カイザースラウテルンのオーストラリア戦を振り返って

カイザースラウテルンの町並み。中央奥がFritz-Walter-Stadion
(6月10日)
ワールドカップが始まって2日経った頃、私はまだワールドカップが始まったという実感を持てずにいた。ボンは開催都市ではないし、そこでの生活は基本的にホテルと日本代表の練習場を往復するという単調な生活だったからだ。そんな中で日本の初戦が行われる地、カイザースラウテルンにやって来たのだが、街の盛り上がりに驚いた。今大会の開催地の中でも最小の街だというのに。オーストラリア戦の前夜、私は町の様子をリポートする特派員の方について回ったのだが、旧市街は熱気に満ちていた。何よりも驚いたのは街頭で踊り狂い、占拠していた人たちの8割以上(に感じられた)がオーストラリア人だったこと。日本人にインタビューを取ろうと思っても全く見つからず、居酒屋でようやく見つけた日本人は現地のボランティアスタッフという有り様だった。彼らの話によると、カイザースラウテルンは街が小さいため日本人サポーターは近隣の町に宿泊しており、明日バスで一気に押し寄せて来るとのこと。いずれにしろ、前夜祭は完全にオーストラリアの勝ち。それは疑いようのない事実だった。ただ、私としてはボンを離れ山間のこの小さな町にやって来たことで、ようやく自分の体がW杯モードに切り替わるのを感じた。
6月12日当日、午前中はスタジアム近くのビルの上から中継。そこからはカイザースラウテルン中央駅に到着する列車の様子がよく見えるのだが、ここでも黄・黄・黄。さすがに日本人サポーターもぼちぼち見かけるようになるが、大勢のオーストラリア人に囲まれて何とも具合が悪そうだ。
試合会場のフリッツ・ヴァルター・シュタディオンは中央駅裏手の丘の中腹にある。スタジアムの名称になっているフリッツ・ヴァルターは、FCカイザースラウテルンの黄金期に活躍し、1954年にドイツが初めてW杯で優勝したチームのキャプテンだったという伝説的なプレイヤーだ。前回の日韓大会期間中に亡くなり、翌日の新聞の一面を飾ったことはよく覚えている。ドイツのサッカーファンで、この名前を知らない人はまずいないだろう。
そのフリッツ・ヴァルター・シュタディオンだが、その立地条件とW杯特例の入場方法にわれわれは悩まされることになった。通常サッカースタジアムは、一度スタジアム内に入ってしまえば、どこの入場口へも歩いて行くことができる。しかし、このW杯中は、スタジアムは赤、青、緑、黄色の4つのカテゴリーに区分され、安全対策からか相互間を行き来することができないことになっていた。正面手前の赤ブロックから反対側の緑ブロックまでは、スタジアムに沿って歩けば通常5分でたどり着くだろうが、今回は一度坂を下って時計回りに大きく迂回し、果てしなく長い坂道を登らなければならない。スタジアムの反対側に行くだけで、何と歩いて30分近くもかかるのだ。前回大会はどうだったのか知らないが、どうにも不条理に感じるのは私だけだろうか。このことを知らず、試合開始15分前頃に赤のゲートにやって来て、「あなたのチケットは緑だから、反対側の出口に行ってください」と係員に諭されている日本人を何人か見たが、彼らのその後を思うと胸が痛む。私は仕事の事情からこの長い坂道を結局3回往復することになったが、今後「ワールドカップドイツ大会のオーストラリア戦」といったら、個人的には夏の暑い日に汗をかきながら上ったあの坂の情景をまず思い浮かべるかもしれない。
さて、試合開始20分前に緑ゲートにいた私は、走る気力もなくゆっくりと長い坂を下って他のスタッフが待っている赤ゲートの方に向かって歩いた。途中奇抜で愉快な格好をしたサポーターと何人もすれ違ったが、いつもと違って写真を撮ろうという気力が起きない。うだるような暑さの夏の日だった。再び坂を上ってようやく赤ゲートに着こうかという時、頭上にそびえるスタジアムから君が代が流れてきた。スタジアムの上に立ち昇っていくかのような、あのゆったりしたメロディーが、一際印象的だった。
15時に試合が始まった。といっても前半は赤ゲートの前で待機しているのみ。目と鼻の距離にしては、屋根で覆われているスタジアムからは歓声があまり聞こえてこない。ただ、中村のシュートで日本が先制した時は、どよめくような大歓声がこちら側に伝わってきた。試合は1対0のまま、日本のリードで前半を折り返す。
