ライプチヒ通りのメンデルスゾーン

前回「メンデルスゾーン・レミーゼ」をご紹介しましたが、作曲家のフェリックス・メンデルスゾーンが住んでいた家は、そこから少し離れた場所にありました。
それが、ポツダム広場からほど近い、ライプチヒ通り(Leipziger Straße)3番地の邸宅です。1825年、フェリックスの父アブラハムがこの家を購入し、一家は移り住みました。
1851年にこの屋敷は国に売却され、1904年、プロイセン貴族院がこの地に建てられることになります(現在はドイツ連邦参議院となっているこの建物は、以前紹介しました)。そういうわけで、メンデルスゾーン邸の跡は、残念ながら何もありません。わずかに、連邦参議院の一番右のドアの横に、(写真の)プレートが掲げられているのみです。そこには、この家が芸術と学問の社交の場になっていたこと、フェリックスがここで『真夏の夜の夢』序曲を作曲したこと、姉のファニー・ヘンゼルが有名な日曜音楽会を開催していたことなどが記されています。
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裕福なメンデルスゾーン家だけあって、立派な邸宅だったようです。通りに面した建物を抜けると、両翼の建物、そしてその美しさで知られる公園までありました。日曜音楽会は、暖かい季節に庭に面したホールで行われていたそうです。この水彩画はファニーの音楽部屋。明るい光が差し込む、さぞや素敵な部屋だったのだろうと想像させてくれます。
先日、「メンデルスゾーン・レミーゼ」のEva Ghoshさんに案内していただいた時、この2つの椅子はファニーがライプチヒ通りの家で実際に使っていたものだと教えてくれました。確かに上の絵に見られる椅子との類似性は明らかです。近くで見ると、これが細かな装飾で縁取られた、とてもいい椅子なのです。
この十字架の飾りは、ファニーがイタリア旅行の思い出として購入したものらしく、やはり上の音楽部屋に飾っていたものだとか。後にライプチヒに移り住むフェリックスと違い、、(この記事によると)ファニーは1847年に亡くなるまで、このライプチヒ通りの家に住んでいたそうです。



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2 Responses

  1. いっさいがっさい
    いっさいがっさい at · Reply

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    上の水彩画はフェリックス・メンデルスゾーンが描いたものでしょうか。

    先日ベルリン大聖堂のなんと地下の墓所でメンデルスゾーンの賛美歌を中心とする演奏会がありました。何曲かア・カペラだったんですが、久々に感動しました。またメンデルスゾーンの記事アップしてくださいね!

  2. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    いっさいがっさいさん
    >上の水彩画はフェリックス・メンデルスゾーンが描いたものでしょうか。
    いやあ、どうでしょうね?
    いかにもフェリックスが描きそうなタッチの絵ではありますが、特に明記していなかったので違うのかもしれません。

    >先日ベルリン大聖堂のなんと地下の墓所でメンデルスゾーンの
    >賛美歌を
    それは面白い試みですね。メンデルスゾーンのア・カペラの曲は、本当に美しいものが多いと思います。
    http://www.amazon.de/Chorwerke-Rias-Kammerchor
    /dp/B001BLP64M
    このCDなどおすすめです。

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