日本大使館で講演を行った田邊雅章さん(写真:在ドイツ日本国大使館)
広島への原爆投下から67年が経った8月6日、ベルリンの日本大使館で「平和のためのコンサート」が行われ、外交団を中心に日独約100人が出席し、私も参加する機会を得ました。
コンサートに先立って、田邊雅章氏による短い講演がありました。広島出身の田邊さんはご自身が被爆者で、今回は日本政府の非核特使としてドイツに来られたとのことです。今の原爆ドーム(当時は広島県産業奨励館)の東隣で生まれ育った田邊さんは、原爆が投下された当時8歳(小学2年生)。その数日前に疎開をしていたため助かりましたが、2日後に家族の安否を求めて家の跡にやって来ました。「そこで見たもの、臭ったもの、触ったものの不気味さは、今でも忘れることができない」と語ります。
「後で分かったことですが、母と弟は、朝食を片付けていた台所で犠牲となり、今も行方不明で、原爆ドームの側の地面深くに眠っています。せめて苦しまないで、あの世へ行ってほしかった。祈らない日はありません。諦め切れずに、いつか帰ってくるのではという思いから、2人の葬式はいまだに行っておりません」
田邊さんは、父と母、弟を一度に失いました。「祈らない日はありません」という言葉に私は、被爆者の方々が抱えてきた悲しみと苦しみ、その時間の重さが突然心にのしかかってきたようで、ショックを感じました。
講演後、映像作家である田邊さんによる、被爆前の原爆ドーム周辺の街並みや暮らしを再現した自作のドキュメンタリーが流されました。原爆ドームというと、私も含め多くの人は、現在の廃墟の姿しか知りません。しかし、その周辺を「ふるさと」として過ごした田邊さんは、建物や内部の様子から働いていた人々、街並み、暮らしまでを克明に記憶しています。「ほとんど知られていない被爆以前の情報をよみがえらせ、後世に伝えることは、生き残った者の使命である」と考え、ドキュメンタリーの制作に取り組まれたそうです。
私は映像を見ながら、本誌836号(2010年10月1日発行)の「独日なひと」でご紹介し、昨年末に惜しまれつつ亡くなった科学者、外林秀人さんのことを思い出していました。外林さんもまた、その晩年、ドイツで被爆体験を伝えることを自らの使命と考えていらっしゃった方。自身の講演会で毎回聴衆に見せていたのが、田邊さんが制作したこの映像だったのでした。
戦後67年が経ち、被爆者、そして戦争体験者から直接話を聞ける機会は確実に減ってきています。彼らがこれからの世代に残そうとしているメッセージに、真摯に耳を傾けたいと改めて思った夜でした。
講演会の後は、バイエルン国立管弦楽団のメンバーで構成されたシューマン弦楽四重奏団とピアニストの西村信子氏による室内楽のコンサート。中でも、「ファシズムと戦争の犠牲者の想い出に」捧げられたというショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番は、田邊さんのお話を聞いた後だけに、作曲者が込めた表現の切実さが一層胸に迫ってきました。
(ドイツニュースダイジェスト 9月14日)