さて、後半はありがたいことにスタジアムで試合を観戦することができた。試合終了10分前には赤ゲートに戻っていなければならないという条件付きだが、何はともあれ人生初めてのワールドカップ生体験。スタジアムの中に入ると、完全に別世界に来たかのようだ。青い空に映える緑の芝生の鮮やかさ、ブルーとイエローが混ざり合う観客席もカラフルだし、応援も熱気充分だ。また、観客席の傾斜はきつく、ものすごく見やすい。すぐ目の前(のように感じられる)にはそれまで2週間近く練習を見てきた日本の選手たちがピッチを駆け巡っている。初めて生で体験するワールドカップに私は完全に夢心地だった。
しかしそんな思いも10分ほどで醒めてきてしまった。どう見ても日本代表の選手の動きがよくない。疲れているのだろうか。攻撃のチャンスは割りと頻繁にやってくるのだが、前線でボールをキープできる選手がおらず、いい攻めにつながらない。ドイツ戦で活躍した高原は、巨漢のオーストラリアDFを前に完全に萎縮しているように感じられた。全体的にミスも多い。私の周りはほぼ全員日本人サポーターだったが、徐々に苛立ちを露わにしていった。「オレたちはこんな試合を観に、わざわざドイツまで来たんじゃないんだぞ」という空気が支配的になっていき、私の後ろのおじさんは露骨に野次も飛ばすようになった。後半の半ば過ぎ、川口がオーストラリアのFKを右手で見事にはじいた場面と、坪井がタックルを受けて豪快に吹っ飛んだシーン。プレーの良し悪しを超えて、この2つのシーンは私の記憶に確かに刻まれた。だが、30数分間そこにいた中で記憶に残ったシーンといえばそれぐらいだった。残念ながら、私の中での時間はもうない。このまま何とか逃げ切ってほしいが、この試合内容で勝てるほどW杯は甘くないのではないかという思いが交錯したまま、後ろ髪を引かれる思いでスタジアムを後にした。
スタジアムを出たまさにその時だった、背後で「うわー」という大歓声が鳴り響いた。何が起きたのか。試合展開に大きな動きがあったことはほぼ間違いなかった。日本が追加点を加えたか、オーストラリアが追い付いたのか。そばの警備員に聞いても何もわからない。私は急いで坂を下って赤ゲートに戻り(ちなみにその時、私のすぐ前をあのアーセン・ベンゲル氏が歩いていたことを後になって聞かされた)、他のスタッフの方と合流した。オーストラリアが同点に追いついたことを知ったのはその直後だった。スタジアムは数分間の間にさらに2回、大歓声に包まれた。オーストラリアがさらに2点加えたのだという事実を知ると、私は全身の力が抜けるのを感じた。
赤ゲート前で待っていたのは、試合後の観客の様子を撮ったり、インタビューをしたりするためであったが、その後になだれ込んで来たファンの様子はまさにドラマを感じさせるものだった。カメラに向かって「オージー」と連呼しひたすら上機嫌なオーストラリア人に対し、さばさばした表情で足早に引き上げる日本人。時間が経つにつれ、目を真っ赤に腫らした若者や女性の姿も目立つようになる。そういう人々にインタビューを取るのは、さすがにつらいものがあった。確かに、自分がそのままあの席に残って、オーストラリアに3失点される場面に居合わせたらさぞかしショックだったろうなと思う。ただでさえ険悪なムードになっていた日本サポーターの席は、その時どうなっていたのだろうか。あの場にいたかったような、抜け出てきてよかったような・・
初めて直に接したワールドカップの日本戦はこのような結果になってしまったが、ボンに戻り今回お世話になった局のサッカー解説者の方と話していてその話題になった時、「歴史の証言者になったと思えばいいんだよ」と言われ納得した。日本にとってはあまりに痛い敗北となったが、いつの日かこのことが歴史的な文脈の中で語られる時が来るかもしれない。その時はあの場にいたことを熱く語りたいものだ。
生まれて初めて生で観たワールドカップと、最後の数分に起きた恐るべきドラマ(実は今日に至るまでそのシーンをまだ映像で見ていない)。試合後のサポーターの表情とスタジアムへ向かうあの長い坂。6月12日の夏の暑い日は、忘れがたいものとして私の心に刻まれることになった。

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