはしていませんでしたが画を描く人でした。二人にはよくシャミッソー広場界隈のカフェやバーへ連れて行ってもらいました。シャミッソー広場のテンペルホーフ側正面にあるカフェもその一つです(現在でもあるかどうかは分かりませんが)。夕方になるとどこかの店に赴き、ビールやワインを飲みながら顔見知りの客達と何やら談義をする(ドイツ語だったので、何を話しているのやらわからなかったのが残念至極!)。その様子を見ていて、昔のパリのカフェもこんな風だったのだろうな、などと思ったりしたものです。
ウォルフガングを訪ねて来る友人知人も、連れて行ってもらった店の客達もウォルフガング同様、服装を含め実にカジュアルな感じの人たちばかりでした。東京やパリ、ロンドンやミラノでよく見かけるクリエーター然とした(フッション誌のモデルの様な気合いの入った着こなしの)人は皆無だったと思います。質実剛健なカジュアルさとでも云うか、ここで出逢った人達を見ているうちに、「肩に力の入っていない地に足の着いた暮らしとは、こういう風なものなのかな」と感じられる様になり、それまで感じていた胡散臭さが、一風変わった不思議な魅力へと変わっていきました。当時バブルの真っ最中だった日本(東京)から来たので、余計そう感じられたに違いありません。
ウォルフガングを訪ねて来た人達の中で、特に記憶に残っているのが、西ベルリンで前衛舞台を中心に活動している女優さんと東ベルリンに住むその妹さんです。(僕の記憶が正しければ)この姉妹はオランダ系なので、妹さんは東ドイツ人と結婚し主婦として東側で暮らしていながらも、東・西を自由に出入り出来る、という境遇でした。
もう一人が、ウォルフガングに自分の撮った写真を見せに来てアドバイスを受けていた20歳前後のフランス人青年です。彼は当時、西側に駐留していたフランス軍の兵士で、西ベルリンに配属されてからウォルフガングと知り合ったようです。
ウォルフガングの紹介で知り合った人ではありませんが(クロイツベルク在住でもないと思いますが)、もう一人忘れ難い人がいます。それは(Sバーンの)WilhelmsruhかFrohnau駅近辺の壁際を散策していた時、僕に声をかけてきた老人です。この老人は、東側から穴を掘り壁の下をくぐって西側に亡命して来たそうで、その抜け穴のあった場所を指し示しながら、その時の事を聞かせてくれました。これも残念ながら詳細は思い出せません。
ちなみに、この辺りの壁は、クロイツベルクで見る壁ほどものものしい造りではありませんでした。また(Uバーンの)Rudow駅に近い辺りの壁は、それよりも一層ヤワな造りに見えました。あくまでも、見た目での印象ですが。
(つづく)



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