クロイツベルク回想録1988-89 (1) -国境越え-

今回より長野順二さんのクロイツベルク回想録をお届けします(写真も長野さん所蔵のもの)。
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二十年近くも前の話、まず何からお聞かせしたらよいのやら?迷いつつ記憶を辿っております。ちょっと長くなるかも知れませんが、まずは、クロイツベルグに向かう事になったきっかけから始めます。
<クロイツベルグを知ったきっかけ>
クロイツベルグを知ったのは、作家・小田実さんの著書『西ベルリンで見たこと 日本で考えたこと』を1988年の夏に読んだのがきっかけです。ここには小田氏のベルリン滞在記を通して、クロイツベルグの事が紹介されています。その一端に、この地区の日常を収めたウォルフガング・クローロフの写真集『綱の上のダンス』(『Seiltanze』)も紹介されています。もっとも、小田氏の本の中に、ウォルフガングの名前は記されておりませんが。
当時の僕は大学卒業後、東京の映像制作会社でアシスタントディレクターとして四年半程働いていた頃で、「この先もしディレクターになれたとしても、今の様な狭い視野のままで果たして面白い作品を撮る事が出来るのだろうか?」。そんな疑問を自分自身に抱き、「今のうちにせめて1年位は、日本の外を色々と見ておいた方がいいのでは?」などと漠然と考えていた時でした。そんな折、小田氏の著作『ベルリン日録』でベルリンに興味をひかれ、次作の『西ベルリンで見たこと 日本で考えたこと』が決定打となり、「東・西のベルリンを、そしてクロイツベルグを体感せねば!」と好奇心に駆られ、遂に会社を辞めてこの年の秋から一年間ヨーロッパを巡る事を決意。そうして10月下旬から11月上旬にかけて初めてベルリンを訪ねました。クロイツベルグに住むウォルフガングとは、その際に出逢いました。また、ウォルフガングと再会する為、翌1989年の7月下旬から8月の中旬にもベルリンを訪ねました。
<国境越え>
1988年秋、ハノーバーから鉄路での西ベルリン入りは、東・西ドイツ国境でのチェックが、スパイ映画や戦争映画さながらの緊張したものでした。自分の乗った列車が、幾重もの鉄柵を徐行と停止を繰り返しながら通り、自動小銃を抱えジャーマンシェパードを連れた東側の兵士達が、大きな鏡でその列車の底をも隈無く調べる。当時は東・西がある意味戦争状態だったのだから、それは当然なのですが、戦後生まれで平和ボケしている日本人の僕には、今自分が体験している状況に緊張しながらもどこか現実味が感じられませんでした。
翌年の夏は、ロンドンから出ている長距離バスで西ベルリンに入りました。鉄路が道路に変わっただけで、この際も東西国境での緊張感は前年の秋と同様のものでした。この頃既にチェコスロバキア〜ハンガリー~オーストリア経由で大量の東ドイツ国民が亡命を続けていて、国家体制が危うくなっているとニュースで大々的に報じられていましたが、まさかその数ヶ月後にベルリンの壁が崩壊するとは、想像も出来ませんでした。
(つづく)



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