メンデルスゾーン家を知るために

今年は作曲家フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ(1809-47)の生誕200年に当たります。ベルリンは、ライプツィヒと並んでメンデルスゾーン家にゆかりの深い街。今回は、金融から芸術まで、世界に大きな足跡を残したこのユダヤ系一家を知る格好の場所をご紹介しましょう。
(http://www.haus-mendelssohn.de)より借用
ミッテのジャンダルメンマルクト傍のイェーガー通り(Jäger Str.)は、古くからベルリンの銀行街として知られていました。2つの国立銀行に挟まれ、ベルリン最大の私営銀行として確固たる地位を築いたのが、 1795年創業のメンデルスゾーン銀行です。1815年、著名な哲学者モーゼスの息子にして銀行の創業者であるヨーゼフとアブラハム(フェリックスの父)がこの通りの51番地に越して以来、同地は100年以上にわたってメンデルスゾーン家の生活と活動の拠点になりました。現在、その中庭に面した建物が「メンデルスゾーン・レミーゼ」(Mendelssohn-Remise)という名で、一家にまつわる常設展を開催しています(入場無料の代わりに募金の形をとっています)。
モーゼス・メンデルスゾーン(1729-86)の胸像
館内はコンパクトながら、メンデルスゾーン家ゆかりの品々や資料を集め、展示内容は充実しています。順番に見て回ると、この家系全体に貫かれているある種の「精神」が見えてきます。たとえば、銀行を経営しながらも様々な分野の人との交流を重んじたことです。サロン文化が花開き、博物学者フンボルトや哲学者ヘーゲル、あるいは作曲家クララ・シューマンら、そうそうたる顔ぶれがここに出入りしていました。そのことが若きフェリックスの音楽に大きな影響を及ぼしたことは言うまでもありません。また、慈善活動や今で言うメセナ活動にも力を入れ、世界的名声を得る前の、マネ、セザンヌ、ゴッホ、ピカソらの作品を集めていたことも注目に値します。
(http://www.haus-mendelssohn.de)より借用
メンデルスゾーン銀行のシンボルマークは鶴をモチーフにしており、その下には「ICH WACH」(私は目覚めている)と書かれています。鶴は古代から注意深さや介護の象徴で、怠惰や無関心とは正反対の概念です。社会、経済、文化、学問に対して関心と責任を持ち、保護育成しようとする。それがメンデルスゾーン家のモットーだったのです。
一時代を築いたメンデルスゾーン銀行ですが、やがて悲劇に見舞われます。反ユダヤ主義のナチスが政権を握ると、フェリックスの音楽はコンサートのプログラムから外され、1938年にはメンデルスゾーン銀行が解散させられるに至るのです。もともと銀行の馬車置き場として使われていたことからレミーゼと呼ばれたこの建物は東ドイツ時代、ガレージとなっていました。ドイツ再統一後にようやく改修が進み、2004年に「イェーガー通り歴史フォーラム」が運営する施設として生まれ変わりました。
不遇な過去によって、フェリックスの音楽やメンデルスゾーン家の研究はドイツ本国においてさえ遅れていると聞きます。彼らに新しい光が当たるのはこれからと言って良いでしょう。メンデルスゾーン家の精神を受け継ぎ、このレミーゼではコンサートなどの文化的な催しも頻繁に行われています。
ドイツニュースダイジェスト 11月20日)

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