
このブログを始めた2005年から折に触れて、ベルリンの王宮広場の移り変わりをお伝えしてきましたが、この6月、ついに王宮の再建工事が始まりました。冒頭の写真は昨年4月の様子。この数年間、芝生が敷かれ市民の憩いの場だった旧共…

現在、ベルリン西地区の目抜き通り「クーダム」ことクアフュルステンダムを歩いていると、周辺一帯が急激な変化の渦中にあるのを実感します。昨年、ツォー駅近くに高層ビルが完成し、5つ星ホテル「ヴァルドルフ・アストリア」が開業。ま…

現在、シャルロッテンブルク地区のシラー劇場で公演を行うベルリン国立歌劇場では、上演が極めて稀な作品に出会えることがあります。5月末、劇場横のヴェルクシュタットという小規模の会場で行われた「イエスマン」と「ノーマン」も、ま…

ツォー駅から100番バスに乗って、「ライヒスターク」のバス停で降りた。シャイデマン通りに面して何台もの観光バスが停泊し、ライヒスタークの入場口には次々に人の波が押し寄せる。 それとは反対のティーアガルテンの側に、ドイツの…

今年に入ってベルリンへ来られた方は、街の多くの場所で赤と黒を基調としたインパクトの強い展示ポスターをご覧になったことがあるのではないでしょうか? そこには必ずこう記されています。「Zerstörte Vielfalt(破…

ポツダム広場の「アルカーデン」に代表されるような大型ショッピングモールは、ベルリンに限らず、現代の消費生活の中心的存在と言えるだろう。便利な反面、中に構えているのは大手スーパーやドラッグストアのチェーン店、お馴染みのファ…

すっかりご無沙汰しております。現在日本に一時帰国中です。今回は2週間弱の比較的短い滞在なのですが、それでも日本に帰る前は留守中の間にやっておくべきことでてんやわんや。実家に帰ってからもあちこちに出かけている毎日です。ここ…

東日本大震災から2周年を迎えた週末にかけて、ベルリンでは多くの関連行事が開催されました。私が取材した中から、2つの行事をご紹介したいと思います。 3月9日の昼に、ブランデンブルク門に面したパリ広場で「さよなら原子力ベルリ…

3月1日の午前8時半頃だったという。イーストサイドギャラリーの脇に前日から置かれていたショベルカーが、かつてのベルリンの壁の1ブロックを持ち上げた。その時点ではごく限られた数の活動家しか現場にいなかったが、やがて反対デモ…

久々に変わりゆくベルリンの風景をお届けしたくなりました。まずは、あのオストクロイツ駅。2008年から折りに触れて変化の様子をブログで紹介してきましたが(下の「Ostkreuz」のタグをクリックすると、ご覧いただけます)、…

サッカーブンデスリーガの日本人選手の活躍は、今や珍しくなくなりましたが、「氷上の格闘技」アイスホッケーの女子ブンデスリーガで奮闘する「なでしこ」がいるのをご存知でしょうか。ベルリンのチームOSC Berlinに所属する高…

何のあてもないまま、私がベルリンにやって来たのは2000年の9月25日。高橋尚子がシドニー五輪で金メダルを獲得した翌日だ。いつの間にか、丸12年を迎えたことになる。2年前の10周年のときも一区切り付いた感じだったが、ベル…

3月10日は1945年の東京大空襲の日。個人的な関わりで言えば、東京大空襲のことは書物などを通じてもちろん知ってはいましたが、わずか一夜で10万人もが亡くなったこの大空襲がどれほど悲惨なものだったかを真に感じたのは、昨年…

何年住んでいてもドイツの冬の寒さは身にこたえるが、「今週末の気温は零下10度を下回る見込み」などという予報を耳にすると、たじろぐ反面、心のどこかでときめいている自分がいる。そんな予報が出された1月末、ある期待を胸に、テー…

2011年3月の東日本大震災では、東北地方で240人の子どもが両親を、1400人弱の子どもが片方の親を亡くしました。昨年秋、このような震災孤児を支援するNPO法人“KIBOU”がベルリンに発足。1月末、この法人が主宰する…

NHK「テレビでドイツ語」のテキストに昨年4月から連載させていただいた「ハンザ都市を巡る」の連載が、一応の最終回を迎えました。今回訪れたのは、エストニアのタリン。振り返ってみると、当初の想像以上に地理的に大きな広がりを持…
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