今年の夏はセミが鳴き始める時期が遅かったようで、9月も10日を回ったのにそ気配は止むことがありません。これが環境という意味でいいことなのか悪いことなのかはわかりませんが、日本に帰ってきた日、京急の最寄り駅に降り立った瞬間…
今日は私の地元横須賀のスポットを1つご紹介しましょう。京急横須賀中央駅から徒歩10分の場所にある、三笠公園です。数日前、久々に足を運んで来たのですが、どうも天気がいまひとつだったので(同じ場所から撮った今のトップ画像と比…
Berliner Dom (2007年8月10日) 金色に輝く大きな十字架、これ一体なんだと思いますか? ベルリン在住の方はもちろん、ここ最近旅行等でベルリンを訪れた方は、この光景を見てピンとくるのでは?2006年12月…
昨日の午後、日本に戻って来ました。1年に2回帰るのも、9月に入ったとはいえ日本の夏を経験するのも本当に久しぶりで、自宅の最寄の駅に降り立ったときに聞こえてきたセミの鳴き声がとても懐かしかったです。暑さは覚悟していたほとで…
フィルハーモニーの2008/09シーズンが開幕。日本に帰る前に、久々にここで何か聴きたいと思い、グスターボ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユース・オーケストラのコンサートへ。フィルハーモニーの大ホールの中に入るのは、例…
夏の暑い日、ベルリンの地下空間にもぐって涼んでみるのはいかがでしょうか。地下といっても地下鉄駅やデパチカのことではありません。戦時中の防空壕、核シェルター、建設されたものの結局使われなかったトンネルなど、ベルリンの地下に…
このシリーズの最後に、ここまで貴重なお話をたくさん聞かせてくださった山根寿代さんご自身のことを触れておきたい。春に初めてお会いしたとき、こんな元気な90歳の方がいるのかと私は驚いた。頭の回転が速く、話の話題が豊富。この方…
U2 Klosterstrasse(2006年12月26日) 山根寿代さんのお話の最終回は準備がもう少し必要なので、今回は別の話題を(といってもいくらかは関連がありますが)。私の好きなベルリンの地下鉄の駅を一つご紹介しま…
このシリーズの最初にご紹介した森鴎外との写真のほかに、ベルリンでの貴重な1枚を寿代さんから見せていただいた。これは1900年10月、山根正次(後列向って左より3人目)がパリ万博の出張の途中、ベルリンに住む萩中学時代のドイ…
山根正次がベルリン留学に向けて発ったのは、1887年10月8日のこと。森鴎外が留学していた時期と重なるが、そもそも2人の間にはどれだけの交流があったのだろうか。 森鴎外の小説は沢山読んで居りますが、直筆を目にしたのは祖父…
山根正次は、医師山根孝中(松下村塾門下生)の二男として1857年萩城下東郊の香川津に生まれた。孝中はかの松下村塾に入門し、吉田松陰に師事した人物である。正次は、藩の医学校で蘭学を修め,萩中学校でドイツ人教師ラインホルト・…
Mori-Ôgai-Gedenkstätte(2007年2月) 私が日本に一時帰国していた2006年11月のある日、実家に1枚の絵葉書が届いた。イタリアからのもので、すばらしい達筆で書かれている。手紙の主は、山根寿代さん…
今日からおよそ4回に分けて、しばらく前から書き綴っていたインタビュー記事をアップしたいと思います。インタビューというよりも、人物ルポと言った方がふさわしいかもしれません。春に私が一時帰国した際にお会いした、ある年配の女性…
ベルビュー宮殿の北側は広大な公園になっており、軍隊セレモニーはそこで行われます。指定された場所で待っていると、公園内を大きく旋回して、大名行列のような物々しさで軍隊がやって来ました。 最初にドイツのケーラー大統領が1人で…
Bellevueallee(2007年11月1日) このブログではこれまで、ベルビュー宮殿、首相官邸、連邦議会、そして前回の連邦参議院など、ドイツ連邦政府の活動の舞台を紹介してきましたが(詳細はタグの「政治」を参照のこと…
先日、ドイツ連邦議会の内部を詳しくご紹介したので、今度はドイツの上院にあたる連邦参議院(Bundesrat)の中に入ってみましょう。昨年6月23日の一般公開日に見学したときの様子です。連邦参議院は旧プロイセン貴族院(Pr…
『ベルリン 歴史の道』(平井正著。光人社) 東京の知人からいただいた本。平井正氏はベルリンについての著作をたくさん残しているので、一度読んでみたかった。これはドイツ統一直後の1992年にベルリンを訪れたときの記録だが、当…
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