クロイツベルク回想録1988-89(4) – パンクたち –

当時ベルリンで盛んに行われていた“空家不法占拠居住運動”のシンボルマーク。落書きの様にしてアパートの壁などにデカデカと描かれているのを所々で見かけた(長野順二さん所蔵の写真より)
<パンク>
クロイツベルクではパンクの若者をよく見かけましたが(稀に老いたパンクも)、一般的なカフェやバーで見かける事はありませんでした。見かけたのは、ほとんどが歩道や公園、広場、古びたアパートの前にたむろしている様子でした。特に2度目に訪れた夏には、道端のあちこちで(言葉は悪いですが)ゴロゴロしている姿をよく見ました。歩道と車道の段差に腰掛けたり、歩道に寝転んだりして缶ビール片手に雑談している彼らの様は、何とものどかでした。幼い子供を連れた若いお母さんパンクの姿も、時々見かけました。彼らパンクの様相で特に目を引かれたのは、夏に素足でいる人が妙に多かった事です。座り込んでいる時にだけ靴と靴下を脱いでいたのではなく、明らかに裸足で出歩いていました。スーパーマーケットで、裸足のまま買い物をしているパンクを見かけた事もあったと思います。クロイツベルクで見かけたパンクたちの姿は、微笑ましい光景からシンナーの入ったビニール袋を持ってヨロヨロと歩いているものまで様々でした。
<クロイツベルクの治安>
この街自体は、押し並べて色褪せたスラムっぽい雰囲気はありましたが、その度合いも地域によって違う印象でした。シャミッソー広場の辺りは、クロイツベルクの中でも健全な雰囲気があり、逆にSchlesisches Tor界隈は、かなり寒々とした胡散臭さが漂っていたと思います。それでも、アメリカの都市部のスラム街のように、いつ凶器を持った輩に襲われるかもしれない、といった危険は感じませんでした。また、あまり悪い噂やニュースも耳にしませんでしたし。当時の街の見た目の雰囲気と治安の実情には、結構なギャップがあったのではないかと思います。ただし、自転車泥棒は頻発していた様です。僕も実際に、鍵のかかったままの自転車を大慌てで物陰に引き込んで行く若い男女の姿を見かけました。
ただ、一度だけ本当に「ヤバい!」と思った事があります。夜、U7 Südstern駅の上にある公衆トイレで一人小用を足していた時、20歳位のパンクの青年がふらりと入って来て洗面台の脇で立ち止まるなり、突然刃渡り20センチ程もあるサバイバルナイフを懐から出しました。この瞬間、本当に心臓が口から飛び出しそうな恐怖を感じました。それは、叫び声をあげたくても声も出ない程の恐怖でした。これがもし小用を始める前であったなら、おそらくズボンの中にしてしまっていた事と思います(汚い話で申し訳ありません!!)。
しかし、このパンクの青年はその後こちらには見向きもせず、もう片方の手に握っていたハッシッシを洗面台の上に置いて、大きなサバイバルナイフを打ち付け一心不乱にそれを砕き始めました。怯えながら、なかなか終わらぬ小用をようやく終えると、僕はその青年の脇をゆ~っくりとすり抜けてトイレのドアを出るなり、人通りのある方へ一目散に駆け出しました。今でも想い出すとあの時の驚き(恐怖)は、鮮明に蘇ってきます。
<パンクの来る店>
先に「パンクをカフェやバーで見かける事はない」と書きましたが、まったくなかったのではなく、パンクの集う店というのもありました。その一つが、シャミッソー広場とウォルフガングのアパートとの中間辺りにあった”パンク・バー(?)”です。確かアパートの一階にあり、外からは何の店だかわからず、中に入るとその造りは、薄暗い中に所々蛍光色の灯りがあり、激しいサウンドのロックがガンガン鳴り響いている、まるで高校の文化祭のロック喫茶の様な店でした。ここもウォルフガングに連れて行ってもらった店の一つですが、その時店内に居た客は、僕たち一行以外は皆パンクの若者でした。どうやらウォルフガングは、この店の常連の一人のようでした。2度目に行った時も同じ状況だったと思います。
ウォルフガングは、行く先々の店で全て僕の勘定まで払ってくれたので、この店のビールの価格がいくら位だったか、まったく記憶にありません。
マサトさんのブログでも取り上げられたことのある、L字の角を曲がった先のT字路のコーナーにある”小さい塔の様な建物”の中の店でも、パンクを見かけました。店といっても、ここはライブハウスのような店で、僕がウォルフガングに連れて行ってもらった時には、高校生くらいの年頃の子達のヘビーメタルバンドが、演奏をしていました(音楽は全く素人の僕が聞いても、そのヘタさが分かる演奏でしたが、不思議とその気迫には何かハートを掴まれるものがありました!)。ここの客層はパンクだけでなく、それ以外の10代や20代の若者が混在していたと記憶しています。
もう一つが、Südstern駅の入口のすぐ近く(Gneisenaustr.沿い)にあった店です。夏の夜にこの店の前を通りかかったら、大勢のパンク達が店の外にまで溢れ出して、道端に座り込んだり寝転んだりしながらビールなどを飲んでいました。この店には入ってみたかったのですが、あの状況の中で日本人の観光客然とした僕に、一人で入って行けるだけの気合いがありませんでした。
(つづく)
(ブログ管理人による追記)
長野さんの回想録を拝読して、クロイツベルクも変わったものだと思います。長野さんがここで触れているパンクのバーが現存しないのはもちろん、シャミッソー広場周辺(『素顔のベルリン』のKreuzberg2で紹介)でパンクの若者を見かけることなどまずなくなりました。私がこの界隈に住んでいた6年半の間にも、周辺の店の顔ぶれは変わり、大分洗練されたような気がします。家賃もずいぶん上がりました。
それでも2枚目の写真に如実に現れているように、街並みは20年前とほとんど何も変わっていません。また、長野さんが語っている人々の「質実剛健なカジュアルさ」も健在だと感じます。ここで触れられている「L字の角を曲がった先のT字路のコーナーにある”小さい塔の様な建物”の中の店」は、実は今週末に予定している出版記念のパーティー会場(詳しくはこちらより)の給水塔です。パーティー会場がなかなか決まらなくて困っていた時、ここの中で働く初対面のおじさんに自分の本の話をしたら熱心に聞いてくれ、「ぜひここを使いなさい」と言ってくれました。こういうところに、この街の「懐の広さ」を感じます。



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